○秋海棠(2)--野の草花2009/10/01

 惜春(春を惜しむ)とは言うが、惜夏は聞いたことがない。まだ若かった青春時代には色々思い出があっても、壮年時代はただただ馬車馬の如く働いただけで何も思い出すことはないということだろうか。夏の日の思い出は、若い人の歌詞(うた)の世界にこそ似つかわしいのかも知れない。
 今日の写真は8月の初めに撮影したものである。昨日の写真は秋の彼岸過ぎに撮した。同じ個体ではないが、この間に50日という時間が流れている。花の数は僅かでも葉の色が青々としている。隅々まで若々しさがある。一方、昨日の秋海棠は花も賑やかだし、節の赤味も最高潮に達している。だが葉の色は盛りを過ぎたと正直に伝えている。花が可憐であるだけ哀れみのようなものも感じられて寂しくなる。
 昨日は久しぶりに傘の手放せない一日だった。今日は暦替わって10月である。(了)

  紅淡く雨多かりし秋海棠 佐々木麦童

○紫蘇の花2009/10/01

 シソは香りもよく、青梅や干した梅を漬け込む際の色づけ用にも紫蘇酒にも使われる。夏の餅をまだ柔らかなうちに紫蘇の葉で包めばカビを防ぐことができるし、味もなかなかのものである。詳しいことは知らぬが、香りの成分がカビの発生にも有効なのだろう。庭の隅などに勝手に芽を出すので適宜、残して育てれば重宝する。
 夏の終りになると葉は堅くて生食用には無理だが、代わって可愛い小花が付き実が生る。この実がまた実に香りがよい。まだ花のついた穂のうちに採って刺身のツマにも使うが、花が終る頃に根を付けたまま抜いてきて紫蘇の実だけを指で摘んでこそぎ落とす。小さな虫などの混じることもあるので水で洗い、塩漬けにして保存する。大根でも白菜でも浅漬け用に少し混ぜれば味と香りを引き立ててくれる。
 紫蘇も紫蘇の花も夏の季語、紫蘇の実は秋の季語になる。これだけ親しまれている紫蘇ではあるが、句にするのは容易でなさそうだ。明日はアオジソの予定。

  紫蘇の実や母亡きあとは妻が摘み 成瀬桜桃子