夏から秋へ--稲莚(いなむしろ)2012/09/22

 温暖化や亜熱帯化の影響もあるのだろう年々、稲刈りの時期が早まっているように感じる。その刈り取りの一週間か十日前の稲作地帯の景色はそれはそれは見事なものである。黄金色に輝く稲の穂が田んぼごとに絨毯でも敷き詰めた如くに見える。古代の人々はこの景色を稲莚と称した。

  小山田に風の吹きしく稲莚 夜鳴く鹿の臥し所なりけり  如願法師

 その稲莚がどこまでもどこまでも続いているのである。昨日もそうした光景を目にしたが、あいにくカメラをもっていなかった。そういえば昨年も一昨年もなぜか、稲穂が黄金に波打つこの季節にはカメラを持たずに出かけることが多い。そして黄金色の光景を目にして悔しがる。残念だが手元には、八郎潟のような広大な平野部の情景を収めた写真がない。それでも稲莚の大凡のイメージくらいは感じていただけよう。


 稲莚は秋の季題でもあるが、莚そのものが現代人の生活とは遠いものとなり、これを知る人も・そうした景色を思い浮かべることのできる世代も稀となった。この季語による雄大な情景の創出を期待することはもはや無理なのかも知れない。なおこの季題は、稲藁を編み上げて作った敷物としての稲莚をテーマにしているわけではない。枕詞にもされ、両方が登場する和歌の場合とはこの点の異なることに注意したい。

  稲むしろ 近江の国の 広さ哉  浪化

 この作者もまた先日の「秋の色」の句の園女と似て、芭蕉の影響を強く受けた江戸中期の俳人である。

サンパ、ジョウハ、テンパ--大根日記(3)2012/09/12

 この見出しにピンと来る読者は、なかなかの教養人と言えるだろう。漢字で書けば撒播、条播、点播であり、いずれも作物の種子を「まくこと」を表している。前回、前々回の記事では種を「蒔く」と記したが、この文字に「まく」「ちらす」の意をもたせるのは日本だけである。よく知られる「種蒔く人」や「蒔かぬ種は生えぬ」のほか、工芸には「蒔絵」があって日本人には馴染みの深い文字といえる。だが、蒔植(ししょく)の例からも判るように苗の移植が本来の意味である。

 さて、先頭の撒播をサンパと読むのも実は慣用に従っていて撒の正式な音とは相違する。正式にはサッパとすべきだが、文字の印象からかサンパと読む人が多い。辞書にもこれを慣用読みとして掲載するものが多くなった。つまりはそれだけ日本人の漢字力が下がったことを示している。

 この原因は戦後の漢字「改革」にある。撒を使う人には白い目を向け、代わりに散を使うよう奨励した。こうして農業書などの記述にも散播が登場するようになった。だが散の意味は「ちる」や「ちらす」であって、種や水を「まく」ことではない。散水栓も散水車も散播も、文字を大切にする人には実にいい加減な表現と映ろう。公金を使った「文化」政策によって古い歴史をもつ言葉を次々に排除し、妙な新造語の使用を奨励した時代、これが戦後と呼ばれた時代のもう一つの姿である。

 話を元へ戻そう。撒・条・点の三文字はそれぞれ種子の「まきかた」を表している。撒はまんべんなくバラバラとまくこと、条は平行線でも引くように隣の列との間隔をとって真っ直ぐ一直線にまくこと、点は条に似ているが種と種との間隔も一定に保ちながらまくことである。JA京都・企画営農課の芦田さんの説明が分かりやすいので興味のある方にはお勧めしたい。


 芦田さんは難しい漢語の使用を止め、それぞれ「ばらまき」「スジまき」「点まき」と表現している。何より解説が丁寧で行きとどき、かつ論理的でもある。通販業者などが作る、にわか仕立てのページとは違うことがお判りいただけるだろう。


 写真は六日目の様子。箱全体に撒播(ばらまき)したつもりだが、仮に撒播が適切なまき方であったとしても合格点は取れそうにない。それに大根だから、この先どう育てるか思案に暮れるところだ。(つづく)

○寒桜・寒緋桜・緋寒桜・緋桜・冬桜2010/03/19

 今年の1月末、このブログで河津桜の紹介をした。その際、これを「緋寒桜と早咲き大島桜が自然交配して誕生した品種」と記した。花びらの薄紅色がソメイヨシノなどに比べてかなり濃いこと、開花の時期が大変早く寒中には咲き出すことで知られ近年、人気も普及も急上昇の桜である。

