◎日本人とレモン ― 2010/01/09
鴎外が20世紀の初めに翻訳したアンデルセンの「即興詩人」には度々レモンが登場する。これを鴎外は「檸檬」と記し、全て律儀に「リモネ」とルビを振っている。明治35年(1902)に出版された春陽堂版を繙くと、例えば次の如くに記されるのである。現代なら定めし「その木にはまだ十分な日の光を浴びていない、緑色のままのレモンが生っていた。」とでも訳すところであろう。
檸檬樹(リモネ)はまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の實を垂れたり。(上巻p36)
こうしたロマンチックな文章に触れた人々がレモンに対し、普段よく知るミカンとは全く異質の憧憬にも似た感情を抱いたであろうことは子ども時分の記憶からも明かである。それは地中海という異国の地に産するハイカラな黄色の実であり、エキゾチックな響きをもった夢のような果物らしいということであった。こうした印象を生む最初のきっかけが鴎外の訳文にあったことは疑いない。
明治大正期の作家にとってもレモンはおそらく大きな憧れの一つであったろう。大正14年(1925)、梶井基次郎が「青空」に発表した短編小説「檸檬」は当時の知識人達のレモンに寄せる感情を如実に伝えている。「檸檬などごくありふれている」と言いながら一方で「いったい私はあの檸檬が好きだ」と書き、色も形も好きだと素直に認めざるを得なかった。
写真はまだ日射しの強い9月初め頃のレモンである。
◎松の内 時代と言葉01 ― 2010/01/04
松の内とは門松が立ててある期間、松飾りや注連飾りが飾ってある期間という意味です。そのため地方によって元日からいつまでを指すかは一定しません。おおむね関東は六日の夕刻か七日まで、京辺りでは十五日までとするところが多いようです。
しかしそうした風習と現代のサラリーマンの生活とは全くかけ離れたものになってしまいました。例えば今日四日は大抵のサラリーマンにとって新年最初の出勤日です。昔は新年の挨拶を交わし、職場に届いた年賀状を整理したり、年末にし残した片づけなどがあればそれらを片づけて早々に退散したものです。「明日からまた頑張ろうね」と鈍(なま)った頭の準備体操をする日でした。
それがいつの頃からか、初日といえども通常通り終業時まで働くようになりました。率先したのが役所の公務員か大企業かは知りません。これを国際化とか外国並みと言うと聞こえは良いのですが、有り体に言えば気持に余裕がなくなってしまったのです。初日から残業までするサラリーマンのいることが何よりの証拠でしょう。
はらからの訪ひつ訪はれつ松の内 星野立子
核家族化が進み、訪れる人も訪れる先もめっきり減ってしまったことも確かです。それより単身で、二人で、家族で海外旅行をという向きも多いでしょう。身内同士でさえ、近年は疎遠になる親子や兄弟姉妹が少なくないとも聞きます。年に一度くらい、自然家族の三世代四世代が集まって暮らすのも悪くないだろうにと思われてなりません。
写真は昔ながらに竹を切って門口に立て、左縒りの注連縄を張って白幣を垂らした農家の新春風景です。
◎夢を見る力 ― 2010/01/03
かつて作家の井上ひさし氏は「夢を見る力、その夢を信じて挫けぬ力、この二つの力があれば奇跡は起こせます。」と書いた。(遅筆堂文庫物語)
地方の荒廃が叫ばれるようになって久しい。だがつぶさに調べれば、荒廃ばかりが進んでいるわけでもない。ダムと道路建設に頼るしか術を知らない地域ばかりでもない。
そうした地域と他の多くの地域で異なるのは、自分が生まれた土地を本気で愛する若者の数の差ではないだろうか。また、それらの若者達を信じて見守る大人の影響力も無視できない。
