■殺意--新釈国語2009/08/04

 人を殺そうとする意思をいう。刑事裁判ではその有無および強弱が争われ、これがなかったと認められればたとえ相手が死亡していても殺人罪は適用されない。また殺意があったことを否定できなくても、その意思が極めて弱いことを立証できれば重い刑に処せられる可能性は低くなる。しかし、この定義の範囲を実際に決定するのは個々の裁判において裁判官や裁判員が得た心証であるため「死ぬかも知れないとは思っていたが、死んで欲しいと(そこまで積極的に)は思わなかった」という被告の場合、これを殺意の定義に含めるかどうかは、ここに記された文字面だけでは軽々に判断できないものがある。

○露草(1)--野の花々2009/08/04

 紫露草は紹介したが、本家の露草の紹介を忘れていた。本家と書いたのは前者が園芸用の帰化植物であるのに対し、後者は万葉集にも登場する歴(れっき)とした野の花だからである。しかし植物分類の世界ではどちらも同じツユクサ、つまり同属と見なされている。そのためか露草と聞くと最近は、紫露草を思い浮かべる人が多くなってしまった。片や多年草で背も高く、こなた一年草で丈は短いとなればどう見ても日本古来の花に勝ち目はない。
 昨今は田舎でもガーデニングが大流行りである。老いも若きも玄関先や庭先に朱色風土色の妙な形をした鉢を並べたり、同じ色合いの格子状の衝立(ついたて)をそこら中に立てかけている。聞けばテレビの影響だと言う。新聞も負けずに家庭欄などで書き立てる。雑誌については言うまでもない。
 しかし本当に「美しい国・日本」を望むのであれば、テレビは無知や無教養を売り物にしたドタバタ番組を止め、俄(にわか)仕立てのエコ番組ではなく、視聴者の目が野の花や万葉の花などに知らず知らずのうちに向かうような、そんな番組制作にじっくり取り組む必要がある。口では「日本を大事に」とか「日本を愛そう」などと言っても、スポンサー企業の腹の中には爪の垢ほどもそんな気持はないのだろう。新聞社然り、雑誌社は言うに及ばず、政府や文部科学省にしても同じ穴の狢(むじな)に過ぎない。(つづく)

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/18/ 紫露草の色
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/07/19/ 赤い紫露草

○白蓮(2)--盛夏2009/08/04

 ハスを意味する蓮の字は本来、艸部の11画であったが、いつの間にか10画になってしまった。原因は之繞(しんにょう)の最初の点が戦後、日本政府による合理化にあって省かれたためである。之繞の元の字体は足の字の口の部分に彡を書き、音はチャクである。進むとか歩いてゆくの意だが、これも現在のパソコンでは規格外のため使用できない。字を作って自分用のパソコンだけに表示させても、データ交換には適さない。だからブログにもメールにも、文字として使うことはできない。歴史上も存在しない幽霊文字などを規格に含める分別はあっても、漢字の歴史に欠かせない大事な文字は無視して平気なのが日本の文化政策である。
 話を元へ戻そう。蓮は草冠と連を組み合わせた形声文字である。なぜ連の字を当てたかについては蓮の実がつらなっているからだろうとする説がある。今日の写真は少し角度を変えたものである。肥大してまるでカップケーキのように見える花托の横側とたくさんの雄しべが写っている。花が終わると花托は蜂の巣のような形になり、蜂の子のごとくに種子が入る。ハスがハチスとも呼ばれるのは、おそらくこのためだろう。蓮華は文字通りハスの花の意だが、なぜか日本では春の花のレンゲ草になってしまった。お経の蓮華経ももちろんレンゲ草とは関係ない。ハスの花の意であり、極楽浄土を象徴している。(つづく)

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/07/22/ 蜂の巣作り