 こうしたことの影響もあるのか、このところこの「緋寒桜」によく似た言葉で「寒緋桜」という表現を目にしたり耳にする機会が増えている。文字の言葉に敏感な人なら、これらふたつの言葉の差が気になって仕方ないだろう。ふたつとも百年近く前につくられた辞書を開いてみても載っていない。どうやら、どちらも20世紀も後半になって使われ始めた言葉ではないかと思われる。しかし「緋桜」ならそうした古い辞書にも紹介されている。


 緋桜の特徴は第一に花びらの色が一般に知られるソメイヨシノより特に濃い緋色をしていることにある。呼称に緋という文字が使われるのはそのためだろう。元々は台湾や中国南部に自生している桜である。花びらの色の濃さだけでなく、その形も咲くときの姿も花の散り方も他の桜とはかなり異なったイメージをもつ。これが沖縄に伝わって琉球寒緋桜を生み出し、さらに鹿児島に伝わって薩摩緋桜を生み出したのだろう。

 ところで俳句では寒中に咲く桜を一般に冬桜と呼んでいる。句を詠む際に品種としての寒桜と冬桜とを区別したり、その差を意識する人は希だろう。だが、植物名としてのフユザクラは花びらの色が白に近いこと、花びらの小さいこと、開花が11~12月と春の年2回あることなど他の桜には見られない特徴を有している。これらの特徴は山桜に豆桜が混じって生まれた雑種特有のものだろう。

 これに対し寒桜は文字通り寒中に咲く早咲きの桜の意である。既に紹介したように花びらの色を緋桜から受け継いでいるため、形は通常の桜と同じ五弁でありながらその色が他の桜より格段に濃く、きれいな薄紅色を呈する。つまり寒緋桜も緋寒桜も、誰の目にも分かりやすいこの花びらの色を強調し、かつ世間に知らしめるために使われ始めた呼称と云うことができる。


 記憶では緋寒桜の方が先に用いられたようにも思う。だが確たる証拠があるわけではない。但し初めてこの言葉を耳にしたとき「ヒカンザクラ?  あれ、ヒガンザクラの聞き間違いかな…」と思ったことは確かである。

  玉垣をぬかづきめぐる冬桜 酒井黙禪

 この句の冬桜は寒緋桜ではないだろうか。「ぬかづきめぐる」とした表現の額突くが釣鐘型に下がるこの桜の花の特徴を巧みに表している。近ごろ、寺社の垣根に沿って植えられた小木の寒緋桜はよく見かける光景でもある。

○玉縄桜(覚書)2010/03/13

 昨日、写真を載せた玉縄桜についての話です。発見から40年も経つのにさっぱり広まらないと嘆く声を耳にします。それでもインターネットのお陰でしょうか、今年はあちこちのブログに顔を出すようになりました。但しブログには狭い範囲の見聞や、根拠不明の伝聞を書き散らしただけに過ぎないものも見かけます。この品種の育ての親でもある神奈川県立フラワーセンター大船植物園は、こうした点についてもっと積極的に情報の発信に努めるべきです。インターネットがその武器になることは言うまでもありません。


 玉縄桜は1969年(昭和44)に上記の大船植物園で発見されました。ソメイヨシノの自然交雑による実生の株から選抜・育成されたものです。花の色や開花時期から見てソメイヨシノと大寒桜(おおかんざくら)などカンザクラ系の交配したものだろうと推定されます。しかし例えば大寒桜も交配種ですが、それが寒緋桜(かんひざくら)と山桜の交配なのか、寒緋桜と大島桜(おおしまざくら)の交配なのかは今ひとつはっきりしません。玉縄桜がこうした早咲き系の桜のいずれから最も強く特徴を受け継いでいるか、今後の研究が待たれるところです。


 ところで玉縄桜という呼称が品種登録されたのは1990年(平成2)4月6日です。観賞樹としての登録番号は2263、品種登録の有効期限は18年でした。育成権は1995年4月7日に消滅しています。興味深いのは品種登録出願時の名称が「柏尾桜」だったことです。しかしこれは「品種登録できない品種名称」とされる3つの名称のうちの「出願品種に関し誤認を生じ、又は識別について混同を生じる恐れのある品種名称であるとき」に該当する可能性が高いとして再考を求められ急遽、現在の名称に変更されました。

 最初の案の「柏尾」は大船植物園のすぐ隣を流れる柏尾川のことです。藤沢市内に入って境川と合流する二級河川で、境川は江ノ島のある相模湾に流れ込んでいます。これが、電卓・時計・カメラなどのメーカーとして知られるカシオ計算機株式会社の CASIO と誤認・混同されるのではないかと懸念されたようです。後者のカシオは創業者一族の名字である「樫尾」に基づくものですから、漢字で書けば十分に区別が可能なはずの名称です。この辺が品種登録の難しい点でしょう。