こうした大人達は本気で子どもや若者に地域の良さを伝えようと努力している。県庁や霞ヶ関や永田町に詣でることだけが自分の仕事ではないと知っている。
○紅葉--晩秋 ― 2009/11/18
紅葉と書いて「もみじ」と読ませる。あるいは黄葉と書くこともある。秋が進み朝晩の寒さが身に染みる頃、木々の葉や草の葉が色づくことをいう。などと書けば「そんなこと誰でも知っているよ」と言われそうである。だが、なぜ日本人はそれを「もみじ」というのだろうか。というところまで考えようとすると、やはりここでも仮名遣いの問題から検討しなければならなくなる。
実は「もみぢ」が日本語としては正統なのである。仮名遣いの問題は子どもの頃、叔母がよく嘆いていた。「戦争が終って女の人を大事にしてくれる政治は有難いのだけど、国語教育だけは何だか妙竹林だね」が叔母の口癖であった。生活の簡素化は主婦の負担を軽くしてくれて助かるが、同じ調子で書き言葉や漢字まで簡素化されると記憶された言葉の体系が乱れると嘆いていた。
実は「もみぢ」が日本語としては正統なのである。仮名遣いの問題は子どもの頃、叔母がよく嘆いていた。「戦争が終って女の人を大事にしてくれる政治は有難いのだけど、国語教育だけは何だか妙竹林だね」が叔母の口癖であった。生活の簡素化は主婦の負担を軽くしてくれて助かるが、同じ調子で書き言葉や漢字まで簡素化されると記憶された言葉の体系が乱れると嘆いていた。
話がそれたかも知れぬが「もみ」は「揉む」に起源を持ち、揉むことで紅色に染め出す先人の知恵を示す言葉であったと考えられる。それが紅色を指す言葉となり、この色に染めた生地なども同様にいうようになった。「ち」は今風にいえば「化」の意を表す働きをしており、おそらく「もみち」として四段活用した動詞と見てよいだろう。それが「ぢ」と濁音化したことで上二段活用に変ったのである。この変化は「万葉集」に記録されたいくつかの和歌と「古今和歌集」に集められた和歌とを比較することではっきりする。
大木にしてみんなみに片紅葉 松本たかし
写真の奥に写る緑はまだ紅葉する前のヤマモミジの葉、せめて後20年は生きて欲しかった人の句である。
○柚子(4)--実りの秋 ― 2009/11/01
前回の蛇笏の句に詠われている柚(ゆ)の実こそ列島の先人達が珍重した香味料としてのユズの初期の呼称と言えるだろう。柚子(ゆず)の実では屋上屋を重ねるに等しい。だが、いつの間にかそうなってしまった。子分の実に母屋を盗られたとしか言いようがない。ユズは実が生ってこその植物とはいえ、やはり可笑しい。それだけ漢音の影響が大きかったのかも知れない。どたどたと土足のまま入ってくる英語には比ぶべくもないが、時代状況としては似ていよう。
ところでユズの香りはユズの木自体が持っている。だから皮がまだ青々とした柚の実にも既に香りだけは受け継がれ、料理に使うことができる。これを青柚(あおゆ)と呼び、卸し金で摺り卸したり、包丁で薄く剥いで使う。料理人が手際よく包丁を回し、お椀の吸い口用に松葉の形に刻んだものは松葉柚(まつばゆ)と呼ばれる。
黄色く色づいた大ぶりの柚の実を葉付きで手に入れ、四分六の割合で上下に切り離して使うことも多い。このとき中の実は刳りぬいて除き、和え物などを詰める。そして上の四分を蓋にして客をもてなす。これが柚釜(ゆがま)である。青柚も松葉柚も湯桶読みだが、柚釜は重箱読みになる。ユズの香りを柚香(ゆこう)と称するが、これを生かした和え物は柚香和えと呼ばれる。これも一種の重箱読みである。ユズを柚子とのみ決め込んでいては日本の伝統料理も文化の香りも伝えることは難しい。そう心得てもう一度、漢字が今に伝えるものにも目を向けて欲しい。(了)
