◆りんごの誤解 残留農薬2010/02/28

 敗戦後を生き延びた世代にとってDDTは、ある種の懐かしさも湧いてくる白い粉末の殺虫剤である。進駐軍がシラミ退治のために持ち込み、小学校を回って子どもたちに頭の上からこの粉末を振りかけた。そんな光景を覚えている世代もまだ多いことだろう。このDDTが自然環境を破壊していると米国の女性生物学者レイチェル・カールソンが警告したのは1962年である。日本では高度成長が始まって間もない頃であり、彼女の著作 Silent spring に注目した人は希だった。「沈黙の春--生と死の妙薬」と題した邦訳が出版されるのはそれから12年後の1974年、日本におけるDDTの使用禁止はそれより3年早い1971年のことである。この年には環境庁が発足した。

 こんなことを書いたのは白い粉や白く乾いた器具の表面などを目にすると、つい昔のDDTのことを思い出すからである。かつて秋のりんごといえば国光が普通だった時代にはそれほど、この白く乾いたりんごの皮の表面は気にならなかった。井戸の水か川の水でちょっと洗って囓れば上等、普段はそんなこともせずにそのままドイツ娘と同様ズボンの膝で擦るくらいでかぶりついていた。それがある時から急に衛生観念が発達したのか皮は食べなくなった。ふじと呼ばれる甘い品種の登場した頃と時期が重なっているような気もするが明確ではない。とにかく必ず皮を剥き、それを四つ割りしてから食べるようになった。


 しかし今はまた変わった。りんご農家に知り合いができ、農薬散布の実際を一年を通して観察し、使用する農薬の中身についても自分の目で確認し、これなら特段りんごの皮を避ける理由には当たらないだろうと決めたからである。りんごの皮の美味さと、残留農薬摂取の怖さとを秤にかけた上での結論でもある。完全無農薬りんごは、りんごに限らず食全般について理想と思う。だが農薬散布を止めるとどうなるか病害虫の猛威を何年も続けて目の当たりにしていると、とても現実的な策とは思えない。

 それでも他の農家の内情まで全て観察しているわけではないし、特に最後の消毒・農薬散布の実施日を常に確認して購入しているわけでもないから食べる前にはそれなりに流水で洗ってはいる。実施日を確認しても収穫までの降雨量や雨の回数・降り方、雨の時の風の強さ・向きまで調べないと残留農薬の予測はつかない。そこまで気にするより、その分だけ丁寧に洗った方が賢明だと気づいたからである。(つづく)