 もうひとつ興味を覚えるのは品種登録時における玉縄桜の開花が育成地である鎌倉市の場合で3月中旬とされていたことです。現在はこれより遙かに早くなっています。今年、大船植物園では2月下旬に見頃を迎えました。なぜ2週間以上も早まっているのか、この点も他の桜の例や地球温暖化の問題も含めて大変気になるところです。(了)

◆紅梅と白梅 32010/02/25

 ここで注意深い読者は白梅系という言葉が使われていないことに気づくだろう。紅梅系はあるのに白梅系がなく、色とは無縁の野梅系という言葉が使われている。これは一体どうしたことかといぶかしく思うだろう。あるいは豊後系の分類が終ったら次は紅色の花を付ける紅梅系の分類を行い、最後に残ったものをまとめて野梅系と称することにする。この方法なら野梅系とした中に、白梅に混じってたまには紅色に咲くものもあるかも知れない。それで白梅系とは呼ばず野梅系と称したのではないか、そう考える人も多そうだ。

  しら梅や誰むかしより垣の外 蕪村

 そういう方々はもう一度、初回をお読みいただきたい。苗木市で買ったのは紅梅と聞いた梅の苗木である。野梅とも白梅とも言われたわけではない。紅梅と聞いて買い求めたものである。これらの推理はどれも見当違いだ。種明かしをしよう。最初にお断りしておくが、梅の分類方法は一様ではなく諸説あるそうだ。


 だが吉野梅郷の管理にあたる関係者の説くところによると、梅の紅白を分ける基準は花の色ではない。つまり分類の基準・視点が素人の考えるところとはまるっきり違うのである。梅の分類は一目でそれと分かる雑種性の強いもの、つまり豊後系がまず分類される。そして残りの梅はより原種に近いとされる野梅系と、多く紅色の花を付ける紅梅系に分類される。この時の分類の基準は枝の断面の色にある。ぽきんと折った断面が白ければ野梅系、紅色をしていれば紅梅系となる。

 花びらの色は多く枝の断面の色に添っているからそうなったのだろうが、自然界は0と1とで全てを決するデジタルの世界ほど単純ではない。断面が白い野梅系の中にも紅色の花を咲かせる品種があって紅筆性という細分が設けられているし、紅梅系紅梅性の中にも希にだが白い花を付けるものが現れる。だからこそ自然界は面白いのだ。興味のある方は是非、下記のページをご覧いただきたい。(了)

 http://www.omekanko.gr.jp/ume/zukan_sub01.htm 梅の分類と特徴(青梅市観光協会)

◆紅梅と白梅2010/02/23

 分類というのはどの部分に着目するかで結果も変わってくる。梅を例に採れば、花の色で分ける、花びらが一重か八重かで分ける、花の形で分ける、実の大きさで分ける、開花の時期に注目するなどいろいろな基準や視点がありそうだ。だが医薬品と健康食品の区別を意識せず薬局の主に勧められるまま高価な健康食品を買って飲み続け、これを医者が処方したがらない秘薬と信じ込む老人もいるように、言葉というのはよほど注意しないと思わぬところですれ違いを起こし、気づかぬまま使われ続けることも少なくない。

 食品を医薬品と信じ込んで飲み続けても心理面への影響と財布の中身への影響はあるだろうが、それが直ちに健康や病状に深刻な被害をもたらすとも思えない。だが医薬品を食品と信じて食べ続けたらどうなるだろうか。薬害などという言葉を持ちだすまでもなく、結果の恐ろしさについては容易に想像がつく。食べるほどの医薬品が手に入らないようにするためにも、この種の商品については法的な規制や対策が必要と多くの人が考えるだろう。


 話を元に戻して、では梅の場合はどうだろうか。苗木市で紅梅と聞いて買い求めた梅が無事に根付き、めでたく花芽を付けた。ところが咲いてみたら、これがどれも白い花だった。買い主は騙されたと思うだろうか、どこかで入れ違ったと思うだろうか。狐に摘まれたような気分かも知れない。この話は、白梅とか紅梅といったごく普通のありふれた言葉であっても時にその中身をよく確かめないと、思わぬ誤解や勘違いの因になることを教えている。世の中には多くの人が抱く白梅や紅梅のイメージとは別の、その道のプロだけが知る紅白を分ける基準が存在するのである。(つづく)

