敬老の日--大根日記(4)2012/09/17

 今日は敬老の日。前々回の記事で触れた母は大正8年(1919)に生まれ、独居を断念するきっかけとなった昨年末の事件まで入院経験なしの生活を続けてきた。通院は20年ほど前、他人に勧められて「持病」の心臓病の診察を受けに公立病院を訪れた1回だけである。そのとき処方された薬を服用して「ひどい目に」あって以来、医者嫌いとも言える状況が続く。それでも月2回、2週間おきに巡回してくる地域の診療所の看護師の訪問だけは受けていた。

 こう記すと母はいかにも健康そうに感じられるが、真偽のほどはよく判らない。その理由は第一に、診療所の医師によると心臓に「持病」のような症状は見られないが若干血圧が高めであるとのことだった。母は数年前から「血圧の薬」と称して、この医師の処方したものを確かに服用していた。また同じ頃に父が亡くなり、「夜、眠れないことがある」と看護師に訴えて睡眠導入剤を処方してもらうようになった。これらの診療・投薬に要する費用(自己負担額)は月々3千円くらいであったと聞く。

 理由の第二は、昨年末の入院事件で判った保険外費用の存在である。そのひとつは農協の置き薬代が毎月1万円前後もかかったこと、また処方された薬の配達に訪れる町の薬局の主人に勧められて飲用が始まった各種サプリメントの支払いが毎月やはり1万円を超えていたことである。母は薬局が勧めるサプリメントを次の二つの理由で毎日必ず飲んでいた。一つはテレビのワイドショウ番組でよく話題にされること、もう一つは祖父(母の実父)から「医者の薬は効かないから具合が悪いときは薬局の高い薬を飲まないと駄目だ」と聞かされていたことである。

 町の薬局が届けるサプリメントも農協の置き薬も処方箋に基づく投薬も、母にはみな同列の「薬」と映っていた。独り暮らしの母が信じたのは医学的な知識でも医者の言葉でも身内の言葉でもない。自分の財布から出てゆく金額そのものだった。その差こそがまさに効能の差であると信じて疑わなかった。加えて、症状が改善しないのは服用量が少ない=薬代を惜しむからだという妙な「自信」のようなものまで付けてしまった。だから年末に入って風邪をこじらせると当然のように手元の総合感冒薬・解熱鎮痛剤・睡眠導入剤・各種サプリメントを次々と過剰に服用し、面倒な食事の準備は後回しにして布団に横たわった。そして「後半日、発見が遅れたら」というところまで病状を悪化させた。

 幸いにも大事には至らず、新年早々に退院を許された。但し独居は不可との条件付きだった。さんざん揉めた末、我が草庵に落ち着くことになり、今は全く新しい住環境(食事環境+文化環境)の下で暮らしている。退院から8ヵ月以上が過ぎ、酷暑の夏もどうやら峠を越えた今、事実として言えることは退院したそのときから薬というものを全く口にしていないこと、もちろんサプリメントの類の利用も皆無なことである。朝昼晩きちんと定時に食事を取り、午後のおやつにお茶と少々のお菓子(または煎餅)を口にするのみの生活が続く。

 だから保険診療の公費負担分月額2.7万円(患者負担1割として)のことも、薬局・置き薬関係の支出の月額2万円余のことも次第に母の記憶からは遠ざかりつつある。そしてよく眠る。悩みと言えば「大きい方がたまにしか出てくれない」ことだろう。腰は数年前から、くの字に曲がってしまった。長い歩行には杖が欠かせない。だが痩せ落ちた肩や背中の肉は元に復し、痩せ細っていた腕も元の太さを取り戻した。食事作りは止め(新しいガス器具の操作に不慣れ)、洗濯物を干したり取り込むこともできない(腰を伸ばすのが難儀)が、農作業ほどのこだわりを見せることもない。悟った様子もないが惚ける気配もない。

 本人は来春の定期健診まで健康診断を受けない・その必要がないと言い張っている。ところが昨今のような何かと難しいことの多い世の中では、年寄りがあまり医者から遠ざかるのも感心できないものらしい。何より行政側に生存の確認の取れないことが大きな理由のようだ。医者要らずの健康・元気者がもっと歓迎されるような「普通の」世の中でありたい。保険診療が年1回・定期健診のみの被保険者(例えば50歳以上、60歳以上、65歳以上の)には多少でも追加の所得控除が受けられるとか、翌年の保険料負担が軽減されるとか、KKR(国家公務員共済組合連合会)の保養所の優待利用券でも配られるといった恩典・健康奨励施策があれば目標にもなろう。励みのない、ただ徴収あるのみの徴税国家ではつまらない。(つづく)

