◎季節の言葉 土筆(1)2010/03/29

 スギナ(杉菜)は地中に張り巡らしたネットワークのような根茎を持っていて冬の間はどこにあるのか全く分からないが、春から秋にかけては緑色の栄養茎をあちこちで地上に伸ばして光合成を行い、せっせと地下茎に養分を溜め込む。この緑色をした栄養茎には杉を思わせる小さな枝が輪になって付き、これが杉菜と呼ばれる因になっている。


 スギナは地下茎でも殖えるが、この方法だけでは繁殖の範囲が限られる。そこでドクダミ同様に繁茂するための方法として、花を付けないスギナは胞子を飛ばす方法を採用した。ツクシは、そのためにスギナの根茎から地上に送られた兵士のようなもので胞子茎と呼ばれる。これがスギナに先立って顔を出し、胞子をつくる役目をする。おかげでスギナは日当たりのよい野にも山にも種を殖やし、火事があっても絶えることなく、赤土だろうが黒土だろうが砂地だろうが至る所で繁茂している。だから庭に入り込まれると退治に苦労する。

 興味深いのは列島の先人たちがスギナとツクシを区別したことである。例えば英語圏ではどちらも horsetail(馬の尻尾) が一般的である。学名も Equisetum(エクィシータム)一本で特段の区別はないはずだ。漢方では杉菜は問荊と呼んで利尿剤の成分に用いられる。だがツクシの利用については聞いたことがない。これを食料の確保に苦しんだ先人たちの生きるための知恵と考えるか、季節の訪れを楽しむ風流人のなせる業と考えるか。デパートの食品売り場で山菜を買い求めたり、割烹や料亭が創る季節の味しか知らない人々には少々無理な質問かも知れぬ。(つづく)

 土筆めし山妻をして炊かしむる 富安風生

◎季節の言葉 初花2010/03/25

 一般語としての初花には幾つもの意味がある。まず、ある植物が初めて咲かせた花の意。次に、その季節の先頭を切って咲く花。そして、花が広く桜の意として用いられるようになると、その年最初に咲いた桜の花もこれに加わった。ほかにも花を娘に擬(なぞら)えて初潮に喩えたり、初潮をみた女子の意に用いることもある。


 俳句の季題としては桜前線の北上にともなって各地で開かれる3~4月の句会の格好のテーマと云えよう。だが近年、河津桜を始めとして多くの早咲きの桜が知られるようになり、その報道合戦も盛んになって些か初花のもつ初々しい印象は後退した感がある。加えてこの語に相応しいのはやはりソメイヨシノに代表されるような薄紅色がほんのりと感じられる可憐な白い花びらの桜であって、決して寒緋桜系の緋色の花びらではない。


 また言葉のもつ印象として一気に咲き揃ったさまよりも、ほんの数輪があちらの枝こちらの枝と控えめに咲き出す頃の様子が似合っている。次の句はこうした初花の頃に早くも始まる観光地の雑踏を詠んだものである。陽気がよくなり、桜よりも桜の便りを待ちかねた人々が一気に街へと繰り出した様子が表現されている。

  はつ花や大仏みちの人通り 久保田万太郎

◆青鷺(2)2010/03/24

 我々の姿が美しいことは世界遺産にも登録されている彼の国宝姫路城が白鷺城とも呼ばれることを思い起こしていただければお分かりでしょう。そそっかしい人の中には思いがけずアオサギを見て「鶴を見た」などと自慢する者もいるほどです。アオサギとは云いますが、背中は青みがかった灰色を帯び後頭部が黒く、何より姿の大きいことが特徴です。これがナベヅル君と勘違いされる原因になっています。もし似た姿を目にしたら後頭部から伸びる自慢の細長い2本の毛の有無、鳴くかどうかをまず確かめてください。我々は滅多に鳴きません。


 青鷺や白鷺がなぜ夏の季題なのか、その理由はよく分かりません。冬の間、寒さを避けて南方へ渡るものもいますが多くの仲間は日本列島に留まって年を越します。そして桜の花の散る頃から6月にかけて高い木の上に巣をつくり雛を育てます。つまり初夏に番(つがい)を組むからだろうという人もいれば、暑さが増すころ水田や水辺に立って小魚や蛙や蟹などを追い求める姿が目に涼しいからだと説明する人もいます。人間というのはつくづく自分中心の身勝手な動物だと思わずにはいられません。

 次の句は昭和20年代後半に始まった秋田県西部・男鹿半島基部の大汽水湖八郎潟の干拓事業を告発したものです。多くの人が「食糧難を解消してくれる夢の大事業」と期待に胸弾ませていた時代に、作者は別の覚めた目で湖や干潟に暮らす生き物たちを見ていたのです。青鷺をできたての新田に追いやった日本人は果たして、夢や幸せを手にしたと云えるでしょうか。今や作者の名を知る人さえ希でしょう。(了)