  白梅の青きまで咲きみちにけり 小坂順子

○通草の季節(3)--秋色2009/10/22

 さて通草だが、これを中国語の辞書で引くとカミヤツデとその対訳が記されている。カミヤツデとは東南アジアの亜熱帯が原産とされる植物で、素人目にはヤツデのそっくりさんとも映るよく似た常緑の低木である。ヤツデもそうだが、このカミヤツデも幹はさほど太くならないから力を込めればぽきんと折ることができる。現れるのは白いスポンジのような髄である。木材としての利用価値はまずないだろう。だが、この髄を使って一種の紙をつくると記すものもある。どうやらこれが紙八手と呼ばれる原因のようだ。

 カミヤツデは漢名を通脱木ともいう。漢方の生薬・木通と何やら似通った呼称ではないか。通脱とは無頓着、世事にこだわらないの意である。アケビを通草と記す起源はおそらく平安時代の承平年間に編纂された源順の「倭名類聚鈔」まで遡るだろう。この辞書が漢語の「通草」に阿介比加都良(アケビカヅラ)と万葉仮名で和訓を記したことから以後の日本の辞書はこの関係を逆転させ、アケビという植物には猫も杓子も無批判に通草という漢字を宛てるようになった。これが内実であろう。誠に御寒い話である。

 写真は2ヵ月以上前の今年8月初めに撮影したものである。まだ実が青々としている。(つづく)

○彼岸花--野の草花2009/09/23

 危うく彼岸花を忘れるところであった。秋のお彼岸が近づく頃に突然、姿を現わす。そして茎の頂きに真っ赤な針金状の花を咲かせて、また忽然(こつぜん)と消えてゆく。これまで目にした中で最も壮観だったのは日豊本線を南に下ったときの車窓からの眺めである。田圃の畦道という畦道を、この花の赤色がびっしりと埋めていた。
 この花は近寄って眺めると、豪華な金細工でも施したように花軸を伸ばし、その先に輪を描くようにして咲いている。だが、どこを見ても葉がない。実に不思議な花である。子どもの頃、墓地の周りでよく咲いていた。そのせいか年寄りの中には「ああ嫌だ、縁起が悪い」と言って避ける者もいた。死人花(しびとばな)の俗称さえあるという。
 この花が歌謡曲の文句に登場する曼珠沙華(マンジュシャゲ)と同じものであることは長じてから知った。曼珠沙華と言えば曼荼羅華(マンダラゲ)や摩訶曼荼羅華(マカマンダラゲ)や摩訶曼珠沙華(マカマンジュシャゲ)と同じく梵語由来の語であり、合わせて四華(シケ)と呼ばれる。いずれも天上から降るとされる目出度い花の名前である。それがなぜ逆の印象を持たれるようになったのだろうか。日本列島の先人達と仏教との関係はどうやら少し特殊なもののようだ。

  とびとびに籔の奥まで曼珠沙華 関圭草

◆責任力--変な日本語2009/08/02

 見出しにするのも躊躇(ためら)われるほど、へんてこな造語が新聞の見出しを飾るようになった。先月末に発表された自民党の政権公約(マニフェスト)の表紙に見える言葉のことである。しかも誰も文句を言わない。表現の自由を尊重しているのか、あの総裁にしてあの言葉ありと諦めているのか、その背景や事情は分からない。

 まさか誰もそんな言葉が存在すると本気で考えているとは思えないが、しかし活字の影響力というのは侮れない。恐ろしい力を持っている。嘘や出鱈目でもそれが活字という綺麗な文字になって新聞紙面や雑誌やテレビの画面に登場するようになると、子どもだけでなく大人までがそんな言葉もあるのかと頭の中の辞書に書き込んでしまう。だから無視するのではなく、この不可思議な造語に注釈を付けることにした。

 責任能力とか責任感というなら分かる。辞書にも見出しがある。だが責任+力では何とも理解のしようがない。そもそも責任とは自分が引き受けて行わなければならない任務や義務のことである。何を引き受けて貰うかは基本的には国民・有権者が決めることである。もし何を引き受けられますよと言いたいのであれば、それは能力の意味だから責任能力と書けば済む。しかし今頃それを言い出したのでは、これまでがいかにも無責任だったように聞こえるし、責任能力がなかったようにも響く。それで「能」を省いて「能ある鷹は爪を隠す」とでも洒落たつもりだろうか。

 また自分が関わった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償いのつもりであるなら、それにわざわざ「力」を付けたり公約に記すほどのことではない。時代の流れに逆行するような格差社会を生んだ責任を取って政権を他党に譲るか、早く国民に信を問うべきだった。それを任期が切れる今頃になって責任政党とか何とか言われても、腹が立つ以外に反応の示しようがない。ただ呆(あき)れるばかりだ。

