■与党の野党化--新釈国語2009/07/28

 政権党であるはずの与党があたかも野党に転じたかのごとくに野党側の政策などをなりふり構わず批判し始めること。政党としての姿勢が後ろ向きになりがちなことから否定的な評価を受ける場合が少なくない。こうした傾向がますます野党化の速度を早めるとの指摘もある。また国政選挙における与党側大敗北の前兆・前触れと見る識者も少なくない。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/07/12/ なりふり

○田の草取り--夏の田圃2009/07/28

 昔は田の草を手で取った。「一番草、二番草と2回、田圃に入って取りましたなぁ」と徳さん。「稲の先が顔に当たるから痛くてねぇ」「そうそう、お面を被って。金網の…」と、田圃の水を見にやってきた徳さんとひとしきり昔話に花が咲いた。暑い上に一番泣かされたのがヒルだった。大きなヒルが腕に這い上がってきて血を吸った。これが酷く痛かった。
 やがて田の草を取る手押しの除草機が開発され、それを押して田圃の中を往復するようになった。手押しとは言っても田土の重い泥の中を歯車で掻き回しながら進むのである。決して楽な仕事ではない。それからでも半世紀近く経つ。暫くはまめな年寄りが田圃に入って手で丹念に草取りをする姿も見かけたが、いつの間にかそれもなくなった。
 今は毒性が弱く、稲にはほとんど吸収されることなく雑草だけを退治してくれる優れた除草剤が開発されている。お陰で腰をかがめ痛い思いをして田圃の中を往復することも、重い除草機を押して往復することもなくなった。それでもヒエだけは手で抜かないと退治できない。同じ稲の仲間だから薬剤の攻撃対象にはならない。水の管理だけは残ったが、それも大規模農家では田圃全体を工場化することで自動化しているという。徳さんのように米を手作りする人は今や、中山間地域の限られた小規模農家だけになりつつあるようだ。

  苗程は蛭も肥たり田草取 嘯山

○槿花と木槿--盛夏2009/07/28

 ムクゲは中国では木偏に菫(キン)と書く。菫は僅に由来し、乏しい・ほんの少しの意である。おそらく花の寿命の身近さを文字の形声に込めたものだろう。その花を白楽天は槿花と称した。彼の詩文「白氏文集」が日本でも平安期以降、清少納言や紫式部など多くの知識人達に親しまれたことはすでに述べた。
 それから500年以上の時が過ぎた室町幕府の頃、永享の乱・嘉吉の乱と続き幕府の権威が衰退し始めた時代に全2巻からなる国語辞書が編纂された。題して「下学集」(かがくしゅう)という。当時通用の言葉がその意義によって18門に分類され、編者は東麓破衲と記されるが、その正体は不明の人物である。能阿弥が活躍し連歌が大成を見た時代でもあった。
 この辞書には「槿花、ムクゲ」とある。中国人が植物としてとらえた槿(キン)を日本ではその花に注目してムクゲと呼んだのである。そして文字通り屋上屋を架す喩えの如くに「木」を載せて木槿とし、モクゲの称も生まれた。発案者は花と木との区別を試みたのかも知れない。