◆里芋の葉の朝露2009/08/09

 近所の小学校の夏休みが始まってもう3週間が過ぎた。今どうなっているかは知らないが、昔の農村の小学校は夏休みが短かった。3週間もなかったように記憶する。夏休みの課題は確か「夏休み帳」と呼ばれるようなものがあって、そこに全てが集約されていたはずだ。だが例外もあった。習字はそのひとつだった。
 手本を真似て二三枚も書くだけのことだから取りかかればすぐに終わるのだが、まず墨を擦らなければならない。この季節に墨を擦るときは「里芋の葉に溜まった朝露を使うと上達が早い」と誰かが教えてくれた。家の前にある畑には里芋が植えられ、茎が大きく伸びていた。朝早く、この露を葉から零さないように柄杓で集めて使った。最初は露というものの特性を知らないから身体が不用心に葉に触れて、みな零してしまった。子どもにはそれなりに難しい作業だった。
 現代の日本人にとって「いも」と言えば多くはジャガ芋であり、薩摩芋だろう。いま里芋を思い浮かべる人は少ないに違いない。自然薯に至っては皆無に近いだろう。だが先人との関係はこの逆の順に始まっている。里芋がいつ、どんな方法で列島にもたらされたかは明確でない。ハスもそうだが文字や仏教とは異なる、食文化渡来の道が古くから別のルートで存在したのではないだろうか。
 因みに「万葉集」の次の歌に見える「うもの葉」は里芋の葉のことだと言われる。意吉麻呂(おきまろ)なる作者が宴席で即興に詠んだ戯れ歌に過ぎないが、この時代に人々がハスや里芋をどう見ていたかが分かって面白い。少なくとも奈良の都ではハスはまだ珍しく一方、里芋はどこの家にも見られるほど広く普及していたのである。

  蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものはうもの葉にあらし 長意吉麻呂

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