 もうひとつ明確なことがある。何人もの大臣や政府高官が不祥事を起こし、任期中に次から次へと辞めたことだ。これだけは確かだ。まさかこれらの辞任事件をもって責任を取ったとか、どうだ責任を取らせる力があるだろうと誇示しているわけでもあるまい。だが、この説明が一番真実みがある。やはり国民を侮っているということか。

 かつての政権党には、もっとましな人士が大勢いたように記憶する。表面は立派でも裏ではただ腹黒いだけだとか私腹を肥やしすぎると酷評する大人も少なくなかったが子供心には、多少の学問もし、学問がない人にはそれなりの後見役が付いているように見えた。ところが最近はこれが文字通りの三流学者かそれ以下の怪しい先生ばかりになってしまった。

 常に迎合を旨とする後見役では無理が生じ、政策は綻(ほころ)びる。言葉には誤使用が増える。人間に寿命があるように、政党にも寿命があるのかも知れない。法人は本来、私人のそうした限界を超越するために考え出された知恵のはずだが、どこかに計算違いでもあったのだろうか。早く総選挙が終わり、せめて変な日本語だけでも速やかに消えて欲しいと願っている。

◆他人事・ひとごと2009/08/01

 長く岩波書店で校正を担当された古澤典子さんが、これを「タニンゴト」と読む不思議な言葉が出現した、と嘆いたのはもう20年以上も昔のことになった。「ひとごと」は「人事」と記すと「じんじ」との混同が懸念されるため明治以来「他人事」が多く用いられるようになったが、言葉そのものは「紫式部日記」や「徒然草」にも記される日本人にとって馴染みの深い表現である。その意味も「他人のこと」だけに限定した狭いものではない。

 第一これを「タニンゴト」と読んでは「他人事言えば影がさす」や「他人事言わば筵(むしろ)敷け」はどうなってしまうのか。そこまで語彙が豊かでないことを、みずから宣伝して歩くようなものである。岩波書店版「広辞苑」は、こうした西島麦南以来の口うるさい校正者に守られながら、この奇妙な語についてだけは何とか体面を保ってきたはずであった。だが、それも第5版(1998年11月)で「たにんごと」から「ひとごと」への参照を付けたことによって変ってしまった。「ひとごと」の項には次の解説が付け加えられた。

  近年、俗に「他人事」の表記にひかれて「たにんごと」ともいう。

 もし、ここまでするのであれば「俗に」だけではなくて、末尾に「が誤り」と付け加えるべきだった。そうしないと上述の格言などの説明に支障を来すからだ。語彙数を増やし実用も重視したい若い編集者の発想は理解するとしても、「広辞苑」の基を編んだ新村先生や文字と言葉を大事に考え懸命に自社水準の維持に努めた諸先輩の気持を汲み取る努力が足りなかった。「広辞苑」は第4版(1991年11月)の「いまいち」登場辺りから、ドイツの国民車の車台にアメリカ車の車体を載せたような妙な辞書に変りつつある。このことについてはいずれ詳しく書かなければなるまい。

 今回これを書いたのは、「タニンゴト」の誤用が遥かに先を行っていると気づいたからである。このところ第45回衆議院議員選挙の与野党逆転を見越した新聞記事が目につくようになったが、その中にルポライターによる官僚の憂鬱を伝えるものがあり、何と「若手にはどこか他人事的な空気があった」と記されていた。ルビはないが、これを「ヒトゴトテキ」と読ませるつもりはなく、おそらく頭の中では「タニンゴトテキ」と読んでキーボードを叩いたことだろう。

 つまり今や「ひとごと」はこうしたルポライターの間では死語に近く、「タニンゴト」が当然となり、さらに流行りの「的」まで付けて用いられる段階に達しているのではないか。そう懸念されたからだ。この署名入り・顔写真付きの記事(2009.07.29 朝刊・文化欄 p13)を掲載した「毎日新聞」を、だから三流と貶すつもりはない。なぜならこれが単に「毎日新聞」一紙の問題に止まらないからだ。

 文字文化の衰退を嘆くなら新聞社は、まず自社の記者教育を徹底しなければならない。校閲部員の劣化がこうした現象を生み出していることにも気づく必要がある。出版社も首相の漢字能力を笑う前に、自社の編集者の漢字能力を確かめておく必要がある。新聞社も出版社も、自分たちの仕事が一過性のテレビジャーナリズムなどとは基本的に異なることをもっと強く認識しなければならない。こうした一見なんでもないような誤表記の積み重ねが、日本人の漢字能力の日常風景をつくっているのだと自覚して欲しい。死に体に近い政治家をただ腐すだけでは日本の言語文化は守れない。