  亡びゆく潟や青鷺田に逐はれ 児玉小秋

◎季節の言葉 春の空2010/03/22

 例えば足袋や靴下を履かなくても足が冷たくならないとか、上着を羽織らずに庭に出ても寒さを感じないとか、そんな日が続くようになると急に木々が芽吹き始める。気が付くと野も山も春の花が競って咲き始めている。見上げる空は晴れてはいるのだが、どことなくどんよりとよどんでいる。散歩で尾根に出ても容易に遠目は利かない。春の空はそんな時期の空気や大気の状態を表す言葉である。

 昨日の日本列島は各地に黄砂が飛来して、午前中はどこもかしこも白く濁った空ばかりだったとニュースで知った。確かに昼過ぎまで強い南風が吹き、峯の木々は激しく揺れていた。空気も全体に白く濁って見えた。しかしそれらの全てが黄砂だったのか、それとも潮風も混じっていたのか、あるいは南風だから全部が潮風だったのか、今となっては詳しいことは分からない。

 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/18/4189252 黄砂と黄沙(1)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/19/4190677 黄砂と黄沙(2)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/20/4191722 黄砂と黄沙(3)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/22/4197196 黄砂と黄沙(4)

 今日は久しぶりに富士山が望めると聞いて尾根まで登ってみた。そして新しい富士見の場所を見つけた。春の空に浮かぶ富士山だから冬や秋に見るような明確な輪郭は期待できない。だが、どこかのんびりとして憎めない。


  雪まとふ富士の高嶺は春の空 まさと

◎季節の言葉 彼岸2010/03/21

 今日は春彼岸の中日。二十四節気の春分にあたり、太陽がほぼ真東から出てほぼ真西に沈むため昼と夜がほぼ同じ長さになるとされる日である。だが実際は東京地方の場合、日の出が5時44分・日の入りが17時53分とすでに昼間の方が9分も長くなっている。昼夜の時間は4日前には同じとなり、以後毎日少しずつ昼間の方が長くなっている。因みに17日の日の出は5時50分・日の入りは17時50分だった。ずれの原因は主に光の屈折現象にあると考えられている。

 彼岸は仏教の言葉である。現世の此岸(シガン)に対する言葉であり、彼岸には生きていればこその迷いも、死に対する怖れも、失うことや別れることへの不安もない。何もかもが無の、全てを超越した理想の世界と言われている。それは長く厳しい修行の末に到達する理想の境地であり、信仰を通じて初めて拓くことのできる悟りの境地でもある。

 この彼岸に春秋2回、なぜ日本人は墓参りをするのか。聖徳太子の頃に発するとも平安初期に始まるとも言われる春秋2回の仏事・彼岸会の由来は必ずしも定かではない。だがこれが大陸起源でないことはアジア諸国の仏事を見ればすぐに気づく。

 列島の民が元々有していた太陽や月に対する畏敬の念に、大陸伝来の仏教信仰が巧みに結びついて生まれた新たな行事と云うべきだろう。あるいは元々土着の習俗として存在したものに、時の権力者が政策的に仏事を合流させたのかも知れない。いずれにしても昼の時間が長くなり始めるこの日、農耕民族であった祖先の人々は先祖の墓に詣でてその年の豊作を祈願し、秋は夜の時間が長くなり始める秋彼岸にその年の実りを感謝したであろうことは想像に難くない。

 エコだ自然環境保護だと騒ぎ立てながら腹の中では経済や財布のことしか頭にない現世の人々・列島の民の末裔を、我が御先祖さまたちは釈迦と過ごす涅槃の世界・彼岸からどのような思いで眺めておられることか。これも此岸に生きるが故の迷いだろうか。今朝の関東地方は明け方、低気圧や寒冷前線の通過によって一時的に大気の状態が非常に不安定となり激しい風と雨と雷に見舞われた。次は今から200年ほど前に詠まれた句である。

  ばくち小屋降つぶしけり彼岸雨 一茶

○寒桜・寒緋桜・緋寒桜・緋桜・冬桜2010/03/19

 今年の1月末、このブログで河津桜の紹介をした。その際、これを「緋寒桜と早咲き大島桜が自然交配して誕生した品種」と記した。花びらの薄紅色がソメイヨシノなどに比べてかなり濃いこと、開花の時期が大変早く寒中には咲き出すことで知られ近年、人気も普及も急上昇の桜である。

 こうしたことの影響もあるのか、このところこの「緋寒桜」によく似た言葉で「寒緋桜」という表現を目にしたり耳にする機会が増えている。文字の言葉に敏感な人なら、これらふたつの言葉の差が気になって仕方ないだろう。ふたつとも百年近く前につくられた辞書を開いてみても載っていない。どうやら、どちらも20世紀も後半になって使われ始めた言葉ではないかと思われる。しかし「緋桜」ならそうした古い辞書にも紹介されている。


