東雲--アジサイの季節2009/06/06

 東雲(しののめ)は東の空がわずかに明るくなる頃を指して古代の人々が名付けた呼び名です。日の光の変化を示す言葉のひとつと考えられます。現代の人々は日の光を避けるためにわざわざ雨戸を閉めたり遮光カーテンを使いますが、古代の人々にとって太陽は生きる力そのものでした。視力を働かせることができ、狩猟や栽培に精を出せるからです。だから日の出には敏感でした。寝ていても日の出には必ず気づくよう明かり取りを工夫していました。その仕掛けが篠の目であり、やがてそこに微かな日の光を感じる時間も同様に「しののめ」と呼ばれるようになったのです。
 今の季節で言えば3時台に当たるでしょうか。紫陽花は一年で一番昼間の長い季節に咲く花です。寝不足にならないものかと案じられます。今日の一枚は撮影者が現代人のため厳密には東雲よりやや遅れた時間に、寝ぼけ眼(まなこ)で構えたカメラに収まっていました。

■ぶれる--新釈国語2009/06/06

 ある基準から見て、それとの差が大きくなることを示す俗語的な表現。写真撮影ではシャッターが降りる瞬間にカメラが動くと撮影された写真の中にカメラの動きが記録されて画像がずれたり二重写しになったりすることがあり、こうした現象は手ぶれと呼ばれている。カメラの普及にともない、この写真用語が一般の言葉にも影響を及ぼしたのではないかと推測される。従来の言い方では、清音の「振れる」が一般的だった。
 なおこの言葉は明確な基準や確たる基軸が存在する場合に、それらの基準や基軸との対比として用いるべきであって、昨今の政治家や一部の政党の議論に見られるような主張の単なる二転三転やご都合主義的な議論の推移変遷とは質的に異なるものである。マスコミにおける日本語力の低下を示す言葉と言えよう。

早苗--田圃のある風景2009/06/06

 昨日の風景を田植え前と呼ぶなら今日の風景は田植え後とでも呼ぶべき1枚です。田圃というスタート台に並び、秋に向かって、まさに「ようい、どん」で成長を始めようとしている稲の苗たちです。
 今は小さな田圃でも機械植えが主流のため昔のように植え手の個性が稲の並びや間合いに出ることはありません。それでも田圃の隅など場所によっては、機械が使えないため丹念に手で植えて補う人もいます。いくら機械化が進んだとは言っても、よく見ればそれぞれの田圃に耕作者の個性が現れているのです。
 なお小さな画面では無理かも知れませんが、この写真には苗の間を元気に泳ぎ回るたくさんのオタマジャクシが写っています。頭としっぽだけの、生まれて間もない蛙の子どもたちです。