◎漢名探し(2)--アジサイの季節2009/06/14

 すでに多くの研究者によって指摘されているように「あぢさゐ」は、古代日本語の研究資料として欠かせない「万葉集」にも登場する言葉です。しかし「万葉集」には解明されていない点がまだたくさんあります。日本語や日本文学の研究者間では解明済みと思われるような事柄でも一般の人々を納得させるほどの説得力を持つに至っていないものがあるように感じます。それが純粋に言語学や文学の専門領域内と主張できるものなら構いませんが、例えばこの植物の名前の由来のようなものになると、もはや専門領域内に閉じこめておくのは無理でしょう。6月7日「紫陽花--アジサイの季節」でも述べたとおりです。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/07/

 アジサイの関係で「万葉集」に絡んで不思議に思う点の第一は、収録されている歌の数があまりに少ないことです。現在これだけ日本人に親しまれている花であるにもかかわらず、4500余首中たったの2首しか確認されていません。一方、これもすでにご紹介した「「夫木和歌抄」の夏の部には11首も見ることができます。ほかならぬアジサイだからこそ研究者には、こうした状況の背景に何があるのか予想される事情などを解説して欲しいと感じます。この続きは16:00頃の予定です。

◎漢名探し(3)--アジサイの季節2009/06/14

 平仮名も片仮名も日本で生まれた文字です。元になったのは漢字です。万葉の時代にはまだ漢字しかなかったので当時の歌は全て漢字で記録されました。現代なら仮名を使うような助詞の部分も漢字で記録されています。しかも、それまで列島の人々が耳の言葉として使っていたものを急に文字に置き換え目で見る言葉に替えたわけですから、「あぢさゐ」と記すのにどの漢字を使うかは専ら書き手の判断に委ねられました。
 こうして大伴家持(おおとものやかもち)の歌では「味狭藍」と記され、橘諸兄(たちばなのもろえ)の歌では「安治佐為」が使われています。いずれも写本によって伝えられた記録ですから、それを書き写す人の判断によって文字が替わることは十分予測されます。
 また専門家の皆さんが現在どうお考えかは分かりませんが可能性ということだけで見るならば、この二つが果たして現代の人々が考えているアジサイと同じものかどうか、仮に同じものだとしてもどの種類のアジサイと同じなのかという疑問が残ります。この二つがどんな種類のアジサイに属すのか、どちらも同じ種類のアジサイなのか検討してみる必要があるでしょう。この続きは17:00頃の予定です。

◎漢名探し(4)--アジサイの季節2009/06/14

 仮にどちらも現代人がいうところのアジサイだとして考えてみましょう。家持の歌に登場するアジサイは喩えとして用いられたものですが、諸兄の歌のアジサイはそれを目の前にして詠んだものです。「右の一首は左大臣の味狭藍の花に寄せて詠みたまへる」と明確に記録されています。場所も「右大辨丹比國人真人之宅」とあります。

  あぢさゐの八重咲く如く弥つ代にをいませわが背子見つつ偲はむ  橘諸兄

 普通、八重咲きとはここに掲載した写真のような花びらの付き方を指します。このあとに掲載するものも八重咲きのアジサイと言えるでしょう。しかし、こんな形状のアジサイがすでに当時からあったのでしょうか。多くの植物図鑑などが解説しているのは昨日の写真に見るようなヤマアジサイか、または先週11日の5回目に掲載したような普通のガクアジサイではないでしょうか。この続きは18時少し前に掲載の予定です。

◎漢名探し(5)--アジサイの季節2009/06/14

 結局、植物図鑑も万葉集ガイドも、日本列島における私たちの祖先とアジサイとの関係について実はあまり深くは考えてこなかったということでしょう。誰かが「万葉集」には紫陽花の歌があるよと言えばそれを借用し、紫陽花は「あじさい」と読むのだよと言えばそれを試験問題に利用し、いつの間にかアジサイという植物は紫陽花と書くのが当たり前のように考えられて漢字検定などという代物にも当然のごとくに出題されるようになったのです。
 そこには批判精神の欠片(かけら)も感じられません。多くの商業出版物がそうであるように、今度は日本人の善意と無知がインターネットを使ってこうしたあやふやな情報を提供し続けるのです。これがアジサイだけの問題に止まれば、あまり害はないでしょう。しかし、そうとは言い切れないところにインターネットのメディアとしての怖さがあると感じます。
 写真はスミダノハナビの色変わりのようにも見えますが、あるいは新種かも知れません。人気が高いので、どんどん新種開発が行われるようです。今日はあともう1回か2回、アジサイの花々をお目に掛けたいと考えています。時間は多分20時頃になるでしょう。ご都合がよろしければ、またお立ち寄りください。

◎漢名探し(6)--アジサイの季節2009/06/14

 万葉時代のアジサイがどんな花を咲かせるものであったかという問題は、二つの歌の解釈が従来あまり熱心には行われなかったという点にも関係がありそうです。今後、多くの研究者が本腰を入れて取り組めば恐らく局面も変わってくることでしょう。家持の歌については一部の文字を巡って「茅」か「弟」かといった異説のある部分も残されていると聞きます。
 しかし明確に指摘できる大事な点がひとつあります。このブログの各所で述べている言葉を扱う際の視点のことです。言葉の意味合いが家持の歌の「あぢさゐ」と諸兄の歌のそれとでは全く異なっています。前者が否定的な意味合いを込めて使っているのに対し、後者の場合は全く逆の立場で使っているのです。

  言問はぬ木すらあじさゐ諸茅らが練のむらとにあざむかえけり  大伴家持

 今日の最後(7)は22時頃の予定です。万葉人には家持にも諸兄にも想像し得ない、新しいアジサイの姿をお目に掛ける予定です。

◎漢名探し(7)--アジサイの季節2009/06/14

 この点こそが、以後400年の長きにわたり日本の知識人からアジサイを遠ざけることになった主要な原因ではないでしょうか。家持は「万葉集」の選者と目される万葉末期の代表的な歌人です。「万葉集」に最も多くの歌を遺しています。その家持が詠んだ歌に登場するアジサイの印象は否定的なものです。
 一方、諸兄は一時は権勢を恣にするほど栄えた運の強い人とも言えますが、その晩年は不遇なものでした。処世術に長けるなど芳しくない噂もありました。歌人としての評価は決して低くないと言えるでしょうが、家持のアジサイに対する扱いを覆すほどの力はなかったでしょう。むしろ、うかつに手を出して諸兄のような運命を引き寄せたくないと考えるのが当時としては自然でしょう。
 では何故、ある時期からアジサイが和歌に再登場することになったのでしょうか。それが明日のテーマです。そして今年の、アジサイを巡る話の結末となります。本日も、お付き合い有難うございました。お休みなさい。

■人は落ち目が大事--新釈国語2009/06/14

 人間は落ちぶれたときこそ真に人柄などが現れてその評価が定まるものだから、そういう落ち目に遭遇したら言動に注意し、よく自重して他日を期すことが大事であるということ。政治家など何かと言動に注目の集まる人々が己を戒めるための言葉であり、落ちぶれた際の処世訓でもある。
 また落ち目にある人に対してはどうしても冷淡になりがちだが、そんな場合こそ温かな言葉を掛け、惜しみない援助を与えるべきだということ。情けは人のためならずとほぼ同義の言葉として広く社会一般に行われるべきものである。
 不幸にも不遇の総裁を頂く不人気政党などが総選挙を控えて上は総裁から下は一兵卒に至るまで動揺し狼狽えるのを強く戒める有り難い言葉としても知られるが多くの場合、不勉強の故にか実行する人の少ないことが惜しまれる。