インフルエンザA型2013/01/19

備忘録より

 1月11日(金) 朝、いつも通り電車で出かける。17時半帰宅。今週は休み明けのせいか喉に負担を感じる。夕食後、「劔岳 点の記」を観る。

 1月12日(土) 午前中、クルマで外出。郊外店で赤玉土を求める。店内は客が少なく静か。昼過ぎから近隣の新年会。出席が定刻をだいぶ過ぎてしまい、食べ物の量がだいぶ少なくなっている。オードブルや菓子類は豊富。ビールを飲みながら親しい友人・知人と談笑。夕方までに250ml缶3本を空ける。18時過ぎ帰宅。机に向かっていると、背中の辺りが妙にぞくぞくする。夕食は軽めにし、暖かくしてすぐに床に就く。咳が少し出始める。

 1月13日(日) 咳が段々ひどくなり、発作が始まると苦しいほど。背中のぞくぞくも止まらないが、ほかにこれといった変化もない。喉も痛くないし、鼻が詰まるわけでもない。終日、机に向かう。夕食後、入浴。

 1月14日(祝) 夜明け前から雨の音がする。目を覚ますと汗をぐっしょりかいている。咳の発作は収まり、時々出るくらいの症状に和らぐ。10時過ぎ雨が霙に変わる。雨戸を閉める。昼過ぎ、外の雪景色に気づく。風の中を雪が時に激しく時に優雅に舞っている。そのまま降り続き、夕暮時には数センチかもっと積もったようにも見えたが再び雨に変わって、枝に降り積もった雪はあらかた姿を消してしまう。終日、机に向かう。時々悪寒。

 1月15日(火) 今朝も布団の中で汗をぐっしょりかいていた。朝のうがいをすると、やや黄色の痰が少し出る。消え残った雪が凍り大渋滞が続く悪路の中を棟梁御大がわざわざお出まし。屋根周りの修繕について打ち合わせる。昼食後休息したが悪寒が続くので体温を測ってみると37.4度もある(14時50分)。どうやら感冒に罹ったらしい。昨年10月には診療所でインフルエンザの予防注射をしている。今度は何の雑菌だろうか。
 急ぎ近所のクリニックを訪ね診察を受ける。診察後、若先生からインフルエンザの検査を受けるよう勧められる。10分ほどで結果が分かるとのこと。先週あたりから急にインフルエンザ流行の兆しが見られるらしい。喉にも少し発赤があるとのこと。検査キットが用意される。袋を破き、先に脱脂綿のようなものが付いた細長い金属棒を取り出すと、これを鼻の奥まで突っ込んでコチョコチョとしばらく掻き回す由。ティッシュも渡され、くしゃみはこれで押さえるようにと指示を受ける。痛いほどでもないが苦しくて何度もくしゃみが出そうになった。
 再び呼ばれ、検査結果の説明を受ける。「やっぱりA型ですね」との宣告あり。Cマークも見えたが、これは検査が成功したサインだとか。タミフルを朝晩2回5日間(計10錠)服用すること、また今晩あたり高熱が出る可能性があるのでそのときのために解熱剤2回分、以上の処方箋を渡される。タミフルは症状が治まっても止めずに最後まで飲みきるよう注意を受ける。途中で止めると家族などにうつす危険性が高まるらしい。特に幼児や高齢者がいる家庭では注意が必要。
 また「すでにご家族にうつしてしまった可能性も否定できないので同様の症状が見られたらすぐに受診してください」とも言われる。初診料を含め1,900円。薬局でタミフルと解熱剤(後発医薬品)を受取る。再び、必ず5日分飲みきるようにとの注意あり。また解熱剤服用の目安を38.5度以上と教えてもらう。薬代など1,320円。
 夕方37.6度(18時50分)に上がる。夕食後、タミフル1錠を服用して床に就く。なかなか眠りに入れない。

