◆駄々を捏ねる政治家達2009/09/07

 幼い子供が自分の思い通りにならないとき、親や周囲の近しい大人に我が儘放題を言ってぐずぐずしてみせることを「駄々を捏ねる」という。「捏ねる」のそもそもの意は粉や土に水などを加えて練ることだが、転じて無理・難題などをあれこれ言い続ける意となった。「駄々」の後に子供が好きな遊びである捏ねるを使うことで、これが知恵がつき始めた幼少期の子供に特有の現象であることを表している。拗(す)ねる、ともいう。この場合、駄駄あるいは駄々の文字に特別な意味はなく、単に「だだ」という表現・言い回しを視覚化するための当て字に過ぎないと考えるのが一般的である。
 言葉の起源は江戸時代初めまで遡ることができる。用例を見ると当時は、どうやら激しく地面を踏みつけて怒りなどを表す意に用いられた語と推測される。しかし江戸時代も中頃になると現在と同じく、子供が甘えて我が儘を言う意に変化したことが分かる。以来300年間ずっと子供の我が儘を表す代表的な言葉として使われてきた。
 ところが2009年に入り、再び大人にも同様の現象が見られるようになった。今のところ確認された事例は次の3件である。まず7月の東京都議会議員選挙で大敗した自民・公明両党による特別委員会設置反対を口実にしての臨時都議会の招集反対と流会騒ぎ、次いで8月30日の横浜市長選挙で敗れた自民党横浜市議団が見せた林文子新市長に対する挨拶受け入れ拒否、さらに国政レベルにおいても特別国会を前に議員控室の割り振り・総入れ替えをめぐって抵抗を続ける自民党国会対策委員会といった具合で、いずれも男性中心の保守党政治家による駄々っ子ぶりが目に付く。そのため拗ねるといった、大人の女性に見られるような色っぽさは感じられない。地方ではなく東京横浜で起きていることも特徴だろう。
 間もなく、先月30日の総選挙で選ばれた議員による特別国会が始まる。衆議院では正副議長の選出や委員長人事などが予定されている。歳費という高額の国税を消費し税金の配分に絶大な権力を振るってきた旧政権与党の政治家達がこれらをめぐっても同様の騒ぎを引き起こすか、未練がましい駄々っ子ぶり・幼児化現象をいつまで続けるか、その諦めぶりが注目される。

◎一歳児(7)2009/07/18

 子ども達の性格がいつどこでできるものか、そのことに保育園や保育士がどのくらい関わるものか、いつも不安を抱えながら仕事をしている。子ども同士を眺めて比べることは、その目的を誤ると大きな問題を引き起こす。親が自分の子どもと他人の子どもを比較するのはあまり意味がない。あるとしたら、それは自分の顔を鏡で見て点検するくらいの意味だろう。優劣のための比較は、子どもにも自分にも不幸をもたらしかねない。
 しかしだからと言って全く無関心なのも困る。最低限、自分の子どもを見守ることと思いやることくらいはして欲しい。こういう話は時に若い母親に対する非難とか批判と受け取られかねない。今どれくらい若い母親が大変な状況におかれているか、厳しい状況にあるか知らない者の言うことだと叱られそうだ。それでも、仕事を優先して子どもはその次というのは普通ではない。おかしいと思う。
 朝、オムツを汚したままで保育園に子どもを預ける母親がいる。そのことに気づかないとしたらこれも問題だ。気づいていて、それを黙っているのも人間としては問題だ。アトピー性皮膚炎で見るも可哀想なほど顔から首から腕からそこら中が腫れたり、ただれている子どもを時々見かける。その子どもを朝、「ハイ、これ薬です」と、それだけ言って預けてゆく母親もいる。こういう話は挙げ出したらきりがないほど目に付くし、報告される。保育園としてどこまで踏み込んで対応すべきなのか迷い続けている。
 もっと気になることがある。大勢の子どもを見ていると否応なしに発達遅滞や異常行動の問題にぶつかる。長年の経験で、歩き始める時期や言葉を話し始める時期にかなりの差があることは知っている。だからさほど心配しない。それは子どもの表情や周囲への反応を見ているとだいたい見当がつく。この点だけは恐らく母親よりも保育士の方が気づくのが早いだろう。毎日接していると勘のようなものも働く。
 問題は気づいた後である。親とのよほどの信頼関係がないと迂闊なことは口に出せない。連絡帳に何かそれらしいコメントがあるとか、親の方から何かありませんかと聞かれれば、遠回しに家での様子を聞いてみるといったことも可能になる。しかし朝は忙しいから親の側にその準備がないと無理だし、夕方も時間が遅くなると担当者の都合もあってなかなかすぐには機会をつくれない。
 そんなときは毎日毎日、昨日の感想は何かの間違いではないか、思い過ごしではないか、きっと取り越し苦労だろうと考えたり、表情や反応が昨日よりもよくならないかと精一杯だっこしてあげたり、おんぶしてあげたり、遊んであげたりして見守るしかない。そして、もう少し自分の子どもと向き合って一緒に過ごして欲しいと願うしかない。(終)