大根日記2012/09/09

 何だか役者の懐中手帖みたいだが、さにあらず。遅い夏休みの自由研究である。二十日ほど前、山間地の畑に大根を蒔いた。何しろ遠隔地にある畑だから、その後の様子が分からない。袋には確か85%以上の発芽率と記されていた。蒔いた前後には夕立があったし、JAの種でもあるし、さっぱり芽が出ないどこぞの役者の卵とは違うと思いつつも、旱天に泣かされた昔のことを思うと今ひとつ確信が持てない。

 畑に蒔くときは、間隔も測って二粒ずつきちんと蒔き、軽く土も載せた。土を厚くしすぎると発芽が遅れるし、あまり薄いと夕立で飛ばされたり、鳥に食べられてしまう。昔の遠い記憶も頼りにしながら丁寧な作業を心がけた。それでも幾久しく途絶えていた農作業である。本当に芽が出るものか、どのくらい出るだろうか、と気になった。

 ほんの少しだが種が余った。余った種はそのまま持ち帰ることにした。すでに袋の封は切ってあるから、あまり長く放置するのはよくない。

 九月の声を聞くと急に、種のことが気になった。そこで発砲スチロールの魚箱に堆肥と元肥の化学肥料を入れ、三日前の六日の朝に種蒔きをした。次の写真はその翌朝七日に撮した。破線の○で示した中に大根の紅い種皮や発芽の始まった様子が写っている。水やりのせいで土が流れ、顔を覗かせた種だろう。


 次の二枚は、二日目の八日の朝そして今朝の様子である。身近にあって水やりができると、こんなにも簡単に芽を出してくれるかと驚くほど短時間のうちに発芽が始まった。もっとも今度はいい加減にバラバラと蒔いたから発芽率の精確な計算はできない。それでも十分な発芽力をもつ種であったことは確認できる。(つづく)




◎季節の言葉 筍・竹の子(2)2010/04/18

 グラム○○○円と表示して量り売りする店もあれば、選り取り見取りの均一料金で大量に販売する店もある。どの店にも共通するのは商品名の表示が「筍」ではなく「竹の子」と3文字にしている点である。鶏卵が玉子と書いて販売されるのと似ている。近ごろは客の方でも筍と表示されたのでは読めない人が多いかも知れない。

  筍の秤したゝかに上りけり 田村木国

 筍は竹冠+旬(じゅん)と記すが、旬は他の多くの漢字に先駆けて朝鮮半島経由で日本に伝わった文字のひとつである。勹には「めぐる」の意があり、これと日を組合わせることで甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干を一巡りする意となり、十日を単位とする数え方に用いられる。上旬、中旬、下旬だけでなく、旬報とか旬刊とか旬日などよく目にする漢字だろう。

 ところで筍という漢字の音(漢音)は「じゅん」ではなく「しゅん」である。しかし旬は日本では「じゅん」が先に音として定着したのでこれを「しゅん」と読む人は少なく、もっぱら慣用音の「じゅん」で通っている。


 興味深いのは、この字が十日の意ではなく野菜や果物や魚などの味が最もよくなる時節の意としても使われることと、その際には慣用音の「じゅん」ではなく本来の漢音である「しゅん」が用いられることである。実は「しゅん」という音には春(しゅん)に通じる響きがあり、春先に芽吹いた柔らかくアクの少ない新芽を好んで食した列島の先人たちの生きる知恵がこの文字に目を止めたのではないだろうか。そして地中からほんの少しだけ頭を出した竹の子こそ、この旬のイメージを象徴する食べ物ではないかと思うのだが考えすぎだろうか。(了)

◎季節の言葉 筍・竹の子2010/04/14

 この季節、八百屋の店先に大小様々な筍を見ることが多くなった。都会では九州の福岡県産とか四国の徳島県産など遠隔地で掘り採ったものが各地のJAや卸売市場を経由して並べられるから当然のことながら掘りたての筍ではないだろう。近ごろは魚類だけでなく野菜についても鮮度を売り物にする店が増えて、例えば群馬県の赤城山麓の畑で朝早く日の出前に収穫したレタスをその日の10時には店頭に並べるといった工夫もされている。実は筍もレタス以上に鮮度が要求される食べ物なのである。掘ってすぐなら、嘗めても囓ってもえぐみはほとんど感じない。柔らかい部分ならそのまますぐに食べることもできる。