 1月16日(水) 昨夜は果たして眠ったのだろうか。いつまでも手足が冷たかった。小用にも起きた。寝汗はなし。洗顔のとき、黄色の痰の小さな固まりがいくつか出る。朝食後、2錠目を服用。検温36.2度(9時10分)、ほぼ平熱に戻る。これが劇的に効くと言われるタミフルの力によるものであることは明らか。だから油断して(あるいは恐くなって)途中で服用を止める人も少なくないのだろう。咳は急に暖かな部屋に移動したり、蒸気を吸い込んだりしたときに出るのみ。ただし関節などに発熱の後遺症の残る感じがして歩行がぎこちない。

 1月17日(木) 朝の排便がいつもより柔らかな気がする。ほかは特段の変化なし。検温36.3度(19時10分)。夕食後の服用でようやく半分の5錠を飲み終えたことになる。まだ金土と日曜の朝が残っている。久しぶりに入浴して眠る。

 1月18日(金) 今朝も排便が少し柔らかだった。咳は温度変化に接したとき出るのみ。歩行は膝の関節にまだ影響が残るようだ。が、それも夕方には消える。

 1月19日(土) 排便の固さが平常に戻る。時に咳の出ることもあるが音や苦しさが従前とはまるで異なる。検温36.5度(16時)。


夢と希望と絶望 (4)2012/11/18



 いまの日本で夢といえば何だろうか。財務省が今月9日に発表した「国債及び借入金現在高」(平成24年9月末現在)の983兆円が一夜にして消えることだろうか。日本の人口は昨年より26万3,727人も減って1億2,665万9,683人になったというのに、使う方の借金だけは相変わらず増え続けている。国民一人あたりで計算すると776万円を超える金額となる。

 人口は人の命を数えることだから、ただの一人も省くことなく全てを書き出した。しかし借金の方は庶民の金銭感覚とは無縁な桁違いに大きい数字だから兆の単位で切っている。だからこれが正夢となって本当に983兆円が一夜にして帳消しとなっても、まだ日本国には2,950億円の借金が残ることになる。これを「その程度の少額に」とか「何と細かなことを」などと官僚や政治家のように笑い飛ばしてはいけない。これが逆の貯金だったら、国民一人あたり2,329円の払戻しが受けられるのである。

 庶民の暮らしと縁の深い郵便貯金(ゆうちょ銀行通常貯蓄貯金)で考えてみよう。いまこれだけの金額を利息として手に入れるには一体どれほどの貯金をすればよいだろうか。郵便貯金の適用金利は0.035%(10万円以上・2012年11月12日現在)である。仮に100万円預けても1年に350円しか利息は付かない。税金まで考えれば800万円預けても、それでもまだ届かない金額を生み出すものが、貯金ではなく借金の端数として残っているのである。借金本体983兆円の利息がいくらになるかと聞かれても多くの国民は想像すらつかないのではないだろうか。(つづき)

 ⇒ http://www.mof.go.jp/jgbs/reference/gbb/2409.html(平成24年11月9日 財務省報道発表)
 ⇒ http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01gyosei02_02000042.html(平成24年8月7日 総務省報道資料)
 ⇒ http://www.soumu.go.jp/main_content/000170582.pdf(住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数)
 ⇒ http://www.jp-bank.japanpost.jp/cgi-bin/kinri.cgi(ゆうちょ銀行 金利一覧)

夢と希望と絶望 (3)2012/10/04

 漢字の「夢」は草冠ではありません。部首は「夕」です。なぜ夢が草冠なんだろうと思っていた人は、夕部と聞いてすっかり納得した気になっていませんか。実は「夢」という字ももともとは寐の字の「未」の部分に収っていた部品にあたる文字でした。ですから寝るという字の親戚にあたる文字ということができます。

 「寝」も今は略字で記されますが、もとは同じように「爿」を書いていました。しかしその都度、冠の「宀」を書いたり「爿」を付けたりするのは面倒だと思う人が多かったのでしょうか。家の中に置かれた寝床を示すこれらの部分を略して、もっぱら部品の「夢」だけを記すようになりました。