柚の香ひ夕柴もゆる廚かな 松瀬青々
ところでユズの香りはユズの木自体が持っている。だから皮がまだ青々とした柚の実にも既に香りだけは受け継がれ、料理に使うことができる。これを青柚(あおゆ)と呼び、卸し金で摺り卸したり、包丁で薄く剥いで使う。料理人が手際よく包丁を回し、お椀の吸い口用に松葉の形に刻んだものは松葉柚(まつばゆ)と呼ばれる。
黄色く色づいた大ぶりの柚の実を葉付きで手に入れ、四分六の割合で上下に切り離して使うことも多い。このとき中の実は刳りぬいて除き、和え物などを詰める。そして上の四分を蓋にして客をもてなす。これが柚釜(ゆがま)である。青柚も松葉柚も湯桶読みだが、柚釜は重箱読みになる。ユズの香りを柚香(ゆこう)と称するが、これを生かした和え物は柚香和えと呼ばれる。これも一種の重箱読みである。ユズを柚子とのみ決め込んでいては日本の伝統料理も文化の香りも伝えることは難しい。そう心得てもう一度、漢字が今に伝えるものにも目を向けて欲しい。(了)
柚の香ひ夕柴もゆる廚かな 松瀬青々
○柚子(3)--実りの秋 ― 2009/10/28
ミカンの古称である柑(カン)もその実は柑子(カンシ)と書き、和名ではカウジ(コウジ)と称している。松の実は松笠と呼ばれる球果の中の鱗片に付いていて、松子(ショウシ)と呼ばれる。みな同じ理屈に基づく呼称だろう。
ところでユズは漢名だろうか和名だろうか。漢字の柚は木偏に由と書く。そのためか多くの辞書が音は旁の由にあると見てイウ(ユウ)と記し、訓を「ゆず」としている。つまり柚子の音であるイウズ(ユウズ)が訛って和名のユズが出来上がったと見ている。しかもユズは実だけでなく植物そのものをも表す言葉になってしまった、と言いたげである。
だが、この説は柚がもつ呉音ユの役割と歴史を見落としている。漢音が伝わる前に朝鮮半島経由で伝わったと推測される苗木の柚(ユ)と、その実である柚子(ユズ)の歴史を忘れている。日本料理や俳句の世界には、こうした先人達の営みを想起させる痕跡が少なくない。(つづく)
山の子がたべてにほはす柚の実かな 飯田蛇笏
ところでユズは漢名だろうか和名だろうか。漢字の柚は木偏に由と書く。そのためか多くの辞書が音は旁の由にあると見てイウ(ユウ)と記し、訓を「ゆず」としている。つまり柚子の音であるイウズ(ユウズ)が訛って和名のユズが出来上がったと見ている。しかもユズは実だけでなく植物そのものをも表す言葉になってしまった、と言いたげである。
だが、この説は柚がもつ呉音ユの役割と歴史を見落としている。漢音が伝わる前に朝鮮半島経由で伝わったと推測される苗木の柚(ユ)と、その実である柚子(ユズ)の歴史を忘れている。日本料理や俳句の世界には、こうした先人達の営みを想起させる痕跡が少なくない。(つづく)
山の子がたべてにほはす柚の実かな 飯田蛇笏
○百匁柿--実りの秋 ― 2009/10/18
子どもの頃、母の遣いで時々駄菓子屋に行かされた。買い物だから拾円札か伍拾円札を持たされるはずだが、そうした記憶は全くない。お金は持たず、ただ風呂敷だけを持たされて出かけたことを覚えている。そして決まって「花林糖を百匁(ひゃくめ)ください」とか「薄荷糖を百匁ください」と店先で口上を伝えた。
いまパソコンに「ひゃくめ」と打ち込んでも、正しく百匁に変換される気遣いはまずない。そんな親切な辞書は自分でつくるしかなくなった。原因は1959年(昭和34)の元旦から全面的にメートル法が採用され、それまで広く使われていた尺貫法が廃止されて久しいからである。当時、学校では混乱に備えて対策が施され、教師が口を酸っぱくして「これからは斤(きん)や匁(もんめ)ではなくグラムを使うように」と指導した。もちろん換算の方法についても熱心に教えたはずである。