◎一歳児(6)2009/07/15

 日本人の寿命が驚異的に延びた一方で、見かけは普通でも排泄の感覚が麻痺してしまうお年寄りが増えた。自分では小便や大便の始末ができないため、どうしても周りに苦労を掛けることになる。そのお陰なのか、あるいはその逆なのかは知らないが、近頃のオムツは至極快適にできている。付けて快適なだけではない。オムツをしていることが分からないくらいに薄い。初回の記事には書かなかったが、竹ちゃんの子どもの年齢が分からなかった理由のひとつはこのオムツの薄さにある。顔立ちが幼児を思わせ、お尻もすっきりしているとなると、どうしても3歳ぐらいの子どもを想像してしまう。
 子どものオムツの進化はこれだけに止まらない。最近は乳児でもプールに入れて遊ばせる。昔だったら何も付けずにすっぽんぽんだったと思うが、今は専用の水着オムツがある。思わずお漏らしをする子も多いはずだが、プールを汚すことはない。商売熱心なスイミングスクールが乳児の時から水に慣れさせましょう、水に親しみましょうと顧客増やしに努め、それに合わせて開発した商品らしい。
 しかし決してよいことばかりではない。知人の幼稚園長は入園の条件にオムツの非着用を挙げている。年少組に入る3歳までに排泄のしつけを完了させてくださいと親に要求している。ところが、この快適オムツが災いになって、しつけがうまく進まない事例が出ているという。幼児本人がオムツをいやがったり、オムツに大小便をしたら気持ち悪がることが排泄のしつけの要点である。子どもがそう感じ始めれば程なくしつけは完了する。睡眠中もお漏らししまいとするから眠る前にトイレへ行く。
 ところが普通のパンツと変わらない履き心地があって、お漏らししても不快感がない、そんな便利なオムツを使い出したらいつまでたっても卒業する必要もないし、卒業しようとも思わなくなってしまう。お年寄りもオムツを付けるまでは嫌がり激しく抵抗もするが、一度その使い心地を知ってしまうとあとは坂を下るように羞恥心も失せ、排泄の感覚も一層麻痺し、益々老いてゆくという話もある。
 子犬を持ち出すのはどうかと思うが、あんな小さな幼い犬でさえしつければ家の中では必死になってオシッコを我慢する。同じことが人間の子にできないはずがない。あまり便利な新製品に頼るのは結局、しつけの手を抜くのと同じことになる。個人差はあるにしても、オムツが取れる取れないの差は何よりも、幼児本人が自分が出した汚物をどう感じるかだといことをもっと知る必要があるだろう。(つづく)