 緋桜の特徴は第一に花びらの色が一般に知られるソメイヨシノより特に濃い緋色をしていることにある。呼称に緋という文字が使われるのはそのためだろう。元々は台湾や中国南部に自生している桜である。花びらの色の濃さだけでなく、その形も咲くときの姿も花の散り方も他の桜とはかなり異なったイメージをもつ。これが沖縄に伝わって琉球寒緋桜を生み出し、さらに鹿児島に伝わって薩摩緋桜を生み出したのだろう。

 ところで俳句では寒中に咲く桜を一般に冬桜と呼んでいる。句を詠む際に品種としての寒桜と冬桜とを区別したり、その差を意識する人は希だろう。だが、植物名としてのフユザクラは花びらの色が白に近いこと、花びらの小さいこと、開花が11~12月と春の年2回あることなど他の桜には見られない特徴を有している。これらの特徴は山桜に豆桜が混じって生まれた雑種特有のものだろう。

 これに対し寒桜は文字通り寒中に咲く早咲きの桜の意である。既に紹介したように花びらの色を緋桜から受け継いでいるため、形は通常の桜と同じ五弁でありながらその色が他の桜より格段に濃く、きれいな薄紅色を呈する。つまり寒緋桜も緋寒桜も、誰の目にも分かりやすいこの花びらの色を強調し、かつ世間に知らしめるために使われ始めた呼称と云うことができる。


 記憶では緋寒桜の方が先に用いられたようにも思う。だが確たる証拠があるわけではない。但し初めてこの言葉を耳にしたとき「ヒカンザクラ?  あれ、ヒガンザクラの聞き間違いかな…」と思ったことは確かである。

  玉垣をぬかづきめぐる冬桜 酒井黙禪

 この句の冬桜は寒緋桜ではないだろうか。「ぬかづきめぐる」とした表現の額突くが釣鐘型に下がるこの桜の花の特徴を巧みに表している。近ごろ、寺社の垣根に沿って植えられた小木の寒緋桜はよく見かける光景でもある。

◎季節の言葉 野蒜2010/03/18

 春になって嬉しいのは野の物がいろいろ手に入ることである。蕗薹(ふきのとう)や蓬(よもぎ)なら名前くらいは多くの人の知るところだろうが、これを食するとなると現代人にはもう手が出せまい。特に高度成長期以降に育った人にとって野の物を口にするなどと聞くと、朝鮮半島の北側に暮らす人々でも見るかのような半ば蔑んだ目つきに変わることさえある。経済的には豊かになったつもりでも、その中身たるや米国渡来のハンバーガーとゲップの出そうなコーラ程度ではないかと逆に哀れにさえ思われてくる。これに紛いの牛丼など並べられると、余りの気の毒さに思わず涙が浮かんでしまう。誠に安っぽい脳天気な時代になったものである。


 野蒜はその名の通り野性の蒜(ひる)である。蒜の音は「さん」だが、これを「ひる」とするのは朝鮮語の蒜の音「ふぃる」に由来しているからだとする説がある。もしそうだとすると、この植物は彼の半島からの渡来物と見なすのが自然の道理であろう。だが全国津々浦々の土手や道端に顔を出している野蒜たちの繁茂ぶりを見るにつけ、本当に太古の列島には存在しなかったのだろうかと怪しまれてならない。それとも名無し草だったものに渡来人が故国の懐かしい野草の名を付けたのだろうか。

 蒜は万葉集にも登場し、水草の水葱(なぎ)などとともに古来より食用や調味用に供された植物である。だがその正体となると、鱗茎をもち強い臭いのあるアサツキ、ノビル、ニンニクなどの総称だろうと推測するしかないのが実情だ。なお「ひりひり辛い」などと云う場合の「ひり」を「ひる」に由来する表現と考える人もいるようだが、この説は鶏と卵の関係に似て、どちらが先であっても成立つところに難点がある。

  萌え出でて野蒜は長しやはらかに 池内たけし

 写真のノビルは腐葉土が積もってふかふかになった土手で摘んだ。根元を握って引っ張り鱗茎ごとそっくり抜き取ったものが多い。茎の先は刻んで味噌汁の具に加え、その他は茹でて酢味噌和えにして春の香りを楽しんだ。

○こぶし咲く2010/03/04

 このブログもあっという間に1年以上が過ぎてしまいました。前に書いたという確かな記憶はあっても、それがいつだったかを思い出すことが段々難しくなってきました。そろそろどこかで整理をしておかないと、頭の中もブログの中も屑籠同然・反故同然の状態になりそうです。