 この夢という文字は夜の暗さを表していて、蔑と夕とを組合わせた形になっています。蔑は蔑視の例からも分かるように余りよい意味の文字ではありません。元々の字義は目に光がない、目がよく見えないの意ですから、これと夕を組合わせることで夕闇の暗さを表そうとしたのです。

 ですから元の音は「ベツ」と「ボウ」でしたが、「ベツ」の方が「ム」に変わったと考えられています。この字の音は何かと聞かれたら十人が十人「ム」と答えそうですが、「ム」は慣用で使われる音で、漢音は「ボウ」です。

 ついでに言えば、人偏に夢と書いて日本では「はかない」と読ませていますが、この儚という字も同様に暗いことを示しています。但しこちらは人偏ですから、暗い原因は光ではなくて人の心です。迷いがあって明るくならないさまを指します。例えば儚々(ボウボウ)と言えば文字通り心に迷いがあることです。(つづく)

                       メロンのお尻です…

発芽率85%以上--大根日記(6)2012/09/30

 前回からだいぶ間が空いた。特に初回からは20日以上が過ぎてしまった。箱庭の畑ではなく、8月の中旬に蒔いた本物の大根畑の現在の様子をお目にかけよう。右側の列にいくつか見える何もない穴が、種子の袋に記載されていた発芽率85%以上(つまり100%でないこと)の証拠だろう。あと1ヵ月もすれば大きなものは抜いて食卓に並べることができそうだ。


夏から秋へ--蕎麦っ喰い(4)2012/09/29

 シリーズ最終回は蕎麦というものの由来がテーマである。蕎麦というものと書いたが、この語には植物名としてのソバ、食料としての「そば」(干そば・生そば)、蕎麦屋や自宅で食べる料理としての蕎麦、の三つの意味がある。英語で言えば buckwheat(植物)、soba noodles(食料)、soba dishes(料理)の三つを指す。

 植物としてのソバの原産地は中国南部の四川省から雲南省にかけての山岳地帯、あるいはさらに西方の中央アジア辺りと考えてよいだろう。いずれもイネの栽培に適さない、冷涼な気候の高原や山岳地帯である。現在もこれらの場所ではソバの栽培が盛んに行なわれている。

 日本列島への伝来がこれらの場所から漢字圏を経由して行なわれたことは呼称としての蕎麦から容易に想像がつく。漢名の蕎麦(ケウバク)に対し、列島の先人達が与えた呼称は「ソバムギ」といわれる。平安時代の承平年間(931~938)に成立した「倭名類聚鈔」を繙くと、漢名の見出しに続けて「出崔禹」と出典が明記されている。インターネット上にごまんと並ぶ怪しげな解説とは大違いだ。


 出典の「崔禹」は「崔禹錫食経」の略称である。この書は7~9世紀頃、中国の崔禹錫という人物によって成立したものらしいが現存しない。しかし引用先の書物に記された出典を便りにその内容を再構成してゆくと、どうやら食用となるさまざまな穀物や果物や菜根類や虫魚や獣禽の食べ方などを記していたことが推測できる。

 ところで「倭名類聚鈔」は皇女の命を請けた源順(みなもとのしたごう)によって編纂され朝廷に献上された辞書である。呼称には「ワミョウルイジュショウ」「ワミョウルイジュウショウ」の両様あるが、単に「和名抄」とも呼ばれる。この辞書の出典の次に見える万葉仮名の「和名曽波牟岐」が日本名、すなわち当時の呼び名にあたるソバムギを示している。中国ではソバを麦の仲間と見て、これに薬草の一種である蕎を冠し蕎麦と呼んだ。日本列島の先人達も、これをそのまま麦の仲間と考えていた。源順が遺した辞書はそんなことを教えてくれる。