 都会の喧噪とは無縁の田舎暮らしをしていると、この点だけは徳をしていると感じる。筍はお金を出しても手に入るが多くは貰い物である。竹藪の持ち主は次々に顔を出す筍を放っておくとどうなるかをよく知っているので、せっせと掘り取る。早いうちに始末すれば伸びてしまってから間引くような手間がかからない。問題は、こうして毎日のように収穫する筍をどう処分するかである。勢い親戚、友人、知人と伝(つて)を頼って引取先を見つけることになる。保存が全く効かないわけではないが茹でた筍の足は早い。

 そんなわけで、この季節は毎日のように筍が食卓に並ぶ。煮物、汁の身、天ぷら、筍飯など飽きることがない。飽きる頃には大抵、いただく筍の方が払底している。しかし世の中にはそんな幸運に恵まれた人ばかりではない。次の句はそうした人々に共感をもって迎えられた作品である。(つづく)

  筍を盗む心の起りけり 桂田死酒

◎季節の言葉 遅日2010/04/11

 俳人はなぜか漢語の使用を躊躇うことがない。よく使う。句を作る人にはそれだけ教養があるということだろうか。今の季節の空を詠むときに使われる養花天などという言葉が理解できるのは、やはり一部の人に限られよう。

 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/04/01/4218658 春の空・養花天

 その点、遅日は文字こそ易しいが、さて意味となるとどうだろうか。夜の明けるのが日々早くなり、しかも日の暮れるのが日々遅くなって一日をとても長く感じるという意である。和語では遅き日と云い、ほかにも日永(ひなが)、永き日、暮れかぬる、暮れ遅しなどの云い方もされる。こちらの方がよほど分かりやすく、かつ親しみやすい表現だと思う。


◆野性味 酸葉の味2010/04/10

 野という漢字は「里+予」と書く。だが古い字形は「林+土」である。この字は野の異体字として今でも名字には使われている。但し埜(や)の字について、これを林があって土が見える(舗装されていない)から郊外や田舎や野原のようなところを指すのだと解するのは適切ではない。それは現代人が考えることであって、古代においては地球上の至るところ海か川か、そうでなければ地面か岩であった。地面には必ず木や草が生えていた。木も草も生えないような場所は水の涸れた砂漠であり、人間は住むことができなかった。

 この字を土の上に木々が生い茂るさまと解するのも妥当ではない。木も草も地面に生えるのは当たり前のことであり、それらの生育に土が必要と考えるのはマンション住まいに慣らされた現代人の悲しい発想でしかない。林の字が示すのは木々が生い茂る未開の土地、土が示すものは木々を切り倒して耕した土地と考えるのが妥当だ。これら二つを合わせもつところを「や」と呼び、埜と書き表したのである。音の「や」は土(しゃ)から出ている。

 つまり野といえども人の気配が必要であり、人跡未踏の地や無人の場所は野の範囲には入らない。野の字に、人家が集まる小さな集落としての里の字を用いたことが何よりの証拠と云える。さらに、音符を兼ねる旁の予が人家を表す舎(しゃ)から来ていることにも注意したい。総じて野とは人は住んでいるが開化の進んでいないところ、人が住んでいても自然の状態がそのまま残っているところを指していて、田舎や粗野や民間などの意はこれから転じたものである。

 例えば野趣という言葉には人の手の加わらない自然のままの状態を彷彿とさせるさまを云う場合と、田舎を想像させるような鄙びたさまを云う場合の二通りの意がある。後者は前者から転じたものであろう。野性も日本では人間というより動物に近い、教育を受けることのない粗野な性質を示す言葉として使われているが、漢詩には静かな田園での暮らしを楽しむ心を指す表現として用いたものもある。日常よく目にする言葉や文字であっても時には辞書を開いて、その意味や用法に触れておくことが肝要であろう。


 写真はタデ科の多年草酸葉(すいば)を撮したものである。一般にスカンポと呼び慣わされている野草で、今頃のものは食用にもされる。茎や葉を噛んだときの野性味あふれる酸っぱさを思い出す人もいることだろう。