◎一歳児(5)2009/07/14

 夕方6時を過ぎると、保育園では補食を摂らせる。ちょっとした、おやつのようなものである。乳児の場合は粉ミルクを溶いて飲ませるが満12ヵ月を過ぎると、こちらもおやつに切り替える。心配性の保育士の中には一週間分のメニューをお昼と補食に分けて保護者に示し、食べ慣れないものが混じっていないか、過去に問題を起こした食品がないか、よく点検して欲しいと頼んでいる。
 しかし食材に注文が付いたという話は滅多に聞かない。多くの親はそれどころではない、というのが実情のようだ。乳児ではないが、朝からカレーの臭いを漂わせて保育園へ来る二三歳児もいる。顔見知りの子はたいてい「○○せんせー」と駆け寄って来て頬ずりなどをしてもらう。だから朝、家で何を食べさせてもらったかがすぐ分かる。私立の中には園長が信念をもって親の指導に努めるところもあると聞く。だが、公立の場合は何事も大過なくが基本である。家でどう過ごすかは役所の責任範囲ではない。何も食べてこないよりはましだろう、と近頃は半ば諦めている。
 さて例の固太りの子が目出度く1歳の誕生日を迎えた日のことである。その日から補食も固形物に替わった。その日の補食は小さなお煎餅が2枚だった。1枚を口に入れ舐め回していると、溶けていつの間にかなくなってしまった。すぐに、もう1枚を口に入れた。その間、1分もかからなかった。その子は3枚目をねだった。「もうないの」と言っても承知しなかった。納得させるために、そこら中の引き出しを開けたり、箱をひっくり返したりして見せた。しかし承知しなかった。
 物足りないのだ。胃袋に消化液があふれ、口に唾液が溢れ出て身体が納得できない様子だった。大きな身体の子どもに味だけは一人前の、しかし量としては中途半端なものを食べさせるのは罪である。こちらも迂闊だったが、事前に気づいたとしてもどうすることもできない。決められたとおりの時間に、予め準備されたものを決められた通りの手順で食べさせるしかない。大人でも海老煎餅などは一枚食べると、止めどなくいつまでも食べたくなって困る。最後は「ゴメンね、もうないの」と何度も謝り、抱きあげ抱きしめて補食の部屋を出た。(つづく)

◎一歳児(4)2009/07/13

 生後数ヵ月から一歳未満の子ども達を何人もまとめて長期にわたって観察する機会は乳児院か保育園ぐらいにしかない。小児科医には地域の乳児に広く接する機会が与えられていても、定期検診か親が子どもに何らかの異常を感じたときでなければ訪れることはない。それに何人かの子どもをまとめて診るということもない。異常が解消されれば来なくなる。保健所が行う定期検診でも事情は同じだろう。だから保育園に預けている乳児のことを一番よく知っているのは母親かまたは担当の保育士ということになる。
 全部で8人いる乳児の中に目立って大きな女の子がいて、もうすぐ誕生日を迎える。つかまり立ちもできるし、元々が活発な子でよく動き回るから目が離せない。保育園に来たのはまだ這い這いができる前だったが、まるでオットセイか何かのように大きな身体でごろごろと転げ回った。とても同年齢とは思えないほどの体重がある。小さな子が下敷きにされ、窒息するのではないかとハラハラした。
 この子の姉も保育園にいるが決して身体は大きい方ではない。ごく普通の体格をしている。母親に聞くとずっと母乳で育ててきたという。保育園にいる間はミルクを飲ませたが、家ではつい最近まで母乳だけだった。両親の体格も普通である。いわゆる固太(かたぶと)りなのかも知れない。決してぶよぶよしたところはなく、肉付きは固く締まっている。しかも性格が猪突猛進型なのか、目の前に乳児が寝ていようが遊んでいようが構わずに真っ直ぐ這ってゆく。欲しいと思えば腕力で奪ってしまう。
 最近はこれに頭突きが加わって閉口している。どこで覚えたか相手の子におでこをがつんとぶつける。本人はどうも遊びか挨拶のつもりらしい。しかしぶつけられた方はたまらない。驚いて火がついたように泣き出す。「わぁ、またやった」と保育士が現場に急行して宥(なだ)める。乳児の世話は一人で3人の子を委されるが、この子だけはそうもいかない。人一倍手が掛かる。
 しかし憎めない子でみんなが気に掛け、みんなから可愛がられている。夕方には姉も顔を見せ、部屋の隅から心配そうに覗いてゆく。ちょうどその頃に人一倍大きなウンチをしてみせるのも、この子ならではの技と言えるだろう。(つづく)

