月曜日の保育園(4)2009/04/23

 子どもと一緒に散歩するときは、なるべく子どもの背の高さに目線を下げて、その位置で住まいの周りを眺めるとよいでしょう。それが子どもの網膜に映し出される町の風景です。きっといろいろな発見があることでしょう。道の上にも、道の脇にも、路地の隅にも、よその家の庭先にも、植え込みにも、多くの新しい生命が春の息吹を感じさせてくれます。小さな虫たちが活動していたり、草花が芽を出したり、豆粒のような可憐な花が咲いています。子どもはそれを目敏く見つけ、楽しんでいます。
 子どもが成長して3歳ぐらいになったら肩車をしてあげるのもよいでしょう。大人には首が痛くなる結構きつい労働かも知れませんが、大人の目線で見る高みの世界は子どもにとっては驚くことばかりです。大人が両足をしっかり支えることで親子のきずなをさらに深める効果もあります。但し無理強いは止めましょう。そんなときは抱き上げて、親の腕の中で大人の目線に近づけてあげます。
 こうして自然の移り変わりを家族揃って楽しむことができれば、他の人には真似の出来ない、その家族だけの充実した一日となるはずです。その日、ついさっき一緒に体験したこと・見聞したことを子どもと話し合ったり、思い出して楽しむことができます。共通の話題をもつことで夫婦の会話も弾みます。自然に「またパパと行こうね」とか「また一緒に行こうね」といった言葉が出てくるでしょう。それを子どもは、にっこりと笑顔で受け止めてくれるはずです。それで十分ではないでしょうか。そういう時間を幼い子どもは求めているのです。

新社会人に贈る言葉162009/04/23

 《人の噂も七十五日》

 長いサラリーマン人生が始まると職場の中で思わぬ経験をするようになります。誉められたり表彰されるようなことばかりが起きるとは限りません。むしろその逆だと思って今から心構えだけでもしておくとよいでしょう。それがこの言葉です。噂はされる側には精神的に応えるものでも、する側には痛みも苦痛もありません。そのためしばらくすると飽きられ、やがて忘れ去られてしまうのです。
 ヒトは社会生活を営む動物です。大脳が発達しいろんなことを考えたり記憶することができます。日常生活でも職場でも通勤途中でも他の多くのヒトと接触し、助け合ったり競い合ったりしています。見ず知らずの他人であればその動静に関心をもつことがなくても、同僚や上司や部下となればタレント並みの関心を示すことがあります。それが噂の素(もと)です。
 噂の中心はたいていが身の上話か事件に絡むものです。異動や配置転換、昇格や降格の話だけではありません。家族や肉親の不幸から恋愛や失恋の話、宴席での失敗、お金や事件がらみの話まで、まるで人生の縮図を見るようにいろんな噂話が飛び交います。根も葉もない話もあれば、多少は思い当たる節のある話が混じるかも知れません。
 しかしいずれであれ、あなたに自分の人生を生き抜くつもりがあるうちは、そうした噂も生きていることの証・人生の必需品と思って無理に逆らわず、柳を見習って軽く受け流すことです。次の言葉もついでに覚えておきましょう。

○柳に雪折れ無し

 柳はどこから見ても細く弱々しそうな樹木です。冬になれば葉を落とします。しかし厳しい冬でも決して雪折れすることなく、春になればまた新しい枝や葉をつけて逞しく成長を続けます。社会人として学ぶことの多い生き方・姿と言えるでしょう。