このとき、お遣いの単位が300グラムに替わったのか、それとも400グラムだったのかは俄に思い出せない。相変わらず従来と同じ百匁ではなかったかと思う。ただ計算のできる母が時々ぶつぶつ文句を言っていたことだけは確かだ。制度の変更に乗じて駄菓子屋がきっと何か上手いことをしたのだろう。
写真の柿は彼岸過ぎに撮したもので、百匁柿と呼ばれる品種である。まだ色づき始めたばかりだが、11月の収穫期には見事な朱色に変っている。室(むろ)などに熟すまで置いて、それから熟れ熟れのとろりとしたところを匙(しゃじ)で掬って食べる。実際の重さは百匁(375グラム)より少し軽いかも知れない。
いまパソコンに「ひゃくめ」と打ち込んでも、正しく百匁に変換される気遣いはまずない。そんな親切な辞書は自分でつくるしかなくなった。原因は1959年(昭和34)の元旦から全面的にメートル法が採用され、それまで広く使われていた尺貫法が廃止されて久しいからである。当時、学校では混乱に備えて対策が施され、教師が口を酸っぱくして「これからは斤(きん)や匁(もんめ)ではなくグラムを使うように」と指導した。もちろん換算の方法についても熱心に教えたはずである。
このとき、お遣いの単位が300グラムに替わったのか、それとも400グラムだったのかは俄に思い出せない。相変わらず従来と同じ百匁ではなかったかと思う。ただ計算のできる母が時々ぶつぶつ文句を言っていたことだけは確かだ。制度の変更に乗じて駄菓子屋がきっと何か上手いことをしたのだろう。
写真の柿は彼岸過ぎに撮したもので、百匁柿と呼ばれる品種である。まだ色づき始めたばかりだが、11月の収穫期には見事な朱色に変っている。室(むろ)などに熟すまで置いて、それから熟れ熟れのとろりとしたところを匙(しゃじ)で掬って食べる。実際の重さは百匁(375グラム)より少し軽いかも知れない。
○木犀の香り(3)--秋色 ― 2009/10/17
現代中国ではモクセイは桂花と通称され、銀桂・金桂・丹桂の3種類があると商務印書館(北京)の辞書には記されている。日本風に言えばギンモクセイ、キンモクセイ、そしてウスギモクセイであろうか。いずれにしても巌桂の称は廃れたようだ。千年という時の流れを感じずにはいられない。
巌桂と木犀を結びつける数少ない説明は、シナモンやニッケイ(肉桂)の一種と思われる菌桂について記した本草書の中に見つけることができる。「人を寄せ付けない厳しい嶺に群がって生えているところからこれを巌桂というが、俗に木犀とも呼ばれる」とある。ニッケイやシナモンとモクセイが同一視もしくは混同されている。
モクセイの木肌を犀に喩えたにしても、その樹皮や花を香味料や香辛料に用いたにしても、動物の犀の利用も含めていずれも本草や漢方の世界の話である。それらの伝播・伝来にはきっと様々な錯覚や誤解も混じっただろうし、新たな効能の発見なども加わったかも知れない。そういう中で、なぜか日本では木犀という文字とモクセイという音とが残ったのである。まさに不思議と言うほかない。(了)
木犀の匂ふ見知らぬ町歩き 新田久子
巌桂と木犀を結びつける数少ない説明は、シナモンやニッケイ(肉桂)の一種と思われる菌桂について記した本草書の中に見つけることができる。「人を寄せ付けない厳しい嶺に群がって生えているところからこれを巌桂というが、俗に木犀とも呼ばれる」とある。ニッケイやシナモンとモクセイが同一視もしくは混同されている。