◎言葉の詮索 縁結び(4)2010/04/09

 ましてこれが親類縁者となれば、夫や妻となれば、子となれば、兄弟姉妹となれば、それらの人が口にするものを自分も口にすることに何の造作や躊躇(ためら)いが要るでしょうか。日本列島には昔から、人間同士の繋がりや知り合うことの大切さを思う温かい気持が人々の心の中に息づいているのです。


 そんな島国に新たな言葉として定着した縁結びには単なる知り合いの関係を超えた、より深くより密接な関係へと進むことの願いが込められています。年齢の異なる他人同士があたかも親子であるが如くに契(ちぎ)る養子縁組み、血縁はなくても兄弟の約束を交わす義兄弟の契り、赤の他人同士だった男女が結びつく夫婦の縁組みなど様々な組合せによる結びつきが考え出されました。中でも若い男女の結びつきは生物としての本能に基づくものでもあるため和合による次の世代の誕生が期待されると同時に、他の結びつきとは異なる人間社会ならではの難しい問題も残されています。

 織田信長などの武将が活躍した時代、盛んに来日してキリスト教の布教に努めた宣教師たちは日本の人々に神の教えを説くため俗語を交えた平易な教義書をつくりました。その一冊「どちりなきりしたん」には「一度縁を結びて後は、男女ともに離別し、又、余の人と交はる事かつて叶はざるものなり」と、記されています。新しく誕生した徳川幕府の禁教政策によって宣教師たちは迫害されたり国外に追い払われたりしたため、この書の影響は極めて限定的なもので終ってしまいました。江戸の町ではかなり自由な男女の関係も行われていたようです。

 明治に入っても男女の悩みには深刻なものがありました。作家として知られる夏目漱石もまた夫婦の関係については最後まで悩み続けたひとりでした。長編小説「明暗」には「こればかりは妙なものでね。全く見ず知らずのものが、いっしょになったところで、きっと不縁になるとも限らないしね、またいくらこの人ならばと思い込んでできた夫婦でも、末始終和合するとは限らないんだから」と記しています。この作品は新聞に連載されていましたが、作者の病死によって結末を見ることなく終ってしまいました。作者がどのような結末を考えていたかは想像するしかありません。

 末始終(すえしじゅう)和合するとは夫婦仲の極めてよいこと、男女の関係が末永く続くことを指しています。ヒトがサルから進化した動物であることは最初に書きました。若い皆さんには「良縁を得たい」「この人となら結ばれたい」「縁を結びたい」と願う気持が大変強いことでしょう。しかしそうした気持が一時のものに止まっては固い縁結びにはなりません。「縁結び」とは二人が夫婦「である」という運命のような関係に落ち着くことではなく、夫婦でありつづけるために懸命に努力を「する」関係になるのだと肝に銘じることなのです。だから二人で一緒に、これを神仏の前で誓うことが終生解(ほど)けることのない固い固い理想の縁結びの第一歩になるのです。(了)

◎言葉の詮索 縁結び(3)2010/04/08

 縁結びは仏教の言葉である結縁(けちえん)を訓読みにした「縁を結ぶ」から生まれた言葉です。仏教では仏の道に縁をつけることを結縁と云います。仏の慈悲にすがらずとも生きてゆけると自信を持っていた人、自分のしたいように好き勝手に生きてきた人がある日ふと人生の無常を感じるようになります。生あるものは必ず滅ぶのだと知るようになります。

 すると急に来世のことが気になります。それまで全く無縁だった仏法を意識したり、仏道との繋がりを気にかけるようになります。いずれ生の尽きる日の来ることを知り、何人にもそれが避けられない運命であることを知って、成仏を願うようになります。苦しむことも生死の境目を知ることなく、静かにあの世へ旅立ちたいものだと考えるようになります。そして、あの世を支配する仏の知遇を得ておく必要に気づかされます。これが仏教における結縁、すなわち縁を結ぶの意味です。


 これに対し日本列島に暮らす先人たちが考えたのは今を生きる人々との強いきずなでした。あの世には地獄もあれば極楽もあるだろう。だが、そこに暮らすのはいずれも現世から移り住んだ人々のはずである。ならば、まず現世での縁こそ大事にすべきではないか。現世で互いの繋がりを大事にし、諍(いさか)いを避け、平穏無事に暮らすならば、必ずや来世でもまたそのように他の人々と暮らせるであろう。素朴に、そう考えたのです。これが先人たちの考えた広い意味での縁ということの中身です。

