夏から秋へ--百日紅余談2012/09/08

 歳時記は百日紅(ひゃくじつこう)を初夏の植物に数えるが、花の見頃は毎年八月から九月彼岸の頃である。実感としては晩夏の花であり、残暑のイメージも強い。重なる記憶はじりじりと照りつける日射しであり、湧くように鳴き続ける蝉の声である。では背景は秋の繊細な雲が合うだろうか、それとも入道雲だろうか。


 この百日紅を庭に植えた家の多くは花が終り葉が落ちると、その年伸びた小枝の全てを伸びた根元からすっかり伐り落としてしまう。翌年また新しい枝が伸びて同じように花を咲かせるが、伐り落とした後はいつの間にかすっかり塞がっていて腐りの入る心配もない。実に丈夫な樹木である。

 しかし場所さえあれば、百日紅の枝はなるべく伐らずに放置しておきたい。野に咲く梅の古木や斜面に植えられた桜の大木に負けず、枝を落下傘の如くに伸ばして咲く姿は見事なものである。鎌倉宅間ヶ谷の報國禪寺脇にある民家には昭和の戦前からそんな風にして仕立てられた大木が3本並んでいる。平成に入った頃、寺側でも植木屋がそこそこの幹周りのある百日紅を新たに植えたが、離れて眺めると貫禄に関脇と幕下くらいの差があった。

 そんな堂々たる百日紅ではあるが、いつの頃からか枝の間を電線が通るようになり、やがて電話線が続き、さらにテレビの太いケーブルが続き、光回線のケーブルが続くと、もはや写真に収めるような景色ではなくなってしまった。この木が植えられた頃、その先に家はなく、麓の農家が耕す何枚かの水田と畑があるのみだった。そんな水田が埋められ、畑は潰されて家々の建ち並ぶ時代がやって来た。百日紅にとっては枝を伸ばしては咲き、咲いては散ってまた枝を伸ばすことを繰り返したに過ぎないが、数十年の歳月が流れるうちに谷戸の景色はすっかり変わってしまったのである。

 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/16/ 百日紅(1)--夏の終りに
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/19/4588016 百日紅(2)--夏の終りに
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/24/4595124 シロバナサルスベリ--夏の終りに



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