夢と希望と絶望2012/10/02

 夢と希望は同じか。似てはいるが、どこか違う気がする。どちらもまだ実現していない。夢や希望が叶うのか、まだ先のことだから分からない。もうすぐ実現するかも知れないし、叶う気もするが今この瞬間は、そこまで分からない。これが夢と希望の共通点だ。

 違う点は何か。それは夢の方が実現に遙かに時間がかかることだ。希望の方は中身により他の人との調整が必要になる。夢なら他の人と取り合いをすることはないが、希望の場合は他の人に取られたり譲り合う場面が出てくる。希望の方がそれだけ日常に近いところにある。夢の方は何かとてつもなく大きなものに使われる。

 夢は誰がもっても構わない。小さな子でも中学生でも大学生でも構わない。思い立ったらいつでも気軽にもつことができる。どんなに大きな夢でも税金のかかることがない。申告も要らない。誰とも取り合いにならないし、誰にも迷惑をかけることがない。こんな都合のよい、うまい話が夢にはある。

 それなのに夢を知らない若者が増えている。今、夢をもたない若者が増えている。お金がなくても、仕事がなくても、学校が面白くなくても、テストの点が悪くても、友達がいなくても、そんなことには全く関係なく誰でも自由にもつことができるのに、夢の力を知らない若者が増えている。

 夢には希望の何十倍、何百倍、何千倍もの力がある。夢があれば明日も生きられる。今日と明日をつなぎ、明日と明後日をつないでくれる。夢があれば絶望は寄りつかない。絶望は夢を信じる人には近づかない。

 絶望にとって夢ほどイヤなものはない。夢ほど嫌いなものはない。だから夢をもつ人には決して寄りつかない。夢を信じる人には近づこうともしない。近ごろの絶望は特に忙しいようだ。あっちからもこっちからも、夢のない人から「来てくれ、来てくれ」とせがまれて駆けずり回っている。

 昔は物好きな絶望もいた。ひとつひとつ夢の中身を詮索して楽しんでいた。秋田のナマハゲみたいに「こいつの夢は好い加減だ」「自分の夢を信じていないな」なんて言いながら、壊して回る奴がいた。今は夢をもたない人が増えすぎて、そこを回るだけでも手が足りない。絶望は多忙に追われて皆あっぷあっぷしている。(つづく)

           今年は夏が暑かったせいか曼珠沙華の開花が遅れている…

夢と希望と絶望 (2)2012/10/03

 夢は大きいほどいい。どんなに大きくたって構わない。いくら大きくたって誰も困らない。嫌がるのは絶望くらいだ。置き場所も要らないし、家賃もかからない。誰からも文句を言われない。うんと気張って、でっかい夢をもとう。

 すぐに結果が分かるのは夢とは言わない。小さいのは希望と呼ばれる。希望はおやつみたいなものだ。みんなが欲しがる。だからみんなで、仲良く分け合うしかない。小さな希望は欲しい人にあげて、なるべくでっかい夢をもとう。

 夢は宝物だ。君だけが知る宝物だ。値打ちを知るのも、どこにあるか知るのも君だけだ。いつもそっと暖めていよう。心の中で大事に暖めていよう。自分の夢を信じて暖めていよう。そうすれば夢は育つ。いつの間にか膨らんで大きくなる。

 膨らんだ夢は強い。君が信じれば信じるほど強くなる。自分の夢を信じよう。どこまでも信じて大事にしよう。大事にしていれば夢はいつも君を守ってくれる。君をどこまでも守り通してくれる。そばにいて君の強い味方をしてくれる。

 夢は忘れないことが一番だ。自分の夢を信じ、いつまでもどこまでも大事にしよう。大事にしていれば、きっといいことがある。どんなに辛くても覚えていよう。悲しいときでも思い出せるようにしよう。楽しいときも忘れないようにしよう。夢はきっと叶うものだ。(つづく)

                   どれも似てるけど、みんな違う…

夢と希望と絶望 (3)2012/10/04

 漢字の「夢」は草冠ではありません。部首は「夕」です。なぜ夢が草冠なんだろうと思っていた人は、夕部と聞いてすっかり納得した気になっていませんか。実は「夢」という字ももともとは寐の字の「未」の部分に収っていた部品にあたる文字でした。ですから寝るという字の親戚にあたる文字ということができます。

 「寝」も今は略字で記されますが、もとは同じように「爿」を書いていました。しかしその都度、冠の「宀」を書いたり「爿」を付けたりするのは面倒だと思う人が多かったのでしょうか。家の中に置かれた寝床を示すこれらの部分を略して、もっぱら部品の「夢」だけを記すようになりました。

 この夢という文字は夜の暗さを表していて、蔑と夕とを組合わせた形になっています。蔑は蔑視の例からも分かるように余りよい意味の文字ではありません。元々の字義は目に光がない、目がよく見えないの意ですから、これと夕を組合わせることで夕闇の暗さを表そうとしたのです。

 ですから元の音は「ベツ」と「ボウ」でしたが、「ベツ」の方が「ム」に変わったと考えられています。この字の音は何かと聞かれたら十人が十人「ム」と答えそうですが、「ム」は慣用で使われる音で、漢音は「ボウ」です。

 ついでに言えば、人偏に夢と書いて日本では「はかない」と読ませていますが、この儚という字も同様に暗いことを示しています。但しこちらは人偏ですから、暗い原因は光ではなくて人の心です。迷いがあって明るくならないさまを指します。例えば儚々(ボウボウ)と言えば文字通り心に迷いがあることです。(つづく)

                       メロンのお尻です…