◎一歳児(3)2009/07/11

 保育園に預けられた乳児がいわゆる人見知りをしなくなると、今度は保育士への甘えっ子競争が始まる。知恵が付くということの発現でもあろう。子ども同士で張り合い、競い合って保育士の奪い合いを始める。集団における生存競争に初めて参加した記念すべき瞬間でもある。こんな芸当は一日の大半を家の中で母親と過ごす一般の子どもには全く想像も付かない、保育園に預けられた子どもなればこその知恵であり経験と言えるだろう。こうして子どもたちは集団の中で逞しく育ってゆく。これが保育園における保育の特徴であり、利点でもある。
 しかしこれを利点として単純に喜んでよいかどうかは、保育士たちも自問自答しながら過ごしている。中には朝の7時から夜の7時まで一日の半分12時間を保育園で過ごす子どももいる。自宅に帰るのは夜の眠る時間とその前後だけである。この点だけでいうなら猛烈サラリーマンの父親とあまり差がない。早い子は生後3ヵ月目からこうした生活を始めている。
 知恵が付くということは当然、どんな知恵が付くのかその中身が問題にされなければならない。無垢の子どもが有垢の子どもに変わるのが知恵が付くという言葉のもうひとつの側面でもある。責任の大きさ、事の重大さを思うと「眠れなくなります」と漏らす保育士もいる。メディアが伝える小学生や中学生のよくない噂を耳にするたびに「自分が接した子どもではないだろうな、ないはずだと祈ってしまう」という。(つづく)

◎一歳児(2)2009/07/09

 竹ちゃんの子どもは生後10ヵ月だった。両親の膝の上を時々行ったり来たりしながら物珍しそうに自分を覗いて声を掛ける見知らぬ大人たちを見つめていた。恐れるでも恥ずかしがるでもなく、実に大人しく膝に収まっていた。法要が始まり読経が始まっても子どもの様子は変わらなかった。幼い頃、何かにつけて母親を困らせたという自分の子ども時代を思うと、そこには雲泥の差がある。竹ちゃんの子どもは母親の仕事の都合で、生後6ヵ月を過ぎたときから病院の保育園の世話になっているという。
 いま保育園には同じ年頃の子どもが大勢預けられるようになった。早い子どもは生後2ヵ月から保育園ボーイや保育園ガールを余儀なくされる。入園した当初は大変である。毎日毎日泣いている。朝から夕方まで休むことなく泣き続ける。泣きやむのは疲れて眠るときだけだ。目を覚ませばまた泣き始める。最初は保育士も途方に暮れるが、簡単に泣きやむことはない。
 泣くのは生後2ヵ月で入った子も8ヵ月で入った子も変わらない。ところが入園して何ヶ月か経つうちに、だんだん泣かなくなる。朝のうち親と別れてしばらくの間は泣いても、そのうちに泣きやんでしまう。保育園という環境に慣れるのか保育士に慣れるのか、とにかく泣くことが急激に減ってしまう。そして2ヵ月で入った子が、後から入った自分より大きい8ヵ月の子の泣く様子を不思議そうに見ていたりする。
 今年も4月には1歳未満の乳児が何人も新しく入園してきた。そしてどの子も慣れるまで毎日泣き続けた。そんな新入園児を尻目に、前年度から園に預けられている同じ年頃の子どもたちは皆お気に入りの担当保育士に寄り添ったり甘えたりしながら、いっぱしの先輩面をして保育園での時間を過ごしている。どうせ保育園に預けなければならない事情があるとしたら却って早いほうが子どもにはよいのかも知れないと思うひとときでもある。(つづく)