 では「そば」とは何だろうか。数ある「そば」の中で最もソバに関係がありそうなものは、平安末期に成立し編者不詳の漢字字書「類聚名義抄」が伝える「稜」の字義である。物のかど、つまり尖ったところの意であるという。ソバの実(種子)に由来する命名ではないかと想像できる。過去の記事でも述べたが、中国と日本では全く同一の物を指す場合でも命名の視点の異なることが多い。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/24/ こぶし・拳・辛夷 (1)
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/25/ こぶし・拳・辛夷 (2)
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/26/ こぶし・拳・辛夷 (3)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/10/12/ こぶし・拳・辛夷 (4)

 彼の地ではソバを薬草に似た麦と見、列島の先人達は食料になる実の部分に着目した。そして時代が下るといつの間にか「ムギ」は略され消えてしまった。これこそが植物としてのソバが食料として一般に普及し、さらには料理名へと変化してゆく過程であろう。ついでに言えば英名は「くろんぼ麦」とでもなろうか。日本人と同じく種子に注目した命名だが、形ではなく色の方である。(完)

夏から秋へ--蕎麦っ喰い(3)2012/09/28

 少し間が空いてしまった。今日は蕎麦そのものの話題ではなく、蕎麦っ喰いの「喰い」の部分について考えてみることにする。都内の蕎麦屋の広告に「のど越し、歯ざわり、香り… 蕎麦っ食いを うならせる 蕎麦」というのがあった。「のど越し、歯ざわり、香り…」の三つに惹かれ、感心しながら眺めていると同じ文句が他の場所にもあることに気づいた。但しこちらは「蕎麦っ喰いを」であった。「食い」を「喰い」と口偏を追加するだけで随分と印象が変わるものである。

 口偏があろうがなかろうが、この「そばっくい」という表現には使う人の自嘲が二三分・自尊が七八分くらいは込められているだろう。そんな感じのする言葉である。同じ「くい」でも面食いとなると、選り好み・器量好みの人を指し、男女を問わず顔立ちの美しい人だけを選りに選って好むことの意となる。その点、「そばっくい」の選り好みはどうであろうか。蕎麦にも人間でいうところの器量のようなものがあるのだろうか。

 ところで喰なる文字は漢字ではない。つまり食に口偏を付けたのは他ならぬ我が列島の先人の仕事である。食は器に盛られた「たべもの」の形から始まったとする説があり、食べるという動作を示すのは後のこととされる。先人は、そこに何か一抹の物足りなさを覚えたのかも知れない。こうした日本製文字の仲間には噺、峠、裃、凩、榊、鰯、麿、働などいろいろあるが、いずれの字形も一定の視覚的な特徴を備え何より分かりやすいことが特色である。これらは一般に国字と呼ばれ、大陸製の生っ粋の漢字とは区別している。

 日本製は字形の案出だけに止まらない。例えば口偏に出ると書く咄も国字ではないかと思いたくなるが、文字としては歴とした大陸製の漢字である。ところがこの文字には「はなし」とか「はなす」といった意味は含まれない。原義は叱るとか、驚きの声を発するの意であって、日本で字形だけを流用して使ったのである。このような原義を離れた訓は国訓と呼ばれ、著名な例に鮎がある。日本では「あゆ」専用だが、中国では「なまず」を指す文字として使われている。

 なお日本製の国字には訓はあっても音は最初から存在しない。もし音読みされるものがあれば、必ずそれなりの事情が隠されている。最近のいい加減な字書や字引の中にはそうした事情を調べることなく、勝手に音を付けてしまったものが混じっている。安易な字書づくりが文字の歴史まで歪めていることに注意したい。(つづく)


リヴ・タイラーと絵本--人気女優の子育て事情2012/09/26

 今週初め、見慣れない雑誌が一冊転送されてきた。雑誌のタイトルは"GOSSIPS"、一目見て若い女性向けと分かる体裁のファッション誌であった。が、それにしてはタイトルが刺激的である。表紙をめくると、米国発行の"US WEEKLY"と独占提携している旨の説明が目に止まった。同誌は米国のセレブ(celebrity)と称される人々の最新動向をファッションを中心に紹介する週刊誌である。届けられたのは、言わばその日本語版ダイジェストといったところだろう。但しこちらは月刊で、その2012.11号だった。