モクセイの木肌を犀に喩えたにしても、その樹皮や花を香味料や香辛料に用いたにしても、動物の犀の利用も含めていずれも本草や漢方の世界の話である。それらの伝播・伝来にはきっと様々な錯覚や誤解も混じっただろうし、新たな効能の発見なども加わったかも知れない。そういう中で、なぜか日本では木犀という文字とモクセイという音とが残ったのである。まさに不思議と言うほかない。(了)
木犀の匂ふ見知らぬ町歩き 新田久子
○木犀の香り(2)--秋色 ― 2009/10/14
木犀は大陸から庭木として渡来したものであろうが、命名については不思議に思うことが少なくない。中国では宋(960-1279)の時代、知識人が心の赴くままに描く文人画の題材に相応しい花として10種を選び、これを持つべき10人の友にたとえたことがある。そのとき仙友にたとえられたのが、他でもないこのモクセイの花である。しかしその漢名は巌桂であって木犀ではない。
だがモクセイが和名であるとも思えない。モクレン(木蓮・木蘭)やムクロジ(木連子・無患子)などと同様に漢字表記されたものが訛ったか、あるいはそのまま音読みされて成立した呼称であろう。そもそも木を「モク」とするのは正当な漢字音ではない。漢音の「ボク」が伝わるより早く、仏教の伝来などとともに朝鮮半島経由でもたらされた中国南方系の字音である呉音に相当している。木魚や木像などと同じ頃に伝わった言葉と考えるのが自然だ。(つづき)
金木犀風の行手に石の塀 沢木欣一
だがモクセイが和名であるとも思えない。モクレン(木蓮・木蘭)やムクロジ(木連子・無患子)などと同様に漢字表記されたものが訛ったか、あるいはそのまま音読みされて成立した呼称であろう。そもそも木を「モク」とするのは正当な漢字音ではない。漢音の「ボク」が伝わるより早く、仏教の伝来などとともに朝鮮半島経由でもたらされた中国南方系の字音である呉音に相当している。木魚や木像などと同じ頃に伝わった言葉と考えるのが自然だ。(つづき)
金木犀風の行手に石の塀 沢木欣一
○鶏頭(2) ― 2009/10/10
鶏は「にはつとり」が短く縮まったものである。普段から庭にいる鳥、つまり飼い鳥の意であり、歴とした和語である。一方、鶏頭は漢名由来の語である。鶏は「鶏群の一鶴」「鶏口となるも牛後となるなかれ」など漢語を知る人には馴染みの深い語である。列島の先人がこの植物に初めて接したとき、鶏は誰もが知る飼い鳥だったと考えて間違いない。
では鶏頭は中国から伝わったのだろうか。どうやら中国から来たものと朝鮮半島経由で伝わったものと二つの道があったようだ。その証拠に、鶏頭には今では使われることのない「からあゐ」という和名があって、万葉集にはその歌が収録されている。作者が山部赤人というのも興味深い。しかし「からあゐ」がなぜ紅い色の鶏頭になるのか、その話はまたの機会に譲りたい。(了)
わがやどにからあゐ蒔き生ほし枯れぬれど懲りずて亦も蒔かむとそ思ふ 山部宿禰赤人
では鶏頭は中国から伝わったのだろうか。どうやら中国から来たものと朝鮮半島経由で伝わったものと二つの道があったようだ。その証拠に、鶏頭には今では使われることのない「からあゐ」という和名があって、万葉集にはその歌が収録されている。作者が山部赤人というのも興味深い。しかし「からあゐ」がなぜ紅い色の鶏頭になるのか、その話はまたの機会に譲りたい。(了)
わがやどにからあゐ蒔き生ほし枯れぬれど懲りずて亦も蒔かむとそ思ふ 山部宿禰赤人









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