◆他人事・ひとごと2009/08/01

 長く岩波書店で校正を担当された古澤典子さんが、これを「タニンゴト」と読む不思議な言葉が出現した、と嘆いたのはもう20年以上も昔のことになった。「ひとごと」は「人事」と記すと「じんじ」との混同が懸念されるため明治以来「他人事」が多く用いられるようになったが、言葉そのものは「紫式部日記」や「徒然草」にも記される日本人にとって馴染みの深い表現である。その意味も「他人のこと」だけに限定した狭いものではない。

 第一これを「タニンゴト」と読んでは「他人事言えば影がさす」や「他人事言わば筵(むしろ)敷け」はどうなってしまうのか。そこまで語彙が豊かでないことを、みずから宣伝して歩くようなものである。岩波書店版「広辞苑」は、こうした西島麦南以来の口うるさい校正者に守られながら、この奇妙な語についてだけは何とか体面を保ってきたはずであった。だが、それも第5版(1998年11月)で「たにんごと」から「ひとごと」への参照を付けたことによって変ってしまった。「ひとごと」の項には次の解説が付け加えられた。

  近年、俗に「他人事」の表記にひかれて「たにんごと」ともいう。

 もし、ここまでするのであれば「俗に」だけではなくて、末尾に「が誤り」と付け加えるべきだった。そうしないと上述の格言などの説明に支障を来すからだ。語彙数を増やし実用も重視したい若い編集者の発想は理解するとしても、「広辞苑」の基を編んだ新村先生や文字と言葉を大事に考え懸命に自社水準の維持に努めた諸先輩の気持を汲み取る努力が足りなかった。「広辞苑」は第4版(1991年11月)の「いまいち」登場辺りから、ドイツの国民車の車台にアメリカ車の車体を載せたような妙な辞書に変りつつある。このことについてはいずれ詳しく書かなければなるまい。

 今回これを書いたのは、「タニンゴト」の誤用が遥かに先を行っていると気づいたからである。このところ第45回衆議院議員選挙の与野党逆転を見越した新聞記事が目につくようになったが、その中にルポライターによる官僚の憂鬱を伝えるものがあり、何と「若手にはどこか他人事的な空気があった」と記されていた。ルビはないが、これを「ヒトゴトテキ」と読ませるつもりはなく、おそらく頭の中では「タニンゴトテキ」と読んでキーボードを叩いたことだろう。

 つまり今や「ひとごと」はこうしたルポライターの間では死語に近く、「タニンゴト」が当然となり、さらに流行りの「的」まで付けて用いられる段階に達しているのではないか。そう懸念されたからだ。この署名入り・顔写真付きの記事(2009.07.29 朝刊・文化欄 p13)を掲載した「毎日新聞」を、だから三流と貶すつもりはない。なぜならこれが単に「毎日新聞」一紙の問題に止まらないからだ。

 文字文化の衰退を嘆くなら新聞社は、まず自社の記者教育を徹底しなければならない。校閲部員の劣化がこうした現象を生み出していることにも気づく必要がある。出版社も首相の漢字能力を笑う前に、自社の編集者の漢字能力を確かめておく必要がある。新聞社も出版社も、自分たちの仕事が一過性のテレビジャーナリズムなどとは基本的に異なることをもっと強く認識しなければならない。こうした一見なんでもないような誤表記の積み重ねが、日本人の漢字能力の日常風景をつくっているのだと自覚して欲しい。死に体に近い政治家をただ腐すだけでは日本の言語文化は守れない。

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