 今日は午後になって漸く日射しを拝むことができました。また暖かさが戻ったせいか、あちこちから「こぶしの花が咲いたよ」という知らせが入りました。思い起こせば、この欄で最初に「こぶし・拳・辛夷」を書いたのは昨年の3月のことでした。ちょうど、お彼岸の頃ではなかったかと記憶しています。記憶が間違っていなければ、その次くらいに「春さらば」が掲載されたはずです。

 ブログに参加したのは国語辞典のあり方に強い疑問を抱いたことと関係があります。前々から、日本語の権威と持て囃される「広辞苑」の内容が気になっていました。改訂の方針が妙ではないかと呆れていました。世間が崇めることとの懸隔がありすぎると感じていました。都合4回にわたって掲載した「こぶし」の記事は、そうした疑問の一例に過ぎません。

 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/24/4201451 こぶし・拳・辛夷(1)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/25/4202634 こぶし・拳・辛夷(2)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/26/4204426 こぶし・拳・辛夷(3)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/10/12/4629074 こぶし・拳・辛夷(4)


 初めの頃はどんなテーマも全て文字のみで綴っていました。春に書いた3回分にも写真は載せていません。そこで今日は撮影して来たばかりの咲きたての「こぶしの花」を追加で掲載します。撮影は3個所で行いました。それぞれ別の樹木の写真です。蕾が大きく開いていたのはそのうちの若木2本でした。大木の開花にはあと一日か二日、暖かい日射しが必要なようです。

  黄昏の風吹くばかり花辛夷 松沢 昭

◎季節の言葉 ひな飾り2010/03/03

 今日は春の節句。近ごろは「節供」より「節句」の方が多く用いられる。だが本来は節(せち)の日に供えるものの意である。だから「節供」と記すはずだが、いつの間にか替ってしまった。これも一度確かめておく必要があろう。なお節とは季節の変わり目ごとに祝いをする日のことで、元日(一月一日)に始まり、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日と続く。

 子どもの頃、娘はいなかったが毎年この季節になると父が土蔵から「お雛様」を出して飾ってくれた。おそらくは伯母・叔母たちが買ってもらったものを姉妹で分けるわけにもゆかず、そのまま生家に残したのだろう。だから明治の作ではないかと思う。飾ってもらえたのは小学校までで、その後はぷつりと姿を見なくなった。土蔵の奥を探せば、きっとどこかで眠っているに違いない。

 また見たいものだ、今年こそは出そう・探そうと思っているうちに30年も40年も過ぎてしまった。どこにしまってあるか、もう教えてくれる人もいない。今のうちに見ておかないと、お雛様の存在すら誰も知らなくなってしまう。

  雛菓子の美しかりし世もありし 池内たけし


 写真の雛はパンフラワーを素材にした素人の作だが気に入っている。豆菓子のように小さくて可愛い。

◆紅梅と白梅 32010/02/25

 ここで注意深い読者は白梅系という言葉が使われていないことに気づくだろう。紅梅系はあるのに白梅系がなく、色とは無縁の野梅系という言葉が使われている。これは一体どうしたことかといぶかしく思うだろう。あるいは豊後系の分類が終ったら次は紅色の花を付ける紅梅系の分類を行い、最後に残ったものをまとめて野梅系と称することにする。この方法なら野梅系とした中に、白梅に混じってたまには紅色に咲くものもあるかも知れない。それで白梅系とは呼ばず野梅系と称したのではないか、そう考える人も多そうだ。

  しら梅や誰むかしより垣の外 蕪村

 そういう方々はもう一度、初回をお読みいただきたい。苗木市で買ったのは紅梅と聞いた梅の苗木である。野梅とも白梅とも言われたわけではない。紅梅と聞いて買い求めたものである。これらの推理はどれも見当違いだ。種明かしをしよう。最初にお断りしておくが、梅の分類方法は一様ではなく諸説あるそうだ。


 だが吉野梅郷の管理にあたる関係者の説くところによると、梅の紅白を分ける基準は花の色ではない。つまり分類の基準・視点が素人の考えるところとはまるっきり違うのである。梅の分類は一目でそれと分かる雑種性の強いもの、つまり豊後系がまず分類される。そして残りの梅はより原種に近いとされる野梅系と、多く紅色の花を付ける紅梅系に分類される。この時の分類の基準は枝の断面の色にある。ぽきんと折った断面が白ければ野梅系、紅色をしていれば紅梅系となる。

 花びらの色は多く枝の断面の色に添っているからそうなったのだろうが、自然界は0と1とで全てを決するデジタルの世界ほど単純ではない。断面が白い野梅系の中にも紅色の花を咲かせる品種があって紅筆性という細分が設けられているし、紅梅系紅梅性の中にも希にだが白い花を付けるものが現れる。だからこそ自然界は面白いのだ。興味のある方は是非、下記のページをご覧いただきたい。(了)

 http://www.omekanko.gr.jp/ume/zukan_sub01.htm 梅の分類と特徴(青梅市観光協会)