○草刈り--夏の田圃2009/07/23

 今は機械ができて、直立したままで草刈りができるようになった。以前は田圃の土手も全て手で刈った。草刈りは常に下向きの姿勢を強いられる。疲れて鎌の刃先が石を叩くと、その反動で鎌が足に飛んでくる。怪我の少なくない仕事だった。だから鉈や鎌など刃物を使うときは必ずその前に親から注意を受けた。また通りすがりの人も、刃物を使った作業をしていると必ず「気を付けなさいよ」と声を掛けてくれた。
 鎌は使っていると切れ味が落ちてくる。予め2丁3丁と用意して刈り始めることもあるが、休憩を兼ねて鎌を研ぐことが多かった。そんな時は刈り終えた長さとまだ残っている長さとを比べ、よく溜息をついた。炎天下での作業は辛いので大抵は日が高くならないうちに行う。ズボンが朝露にぐっしょり濡れ、首や顔をヤブ蚊が襲った。みんな遠い、昔の思い出となった。

 わが刈りし草の広さに憩ふかな 萩本ム弓

■たらい回し--新釈国語2009/07/22

 ある事柄や地位などを法律の範囲内であることを口実に馴れ合いや馴れ合いに近い簡略な手続きによって都合のよい身内などに次々と順送りし、決して他の者には触れたり近づいたりさせないこと。たらい(盥)は手や顔などを洗うために水を入れておく器を指す。元の意は、それを銘々が揃えて自分専用に使うのではなく仲間内でひとつの盥を買い求め、それを皆が順々に送り回して利用することをいった。現在では政権や一部の役職などのありようを示す言葉として主に用いられ、あたかも既得権であるかのように一部の政党や団体内で顔ぶれだけを替えながら独占し続けるさまをいう。
 なお一部の辞書やそれらに基づくインターネット辞書の中には、これを曲芸としての盥回しに由来する語と解説したものも見られるが、それらは回すことの意を誤解した安直な説明であり、利用に際しては十分な注意が必要である。

■自分の首を絞める--新釈国語2009/07/20

 結果として自分を苦しめるような愚かしい行為や軽はずみな行為をたとえていう。誰も自分で自分の首を絞めようなどと思って行動を起こすことはない。そうではなくて、楽になろう得をしようと考えるから始めるのである。しかし結果は時に思惑とは逆になり、今以上に苦しく悪くなってしまうことがある。だから用心が肝心なのである。人が用心を忘れ、あまり深く己(おのれ)を顧みることなく、得をしようと欲で物事を始めたとき起こるのがこういう結末である。
 国民に信を問うことなく政争を繰り返す政治家風の輩(やから)、政党の力とタレントの人気を区別できない衰弱頭の政治家、何でもポスターに頼る陣笠議員など、地道な日常活動の不足しがちな人々がテレビ映りのために無理な演技に走る場合はとりわけ注意が必要である。

◎水田の風--都会の田圃(9)2009/07/14

 田植えが済んで10日ほど過ぎた。補食も終わり、根付いた苗がこれから本格的に生長を始める。水田をわたる風が心地よい。根が張れば一気に丈が伸び始め、風景も一変する。今は見える田圃の土も稲の根元も水もみんな見えなくなる。異常低温や日照不足さえなければ突然、葉稲熱病などに襲われることもないだろう。徳さんや奥さんのためにも、そう祈りたい。

○無駄花(10)--夏野菜2009/07/14

 親の小言と茄子(なすび)の花は千にひとつの無駄もない、とは誰が言ったものだろうか。今その小言を言えない親が増えている。学校に入り勝手放題をして初めて他人から小言を言われるという子どもが少なくない。そのため小言に熱が入ったり小言が激しかったりすると、免疫のない未経験の子どもの中には逆上して相手に暴力を振るう者まで出る始末である。誠に困った世の中だ。
 さらに困ったことに、こうした反発を恐れるあまり教師の側も子ども達に小言を言わなくなってしまった。小学校で言わなくなり、中学校で言わなくなり、高校や大学や社会にその責任を先送りしてしまった。今や先送りは官僚の特技でも政治家の特技でもなくなり、日本社会全体の特技になりつつある。
 新卒といわれる社会人の卵を受け入れた職場では企業も役所もみな社員や職員に小言の予防注射を打つところから研修を始めなければならない。そうしないと自信を無くして会社や職場に足が向かなくなってしまう。すぐに辞める者まで出てしまう。経済学や経営学では決して教えることのない大量の無駄にあちこちで悩まされている。(つづく)

