◎練馬野にも空襲があった2010/03/05

 また今年も3月10日がやって来る。広島の人が8月6日を忘れないように、長崎の人が8月9日を忘れないように、東京下町の地獄のような火の海を生き延びた人は3月10日を忘れない。しかし忘れたくなくても人の記憶は生命が尽きれば滅んでしまう。65年という長い歳月には抗えない。一人また一人とその記憶は消えてゆく。ここに人の記憶と記録されたものとの大きな差がある。


 練馬野とは武蔵野の一部、今の東京都練馬区から埼玉県南部辺りに広がる起伏緩やかな台地の称である。「白梅日記」で紹介した中島よしをの句は、アジア太平洋戦争後もまだ間もない頃につくられた。その練馬野が、未開の雑木林と所々に混じる開墾された畑と粗末な藁屋根の風景から次第に雑木林が減って、畑の脇には勤労者の新しい住宅が建ち並ぶ風景へと変わり始めた頃に詠まれた作品であろう。

 今年2010年は昭和元年(1926)から数えると85年目に当たる。昭和への改元は12月25日に行われたため、実際の昭和元年は7日しかない。12月25日は大正最後の日でもある。いずれにしても1926年に生まれた人はアジア太平洋戦争が終った1945年(昭和20)に20歳を迎え、その後も無事に生きながらえていれば今年で満85歳となる。この話はまさにこれに当てはまる一人の女性から直接聞いたものである。(つづく)

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