 江戸時代の初期17世紀半ばに松江重頼が編纂した「毛吹草(けふきぐさ)」は貞門俳諧の作法書として広く流布しました。その中に「縁に連(つら)るれば唐の物を食ふ」という表現があります。人間は縁さえあれば全く食べたことのない異国の物でも口に入れるものだと解釈される言葉です。当時の人々が縁というものをいかに重んじていたかの例と云えるでしょう。

 注意したいのはこの場合の縁が決して特別な関係を指す言葉ではないということです。異国である唐から来た人を見たことがある、その人がどんな姿をしているか知っているといった程度のことでしょう。隣国といえども海を越えての自由な往来は叶わなかった時代の話です。そんな程度のことでも人々はこれを天から与えられた縁として大事に考えたのです。袖振り合うも多生の縁とはまさに人々のこうした気持を代表する言葉と云えます。(つづく)


◎言葉の詮索 縁結び(2)2010/04/07

 漢字の縁は漢音では「えん」と読みますが、訓読みでは「ふち」とか「へり」とするのが一般的です。どちらも昨日説明した端っこの意です。日本語ではこのように同一またはよく似た内容の事柄に対して幾つもの言い方や表現のあることが少なくありません。その場合、それぞれの意味に対応する漢字のあるときは使い分けも可能ですが、ないときは同じ漢字を宛てて読み分けることになります。

 縁にはほかにも「えにし」「ゆかり」「よすが」といった訓も使われています。このうち「えにし」は漢語の縁に副助詞の「し」が付いたものだと云われています。これは「いつしか」「おりしも」などというときの「し」と同じ働きをする助詞で、副詞に似た機能をもっています。「えんし」では言いにくいので「えにし」に変わったのでしょう。意味は縁結びの縁と同様に男女間の繋がりを表しています。

 これに対し「ゆかり」は生地、学校、勤務先など何らかの繋がりや関係があることを示す言葉です。親戚関係についても用いられます。また「よすが」は古くは「よすか」と濁らない言い方が一般的でした。文字にするときは「寄す処」と記します。拠り所や頼りの意ですが、漢字の縁を宛てるのはそれが人の場合です。特に夫、妻、子など互いの関係が深く、従って頼りにもなる人を指しています。単なる拠り所の意味で使うときは縁は使いません。


 縁を結ぶということは決して一時的な男女の関係を築くことではありません。人類にとっては社会の永続性を確実にするために、その源をつくることを意味する言葉です。また一人ひとりの人間として見た場合は、生涯をともに手を取り合って一緒に生きてゆくための相手を決めることであり、さらに末の頼みをつくるための伴侶を選ぶことでもあるのです。(つづく)

◎言葉の詮索 縁結び(1)2010/04/06

 縁という漢字は正字では糸偏に彖(たん)と書きます。糸偏は織物を表し、彖には端(はし)の意があります。つまり布の端っこが原義です。この端をもって他の布の端と結んだり端と端を縫い合わせれば、より長い布・大きな布とすることができます。一枚の布だけでは端っこに過ぎなくても他の布と繋ぎ合わせるときには、この端っこが重要な役目をするわけです。

 ところで人間(ヒト)は群れて暮らす動物です。年齢も身体の大きさも力の強さも好みも違う老若男女が社会という群れをつくって生活しています。群れの中で生まれ、寿命が尽きると死に、残った者がその亡骸を弔います。子どもが生まれるためには成熟した若い男女が他の哺乳類と同様に交わり、女性は母となって新しい命を誕生させることが必要です。


 一方、男性もニホンザルのような単なるオスとしての役割だけを負っていてはヒトの社会は成立ちません。伴侶となった女性を助け、住まいや食料を確保し、子どもを安全かつ確実に成人させる重要な役目を負っています。次の世代の担い手が育つまで常に見守り続ける必要があるのです。

 これが父性と呼ばれるものです。従来のサル社会には見られなかった父性の誕生・獲得がサルの群れに継続的な夫婦という結合を生み出し、結合の結果でもある子どもを含めた家族がヒト社会とサル社会とを分ける最も重要な差となったのです。若い皆さんには、この点をしっかりと自覚して伴侶探しに望んで欲しいと思います。(つづく)