◎補植風景--都会の田圃(8)2009/07/13

 人間にはずぼらと評される人もいれば几帳面と言われる人もいる。昔、数を頼みに大勢の人が田植えに参加した時代はその家の主人(あるじ)の性格によって、植えた苗の手直しや補植の風景は大きく違ったように記憶する。苗の間隔の調整に重きをおく人もいれば、本数を気にする人もいる。少ないと感じれば足し、多いと感じればその分を分けて別にする。だから仕事にはその人の美的な部分が否応なしに現れた。何でそんな面倒なことをするのだと聞かれても、それが米作りだからと答えるしかない。
 大規模米作農家のことは知らない。しかし多くの先人達がしてきた米作りとはそのようなものであった。その人の性格が現れるほど多くの愛情を注いできたのだ。炎天下での田の草取りなど、一度でも経験した人でなければその辛さ、腰の痛さは分からないだろう。何も知らない人間が尤もらしく無農薬栽培などと口で言うのは簡単だが、それだけの努力を傾注して果たして作り手が報われるかどうかは甚だ怪しい。
 無農薬の田圃は雀もよく知っていて、群がって襲いかかってくる。敵は稲熱(いもち)病やイナゴだけではない。誰かが守ってくれるわけでもない。時には時代遅れと誹(そし)られながら先祖から受け継いだ田畑を必死に耕し、自分達で考え守ってきたのが都市近郊の農業だ。徳さんも自分と家族のことを思えばこそできる仕事であって、決して商品化や現金化が主目的ではない。「うちはまだ一昨年の米を食べているんだよ」とは奥さんの言葉だ。いつ田圃が消えるかと案じられてならない。

■大局観--新釈国語2009/07/13

 経済情勢など変動や変化のある事柄について個々の指標や動きだけでなく関連する様々な要因や事象全体に広く目を配って把握し、その成り行きを見定めること。大局は囲碁の世界から出た言葉で、盤面全体の形勢をいう。観は文字通り、目に映った印象や目に見える物事の状態・様子を指す言葉であるが広く、物事の見方や考え方を示すときにも用いられる。株式や為替など相場の変動が激しい世界では大局観はとりわけ大事なものとされ、これを誤って一時的な綾戻しや綾押しに惑わされると大きな痛手を被る。
 政治の世界においても同様で、とりわけ定期的な選挙の洗礼を受ける党勢の分析にはこれが欠かせない。政党指導者には現状が上昇傾向にあるか、その逆の下降気味か、足踏み状態かといった判断を大きな流れの中で的確に下すことが求められ、その判断に基づく迅速な対応が不可欠である。特に下降局面においては傾斜の角度と速度の見極めが重要であり、これを誤ると手遅れがひどくなって党勢を一層の衰退に導く。

■なりふり--新釈国語2009/07/12

 なりとふり。なりは身なり・服装、ふりは身振り・動作の意。多く「なりふり構わず」の形で用いられる。まだ日本が貧しかった頃はもっぱら動詞「働く」の副詞句として用いられた。近年は主に、党勢の衰退が伝えられる政党が相手の党の失策などを衝く弱点攻撃の修飾句となっている。そのため意味合いとしては前向きな印象は薄れ、非建設的で後ろ向きな感がある。

■説明責任--新釈国語2009/07/09

 政治家や官僚など公的な仕事に携わる人々、大企業の経営者や経営者団体幹部、大組織の労働組合幹部、マスコミ関係者など社会的な影響力を持つ人々が自分の発言や行動の中に、著しく常識や公正を欠くと思われる部分のあることに気づいたり指摘された場合、また反社会的な内容を含むと疑われるような場合に、みずから進んで釈明に努め、または率直に非を詫びて謝罪すること。謝罪には責任の所在を明らかにすることと、影響の大きさに応じた責任の取り方の両方が含まれなければならない。
 釈明とは自分に向かう誤解や非難に対し、みずからの立場や事情などを説明することである。その目的は相手に理解してもらうことにある。決して相手の質問をはぐらかしたり、問題の焦点をぼやけさせたり、一方的な説明のみで終わらせることではない。と同時に釈明の報知をマスメディアの都合に委せることなく、知って欲しい相手に対しては常に積極的に情報を発信し事柄の本質や状況を公開してゆく努力も必要である。これを怠るといつまでも、説明責任を果たしていないとか、あの説明では理解できない、納得できないといった非難を許すことになる。
 なお日頃から自分の立場をよく弁(わきま)え、言動には細心の注意を払うことがこうした問題を防ぐ最善の方策であることはいうまでもない。

■末期的--新釈国語2009/07/09

 ある事柄がそれの消滅、死滅、崩壊などを予想させるに十分な状態にあること。それまで勢いのよかったものが見る影もなく衰えて、もはや手の施しようがない状態に変わることをいう。企業の場合は単に売り上げが落ちるだけでなく、商品に対するクレームやリコールが頻発する、手抜き工事が発覚する、品質偽装が露見する、脱税や粉飾決算が発覚する、役員などの不祥事が相次ぐ、内部対立が露呈する、新商品もないのに急に広告や宣伝が増えるなど企業活動の崩壊を予想させる多くの不正常な事件が伴う状態を指す。政党の場合も支持率の低下や単なる不人気だけでなく、目立ちたがり屋の議員が増える、新人議員がわあわあ騒ぐ、党内抗争が始まる、役員の不祥事が続く、幹部同士の足の引っ張り合いが始まる、幹部の発言がころころ変わる、予算のばらまきに力を入れる、タレントや有名人候補の担ぎ出しに熱が入るなど普段とは異なる終末期に特有の症状が顕著になった状態をいう。