○零余子(1)--実りの秋2009/09/27

 鴨長明が日野山における晩年の隠遁生活などを綴った「方丈記」には、10歳になる近所の子どもと連れだって野山で遊ぶ楽しさも描かれている。その中に「またぬかごをもり、芹を摘む」という記述がある。この「ぬかご」が今日のテーマ零余子である。今は多く「むかご」と呼ばれている。「名義抄」には「零余子、ヌカゴ」とある。
 和名の「ぬかご」または「むかご」が何に由来する呼称であるかは分からない。しかし漢名の零余子(レイヨシ)については大方の想像が付く。零は雨の滴(しずく)の意であり、転じて僅か・少ないの意となった。零余は残りが極めて少ないの意である。端た金の「はした」の意もある。なお零は静かに、こぼれるように落ちるさまを表すときにも用いられる。
 察するに漢名の由来は「むかご」の食べ物としての大きさと、茎から離れ落ちるときの様とにありそうだ。その粒は地中にあるヤマノイモと比較して余りに小さく、蔓から離れる様はまさにこぼれ落ちるの形容がぴったりする。もっとも後者のこうした観察には詩人の目が欠かせない。俗人には、ゆめ思いつくことのない呼称と言えよう。(つづく)

  雨傘にこぼるゝ垣のむかごかな 室生犀星

コメント

_ 今日70歳 ― 2016/12/02 10:09

初めまして。
なぜ、その意と音とが、む・か・ご、と読み方を思いついてのか。
案山子、はなぜ、か・か・し、と振り仮名を振ったのでしょうか。
形態と音(読み)との関連は如何?
(最近は更新されているのでしょうか。でも、このページが親切そうでしたので質問させてもらいました。)

_ まさと ― 2020/04/20 14:18

2009年2月3日公開「音声表現としての日本語」をご覧ください。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック