■学習機能--新釈国語2009/06/15

 過去の経験を生かし、経験に学ぶ形で物事を判断すること。コンピュータを利用して日本語処理などを進める過程で生まれた発想であり、呼称である。コンピュータの場合は学習機能を有効にすれば過去の結果を統計的に処理して最多の結果に従うことも、直前の結果を優先させ他の結果と比較することで処理を決定することもすべてはプログラムの指示通りとなる。一方、人間の場合はそうした過去の経験の積み重ねに加えて、現状に対する認識や個人としての欲望も影響するため判断はコンピュータほど単純ではない。生身の人間に対し時に「ちっとも学習ができていない」とか「パソコン以下だ」といった罵声を浴びせるのは、浴びせる側の人間が人間らしさの意味を理解できず、人間だからこその複雑さや繊細さにも気づいていないと公言するに等しいことになる。

◎漢名探し(8)--アジサイの季節2009/06/15

 万葉仮名が原則一字一音で示され、そこに一字二音などが混じることはすでに説明しました。当時はまだ漢字がもたらされて日が浅く、もたらした人々も帰化人などの子孫が多かったために、日本列島の風物や情景と大陸のそれとを比較し同定して個々の漢字や語彙を日本語化するという作業は難事業でした。
 そのためまずは漢字の音を借り、その音を連ねることによって耳で聞く日本語を文字に置き換えていったのです。家持の歌の「安知佐為」はこうして生まれたものです。漢字を使ってはいても、この場合の文字には意味がないのです。これが万葉仮名の最も一般的な手法です。
 この手法は現在広く利用されている、外国語の表記法と同じものです。外国語を聞いて耳に残った音を片仮名に置き換える代わりに、日本語の音を漢字の音に置き換えているのです。もし異なるように感じるとしたら、それは片仮名が完全に一字一音であるのに対し、漢字にはいくつかの音があることを私たちが知っているからです。漢字しか持たない中国では現在もこの方法によって外来の用語などを漢字化しています。

 写真のヤマアジサイは林の中で咲いていました。家持がもし1200年余りの時間を超えて現代に蘇ったら何というでしょうか。この続きは正午過ぎに掲載の予定です。なお万葉仮名の事例は下記の記事「櫻・桜・さくら」にもあります。参考になさってください。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/04/05/

◎漢名探し(9)--アジサイの季節2009/06/15

 漢名の紫陽花(シヨウカ)には辛夷(シンイ)をコブシと呼ばせるような違和感はほとんど感じません。漢字の意味から来る印象がどこかでアジサイの花に重なるからでしょう。この呼称を中国で最初に用いたのは唐代の詩人・白居易です。そう主張するのは彼の詩に「紫陽花詩」と題するものがあり、その注が「白氏文集」に見えるからです。それによると、招賢寺という寺院に誰もその名を知らない「色紫氣香、芳麗可愛」の山花が一樹あり、まるで仙人が育てた物(頗類仙物)のようであったと記しています。これが白居易による「紫陽花」という山花の名前の由来です。
 この招賢寺については江州と記したものを見かけますが、正しくは杭州に刺史(州の長官)として赴任していたときのことではないでしょうか。最近「杭州仏教文献叢刊」の第2輯として同寺の略記が出版されたと聞きます。いずれ確認できるでしょう。
 なお「紫陽花詩」については東京町田の曹洞宗寺院・大蔵山安全寺の住職秋田紫雲さんのブログの2007.05.26付け記事「作品紹介4 紫陽花」が参考になるでしょう。まだ若い禅僧ですが書家としての修行もされ、なかなかの勉強家でもあるとお見受けしました。下記のページでお確かめください。

 ⇒http://anzenji.jugem.jp/?month=200705

 写真は山の斜面の日当たりのよい場所に咲くヤマアジサイです。万葉の時代にも、このように顎の縁が薄く紅を帯びたものがあったのではないかと想像します。続きは16時過ぎの予定です。

