◎季節の言葉 節分2010/02/03

 今日は節分。節分とは文字通り季節を分けるの意である。つまり本来なら春夏秋冬の年4回、季節の分かれ目・境目があるはずのものである。実際のところ例えば「源氏物語」を繙(ひもと)くと、かつてはそのようであったことに気づかされる。物語も終盤に近い「宿木」の巻には藤の花の宴の催される場面が描かれているが、そこに記された節分は現代における春の始まりの意ではない。春が終り夏が始まるときの節分である。

 夏にならば三条の宮塞がる方になりぬべし、と定めて四月朔日ごろ節分とかいふ事まだしき先に渡したてまつりたまふ。

 次の「東屋」の巻にも節分は登場する。薫と浮舟が宇治へ向け出立する場面に使われ、この場合は秋から冬への境目を示す節分の意となっている。

 (中略)なが月はあすこそ節分と聞きしか、といひなぐさむ。けふは十三日なりけり。

 このようにかつては季節季節の境目ごとに節分が意識され、境目を狙って横行すると信じられた悪鬼や病魔などの災厄を除(よ)けるための対策が講じられていた。これがいつの間にか、さほどの必要もないと思われたのか、時代とともに簡素化され、あるいは廃れて、残ったのが唯一立春前の今風の行事ということになる。

 そういえば時季外れの殺風景なもの(すさまじきもの)として「昼吠ゆる犬、春の網代、三四月の紅梅の衣、嬰児の亡くなりたる産屋、火おこさぬ火桶……」と並べたて、最後に「まして節分はすさまじ」と記したのは「枕草子」の作者・清少納言である。すでに一千年前の京には、そのような冷めた目で節分の行事を眺めていた女性がいたことになる。これもまた知っておくべきだろう。

◎季節の言葉 春近し・春隣2010/02/03

 文字通り、春がすぐそこまでやって来ていることを季題にしたものである。同様に春隣にも、春はもう隣まで来ている(明日はきっとこちらにも来るだろう)という感慨が込められている。

 太古の昔、文明が未開だった頃の人々は今よりも寒暖の差に対して敏感だったのだろうか、それとも鈍感だったのだろうかと考えることがある。着衣の発達という点から見れば今より遙かに薄着だったろうから寒さは感じやすかったと考えたくなる。だが気温を感じ外気に耐える側の皮膚から見ればそうとも言えない気がする。

 四六時中ビルの中や地下街で暮らす人はいざ知らず日中のある時間帯、毎日必ず外気に触れる生活をしている人にとって季節の変化を最も強く感じるのは日の光ではないだろうか。日の出・日の入りの時刻、そして太陽の位置・高さ、これらが変化することによって日照時間は伸び縮みするし、光の強さも格段に変わってくる。

 木々の芽吹きや葉の緑など目に映ずるものももちろん季節の変化を教えてくれる。だが先ほどの寒暖の差など外気温の変化も含めて、そうした移り変わりの全てが実は太陽光によってもたらされていることを忘れてはならない。この点に思いを致すことこそエコロジーの第一歩であろう。

  日あたりて春まぢかなり駅の土堤 山口誓子


 ※こんなときでないと西洋タンポポには出番が回ってこない