◎一歳児(1)2009/07/08

 久しぶりに乳幼児の観察記をお届けする。前回はいつだったか、すぐには思い出せない。多分、大型連休前の4月に書いた「月曜日の保育園」だろう。今度は這い這いから伝い歩き、そして目出度く自力で立ち上がって万歳、となる辺りの乳児のことを記してみたい。
 きっかけは先週末の法事である。伯母の七回忌(しちかいき)に出かけた。伯母は大勢の子どもを授かったが、次女だけは運悪く大病に冒され不遇だった。伯母の後を追うように6年前の同じ月に亡くなった。伯母が案じて、一緒にあの世へ連れて行ったのだろうとか、呼び寄せたのだろうと噂した。
 この従姉妹には一粒種の男の子があった。仮に竹ちゃんと呼んでおこう。従姉妹は連れ合いに先立たれたため、幼いときから女手ひとつで竹ちゃんを育てた。素直なよい子だった。伯母も従姉妹の姉妹達もみんなで応援した。竹ちゃんは、母親が不治の病に冒されると独りで親の世話をした。長い闘病生活が続いた。竹ちゃんは、これから結婚もという年齢に達していたので、周りは気が気でなかった。先ほどの噂には従姉妹達のそんな思いも混じっていよう。
 法要の席で、少しやせてスマートになった竹ちゃんに6年ぶりに再会した。隣には可愛らしい女性が座り、膝に幼いが実にはっきりした顔立ちのまるで人形のように小さい男の子を載せていた。(つづく)

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/04/20/ 月曜日の保育園(1)

月曜日の保育園(5)2009/04/24

 真夏になると強い日射しを浴びながらの散歩は難しくなります。早起きして、まだ涼しいうちに散歩を楽しむことになります。そんなときのために今から、木陰のある公園や散歩道を探しておくとよいでしょう。大きな公園や広い公園なら鬼ごっこをしたり、風船のような軽い大きなボールを使って親子で一緒に遊ぶことができます。芝生に寝ころんで大きな青空を眺めることもできます。
 近所の散歩と言っても、日射しを浴びて歩けばきっとくたびれることでしょう。お腹も空くでしょう。家に帰ったら急ぎ手を洗って、食事の前にみんなで一緒にちょっと横になってもいいし、食事の後のお昼寝でもよいでしょう。パパやママとお昼寝ができるなんて、子どもにとっては最高の贅沢です。何の心配も不安もなく、文字通り夢の世界に浸りきることができます。
 お休みの日の食事は簡単なもので構いません。お金を掛ける必要もありません。お金に幸せを感じるのは他の幸せを知らないか、それを忘れた哀れな大人の話です。近所の八百屋さんで季節の野菜や果物を買い求め、親の手で千切ったり刻んだり軽く調理して食べさせてあげましょう。そうすれば子どもは普段の気疲れも身体の疲れも抜けて、また明日から保育園や幼稚園で今度は友だちと楽しく過ごすことができるのです。(完)

月曜日の保育園(4)2009/04/23

 子どもと一緒に散歩するときは、なるべく子どもの背の高さに目線を下げて、その位置で住まいの周りを眺めるとよいでしょう。それが子どもの網膜に映し出される町の風景です。きっといろいろな発見があることでしょう。道の上にも、道の脇にも、路地の隅にも、よその家の庭先にも、植え込みにも、多くの新しい生命が春の息吹を感じさせてくれます。小さな虫たちが活動していたり、草花が芽を出したり、豆粒のような可憐な花が咲いています。子どもはそれを目敏く見つけ、楽しんでいます。
 子どもが成長して3歳ぐらいになったら肩車をしてあげるのもよいでしょう。大人には首が痛くなる結構きつい労働かも知れませんが、大人の目線で見る高みの世界は子どもにとっては驚くことばかりです。大人が両足をしっかり支えることで親子のきずなをさらに深める効果もあります。但し無理強いは止めましょう。そんなときは抱き上げて、親の腕の中で大人の目線に近づけてあげます。
 こうして自然の移り変わりを家族揃って楽しむことができれば、他の人には真似の出来ない、その家族だけの充実した一日となるはずです。その日、ついさっき一緒に体験したこと・見聞したことを子どもと話し合ったり、思い出して楽しむことができます。共通の話題をもつことで夫婦の会話も弾みます。自然に「またパパと行こうね」とか「また一緒に行こうね」といった言葉が出てくるでしょう。それを子どもは、にっこりと笑顔で受け止めてくれるはずです。それで十分ではないでしょうか。そういう時間を幼い子どもは求めているのです。