 ページを繰ると、セレブ達のさまざまなデニム姿が紹介されている中に、この手の雑誌には珍しい「セレブがオススメ! 秋の読書週間」と銘打った見開きページが出てきた。「読書好きのセレブたちがオススメする愛読書を大公開!」とも書いてある。そしてエマ・ワトソンは「星の王子さま」、ドリュー・バリモアは「夜と霧」、ナタリー・ポートマンは「アンネの日記」、ラナ・デル・レイは「思考は現実化する」、ウィル・スミスは「アルケミスト 夢を旅した少年」といった紹介に混じって、「もしゃもしゃマクレリー おさんぽにゆく」を勧めるリヴ・タイラーの写真があった。これが我が家に転送されてきた理由だった。

 リヴ・タイラーは「アルマゲドン」や「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズに出演し日本の洋画ファンにも人気の高いハリウッド女優だが、彼女がユニセフ(UNICEF・国連児童基金)による子どものための活動(日本では黒柳徹子さんの活動が著名)や女性のための乳ガン撲滅運動(この活動には彼女の母や祖母も参加)に熱心に取り組んでいることは日本ではあまり知られていない。

 彼女がこうした活動に熱心なのは自分でも出産を経験し、実際に子育てをしていることの影響が大きい。2003年春にミュージシャンのロイストン・ランドン氏と結婚し、翌04年暮れ一子マイロ(Milo William)君に恵まれた。ランドン氏との生活には破局も伝えられたが、彼女自身の生い立ちから来る複雑な思いを子どもにだけはさせたくないという気持が強く、精一杯の子育てに努めている様子が"US WEEKLY"に掲載された親子のスナップ写真からもうかがえる。

 彼女はマイロ君との時間を大切にしていて、パーティにおける彼女のゴージャスな服装の解説を読むと、「今週、リヴは煌びやかなパーティーに出席して赤いじゅうたんの上でポーズをとるよりも、ジーンズ姿で息子のマイロ君とマンハッタンを散歩することに多くの時間を費やしました」といった調子のコメントを時々見かける。そんな彼女がマイロ君のために読んであげる絵本、親子で一緒に楽しむ絵本が"Hairy Maclary"(邦題:もしゃもしゃマクレリー)なのである。


 この絵本は今から29年前の1983年にニュージーランドで初めて出版され、主人公のマクレリー(テリア犬)はたちまち英語圏の子どもたちの人気者となった。(彼女自身も犬を飼っているからマンハッタン近郊のウェストビレッジに行けば散歩中の彼女に遭えるかも知れない)が、ただの可愛い犬の絵本ではない。それは手に取って実際にめくってみると分かる。日本人のもつ絵本に対する先入観や常識が根底から覆されてしまう。(詳細は2009年11月24日の記事で紹介)

 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/11/24/ ドッドさんの絵本(2)

 しかしそんな優れた絵本でも、キングスイングリッシュ圏内での普及に比べると、アメリカンイングリッシュ圏内での知名度はさほど高くない。絵本のセンスもどちらかと言えば英国的である。愛息子のために、この絵本に目を止めた彼女の知性や母性に感心するほかない。ハリウッドの人気女優だけでは終わらないことを、彼女を追いかけるカメラマンの目が確信している。何より、そうした母子の成長を見守るレンズの目が温かい。これが、多くのハリウッド女優や日本の雑誌メディアと異なる点だろう。

 この絵本の日本紹介は2004年である。通訳もされる翻訳家佐藤綾子さんのご尽力により出版にこぎつけた。翻訳には小生も参加でき、いまこうして絵本が縁となってリヴ・タイラーさん母子と繋がったことに感謝している。

 ⇒ http://www.usmagazine.com/hot-pics/matching-uggs-2011211 (お揃いのブーツで)