◎漢名探し(10)--アジサイの季節2009/06/15

 白居易は日本では専ら白楽天の名で親しまれてきました。早くから遣唐使などによって紹介され、平安時代以降の知識人に大きな影響を与えています。紫式部や清少納言などの逸話を紹介するまでもないでしょう。
 ここまでに明確になった点を整理すると次のようになります。

1.万葉の時代に「あぢさゐ」と呼ばれる植物があった。
2.その植物が現在のアジサイとどう関係するかは必ずしも明確ではない。
3.この植物に対する万葉人の見方は一様ではなく、否定的なものとその逆の目出度い花の2つが知られている。
4.漢名の「紫陽花」が生まれたのは9世紀前半の唐代である。従って万葉の時代にこの漢名は存在しなかった。
5.漢名が紫色をして香りもよく可愛い綺麗な山花であることは伝わるが、それがアジサイに該当する植物であるかは不明である。

 ではどうして、この漢名が「あぢさゐ」と結びついたのでしょうか。文献として残っているのは、平安中期の学者で歌人としても知られた源順(みなもとのしたごう)による「倭名類聚鈔」です。様々な漢語を漢籍から引用して語釈と共に示し、その音注と万葉仮名とを付ける際にどうやら早合点(?)したようです。この解釈は、やがて江戸時代に編纂された「和漢三才圖會」にも引き継がれて広く日本列島全体に及ぶ理解へと発展してゆきます。
 写真は代表的なガクアジサイです。万葉人も梅雨の季節に、この花を見ていたのでしょうか。次回はいよいよ最終回、本日20時頃の予定です。

◎漢名探し(11)--アジサイの季節2009/06/15

 源順は漢詩文をよくし、「万葉集」の訓釈や「後撰和歌集」の撰進にも参加した英才です。「倭名類聚鈔」の編纂中に「白氏文集」を読み、そのとき目に飛び込んできた漢名「紫陽花」の何が彼に「あぢさゐ」を連想させたのでしょうか。キーワードとなりそうなものは多くありません。まず「山花」であり、花の色が「紫」であり、よい香りがして、しかも綺麗だということです。この中で視覚的に最もはっきりしているのは花の色です。この色と綺麗な「山花」ということだけで恐らく、すぐに「あぢさゐ」が浮かんだのでしょう。
 醍醐天皇皇女勤子内親王の命により撰進を命じられた身としては、一語でも多くの採録を心がけるのが人情です。だから、この段階で採録を決めてしまい、もう一つの手がかりである香りを確かめるという作業は省いてしまったのでしょう。そう考えることで紫陽花に「あぢさゐ」の訓を付けることが可能になります。鼻が利くとか嗅覚が怪しかったなどという詮索は無用でしょう。
 ここで一番大事なのは、源順の脳裏にあって機能した花の印象が「万葉集」掲載の二つの歌に表現されたものではなく、当時の人々が年一回梅雨の季節に実際に目で見て感じていたものだろうという点です。つまり当時「あぢさゐ」と呼ばれていたのは、一昨日第1回に掲載したヤマアジサイに近いものだったのではないでしょうか。この花なら色が紫というよりは青や藍に近いものであっても色変化の点から許容されるでしょうし、綺麗な山花という点でも合格でしょう。これでガクアジサイにわざわざ「顎」を付ける理由もはっきりしてきます。要するにガクアジサイは万葉の「あぢさゐ」には該当しないのです。
 そして源順の「早合点」は思わぬところで日本の知識階級に変化をもたらしました。それまで避けていた「あぢさゐ」の使用が白楽天の紫陽花を思い浮かべることで一気に解き放たれ、自由に歌の中に詠み込むことができるようになったのです。四葩との併用は平安歌人のこうした心の変化を示す呪(まじな)いのようにも感じられます。万葉集の時代から既に400年の歳月が流れていました。
 今年のアジサイ特集、最後の一枚はヤマアジサイの仲間といわれるユキノシタです。細やかな花たちの優しい微笑みをしばしお楽しみください。ご愛読、誠に有難うございました。(完)