◎季節の言葉 土筆(2)2010/03/30

 ツクシは古くは「つくづくし」と呼ばれたことが「源氏物語」の「早蕨」冒頭を読むと分かる。宇治にいる中君のもとに山の阿闍梨より、趣のある籠に入った「蕨、つくづくし」が手紙と一緒に届けられたと記されている。つまり平安の昔から春の訪れを告げる山菜として食されていたことが窺われるのである。

 明治23年に発表された幸田露伴の小説「一口剣」にも土筆が登場する。悶々と暮らす刀鍛冶の生活が記述される中に「嚊は昼休みに一寸摘んで置きし土筆煮て、我が手柄を疲れたる夫の膳に薦めんと」と記述されている。ツクシは芽が出て日にちの浅いものを摘み、お浸しや酢漬けにして楽しむ。大量に摘めば露伴の作品のように甘辛に煮付けてもよい。いずれにしても春のほろ苦さが身上であり、そのためには筆の先ともいうべき頭頂部が地中から顔を出したばかりの、まだ胞子をつくらない、うっすらと緑色の感じられるものが最上である。


 次の句は俳諧三神の一人として知られ、歌人としての名も高い江戸初期の俳人松永貞徳の作品である。京に住み、私塾を開いて、後に芭蕉の師となる北村季吟らを育てた。貞徳の俳句を批判的に見る人は駄洒落が過ぎると云う。確かにここに詠まれた「はかま」にも、地上に芽を出したツクシの子が幾重にもかぶった俗に「はかま」と呼ばれる黒い皮の意が含まれていよう。だが、これを挙げたのは批評が目的ではない。江戸時代の京には「土筆売り」がいたことを単に示さんがためである。(了)

  つくつくし売るやはかまの町くだり 松永貞徳

◎季節の言葉 花冷え2010/03/30

 桜が開花する3月の下旬は彼岸を過ぎたとはいえ、陽気は決して温暖一辺倒ではない。急に冷え込んで夜桜見物などとても無理ということが珍しくない。花冷えはそんな時候を巧みに表現した言葉である。

 とはいえ、昨日来の冷え込みは尋常なものではない。箱根には40センチを超える大雪が降った。つい半月前に箱根峠へ行ったとき、道の端や斜面の岩陰に残る雪をみて名残雪だ風流だと喜んだことがまるで嘘のようだ。冬は終っていなかったのである。

 お陰で桜はこの1週間、全く成長を止めてしまったかと思われるほどじっとして動きがない。レンズ越しに覗くと強い雨や寒気に打たれて花びらの端が所々茶色に変じた気の毒なものもあるにはあるが大半はまだ初々しく、陽気の好転を辛抱強く待っている。


 寒冷前線の通過が暦を2ヵ月ほど前に押し戻してしまった。ついでに空気まで冬の清浄なものに入れ替えていった。そのせいで今日は、富士山の頂上近くに落ちる見事な夕日を心ゆくまで眺めることができた。だが指の先も手の甲も冷たい風に晒されて、すっかり悴(かじか)んでしまった。油断すると風邪を引きかねない。花冷えは風流でも年寄りには優しくない。心底報える。

  花冷の道を下水の音くぐる 石井ながし