予報と予想(2)2009/03/02

 では予想したものを必ず発表するのが予報、発表について何の縛りもないのが予想だろうか。新聞各社は国政選挙のたびに各党選挙戦の情勢分析を行い毎回、紙上で公表している。定期性はともかく発表は必ずされるのだから「当落予報」でもおかしくない。だが、新聞の見出しに踊るのは「当落予想」である。対象が人間界のため自然界の観測手法とは異なるが、決して引け目を感じるような疑わしい手法ではない。調査精度も気象業務の「観測の成果」に負けないくらいに向上している。新聞は自分たちが予想屋とは夢にも思わないのに「予想」と称している。
 語感に無頓着な個人用ホームページは除き、「予報」が定着しているのは天気予報などの気象予報と地震、火山、津波や高潮、それに洪水の予報だろう。全て気象庁の所管である。細かく見れば天気予報にもいろいろあって、種類や中身により週間予報、長期予報、降水確率予報、降水短時間予報、分布予報など異なる呼称が付けられている。数値予報は予測の手法を指すものだし、気象予報士は資格名である。どうやら「予報」は気象庁専用語になった感がある。新聞が「予報」を避ける理由も多分こんなところにあるのだろう。