夏から秋へ--酢橘(すだち)2012/09/25

 今年も徳島県佐那河内村から特産の嬉しい酢橘が届いた。しかもその量たるや半端ではない。地域の八百屋全てに卸してもまだ余りそうなくらい大量だ。とても我が家一軒では消費できない。かつてはどうしたものかと悩んだこともあったが、今は到着を待ち望む大勢の友人・知人がいてあっという間に消えてしまう。栽培の労を執られる方・鋭い棘も厭わず収穫し送ってくださる方の御厚意に深く感謝したい。

 ⇒ http://www.vill.sanagochi.lg.jp/ 佐那河内村


 我が家では届けられるとすぐに仕分けにかかる。特に大事なのが色づき加減と熟し具合だ。青黒いものは、たいてい皮も厚めで保存が利く。黄色みを帯び、つるっとした感じのものは皮が薄く、そのままがぶりと噛んで食べてしまう。これがなかなか美味い。徳島の秋が先ず上顎を撃ち、それから喉へと染み渡ってゆく。十月の末まで毎日、二三個はこうした食べ方を楽しんでいる。熟し始めているのか酸味もさほど強くなく、通の食べ方ではないかと自賛している。

 友人・知人へのお裾分けにもこうした少し黄色みのあるものが適している。どの家でも脂ののった秋刀魚の塩焼きに絞ってかけたり、焼酎の水割りに垂らしたりして三四日のうちには使ってしまうようだ。

 酢橘を切るときは実を横に寝かせて輪切りにする。こうすると袋が二つに切断され、汁が搾りやすくなる。縦に切ってしまうと汁を絞り出すのが難しい。梅酒ならぬ酢橘酒をつくるときも、二つに輪切りした酢橘に氷砂糖を加え三十五度の焼酎に浸しておく。焼酎が綺麗な黄緑色に変わったら実は取り出す。すぐに飲むか、そのまま少し寝かせるか迷うほどの量はつくっていないが、甘ったるさがないので料理の味を損ねることがない。


 酢橘は文字通り「酢」が身上の柑橘類だ。誰が命名したものかは知らぬが、まさに体を表している。ビタミンやカリウムなど豊富な栄養価もレモンの比ではない。近ごろは仮名書き流行りの世の中だから店先に並ぶときも「すだち」や「スダチ」と書かれるが、これでは酢橘の真骨頂は伝わらない。一人でも多くの皆さんに酢橘の味やこの栄養価が知れ渡り、漢字名が使われるよう祈りたい。

  がぶり噛み 喉に染み入る 酢橘の香  まさと

夏から秋へ--稲莚(いなむしろ)2012/09/22

 温暖化や亜熱帯化の影響もあるのだろう年々、稲刈りの時期が早まっているように感じる。その刈り取りの一週間か十日前の稲作地帯の景色はそれはそれは見事なものである。黄金色に輝く稲の穂が田んぼごとに絨毯でも敷き詰めた如くに見える。古代の人々はこの景色を稲莚と称した。

  小山田に風の吹きしく稲莚 夜鳴く鹿の臥し所なりけり  如願法師

 その稲莚がどこまでもどこまでも続いているのである。昨日もそうした光景を目にしたが、あいにくカメラをもっていなかった。そういえば昨年も一昨年もなぜか、稲穂が黄金に波打つこの季節にはカメラを持たずに出かけることが多い。そして黄金色の光景を目にして悔しがる。残念だが手元には、八郎潟のような広大な平野部の情景を収めた写真がない。それでも稲莚の大凡のイメージくらいは感じていただけよう。


 稲莚は秋の季題でもあるが、莚そのものが現代人の生活とは遠いものとなり、これを知る人も・そうした景色を思い浮かべることのできる世代も稀となった。この季語による雄大な情景の創出を期待することはもはや無理なのかも知れない。なおこの季題は、稲藁を編み上げて作った敷物としての稲莚をテーマにしているわけではない。枕詞にもされ、両方が登場する和歌の場合とはこの点の異なることに注意したい。

  稲むしろ 近江の国の 広さ哉  浪化

 この作者もまた先日の「秋の色」の句の園女と似て、芭蕉の影響を強く受けた江戸中期の俳人である。

敬老の日・祝日法--大根日記(5)2012/09/18

 さて私的な話題はこれくらいにして、話を本題に戻そう。敬老の日というのは「国民の祝日に関する法律」によって定められたものである。この法律は昭和23年(1948)7月に制定され、一般には祝日法とか国民祝日法と呼ばれている。制定当時の祝日は元日、成人の日、春分の日、天皇誕生日、憲法記念日、秋分の日、文化の日、勤労感謝の日の計8日である。残りの7日はその後の改正によって追加された。

 この法律は全3条から成る簡単なものだが、第3条だけは当初の「「国民の祝日」は、休日とする。」という至って簡潔な条文に、何遍読んでも理解できない2と3の二つの追加がなされ難解な内容に変わってしまった。これらは次のページで容易に確認できるから是非ご覧いただきたい。

 ⇒ http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html 昭和23年7月20日法律第178号

 第1条ではまず法律制定の目的に触れ、「自由と平和を求めてやまない日本国民」が「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるため」と述べている。制定当時の時代的な雰囲気を感じさせる文言である。また、そもそも「国民の祝日」とはなんぞやという点については「国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日」であると説明している。

 次に第2条では具体的な祝日をおおむね月日順に列挙し、その内容を簡単に述べている。それらの全てを今ここで取り上げる余裕はないが、全てが上記の3種類に収るような内容・説明であるかは疑わしい。例えば体育の日、あるいは文化の日はそれぞれの説明を読んでも祝う・感謝する・記念するのいずれに該当するものか判然としない。また春分の日と秋分の日の説明の差も庶民の感覚とは明らかに異なっている。とても第1条にいう「美しい風習を育てつつ」を考慮した説明には思えない。

 いろいろ言い出すときりがないのでこの辺で止め、本日のテーマである「敬老の日」に絞ると、この日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」と記されている。但しこの日は後の改正によって追加されたもので、昭和23年の法律制定当初から存在した祝日ではない。制定に先立つ同年2月3日の衆議院文化委員会で行なわれた祝祭日に関する最初の審議経過を振り返っても、敬老を伺わせるような表現や9月中旬の候補日は見あたらない。

 この日が追加されたのは祝日法最初の改正となった昭和41年(1966)6月のことである。何かと物議を醸(かも)した建国記念の日、10月10日と定められた体育の日と同時期の追加であった。因みに前年昭和40年の日本の人口構成を見ると、65歳以上が占める割合は6.3%でしかない。生産年齢と呼ばれる15~64歳が68.0%、14歳以下の年少人口も25.7%を占めていた。そういう活力溢れる時代の「敬老の日」であった。

 以来50年近く、日本の人々は右肩上がりの経済成長を信じ、自分はまだ十分に若い・働けると信じ、加齢には医療技術や製薬技術や美顔術などで抗(あらが)いながら、ひたすら消費に邁進した。そして、次の世代を生み育てる努力を怠ってしまった。これが、当初9月15日としていた敬老の日を平成13年(2003)6月の改正で9月の「第三月曜日」に切り替え、同様に1月15日の「成人の日」を1月の「第二月曜日」に切り替えた便宜主義的行動と通底することは容易に想像がつく。

 もはや「その日」に対するこだわりだけでなく、「国民こぞつて」感謝する・祝うといった意識までもが薄れてしまったのではないか。単に休日を増やすための方便に、これらの日が体よく利用されたに過ぎない。海の日や体育の日にしたところで似たようなものであろう。東日本大震災後、急速に広まった原発に対する不安も、もしかしたら「きずな」という言葉もこれと似たようなものかも知れない。これが日本文化の有り様だとしたらあまりにも寂しい。