○露草(5)--野の花々2009/08/10

 古代の人々が露草のことを何故に「つきくさ」と呼んだのか納得できる説明には未だ出会っていない。色が付くの「つく」だとする説もある。ある物に異質な物が付着・浸透する意を考えたのだろうが、「き」は上代特殊仮名遣いにも関係する音節である。門外漢に迂闊なことは言えない。
 清少納言が「見るにことなることなき物の文字にかきてことごとしきもの」と評したくらいだから、当時の知識人にとって露草という植物を「つきくさ」と呼ぶことに特段の違和感はなかったことが分かる。ところがこれを文字にすると鴨頭草(あふとうさう)と書く。これはいくら何でも「仰々しい。大げさすぎる」というのが清少納言の率直な感想だった。
 確かに「頭」の字に目が向いてしまうと大げさに見える。だが鴨であれば国内にも鴨川(加茂川・賀茂川)があり、鴨水(あふすゐ)の称がある。中国には鴨緑江(あふりょくかう)があり、李白の詩にも「遙かに看る漢水鴨頭の緑」(襄陽歌)があって、水との縁の浅くないことが分かる。
 実はこの鴨頭の原義は鴨の首の緑色を指すものだが、広く水の色を示す形容としても知られる。道路の信号機の青・赤・黄色について、むしろ緑・赤・黄色ではないかという議論もあったほど青と緑の関係には深いものがある。古くは緑色から青色に至る広い範囲の色が「みどり」と呼ばれていた。漢字が伝来し、漢文の中にこの熟語表現を見つけた帰化人か誰かが早速、当時の露草である「つきくさ」の表記に利用したのであろう。(了)

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