○木犀の香り(3)--秋色 ― 2009/10/17
現代中国ではモクセイは桂花と通称され、銀桂・金桂・丹桂の3種類があると商務印書館(北京)の辞書には記されている。日本風に言えばギンモクセイ、キンモクセイ、そしてウスギモクセイであろうか。いずれにしても巌桂の称は廃れたようだ。千年という時の流れを感じずにはいられない。
巌桂と木犀を結びつける数少ない説明は、シナモンやニッケイ(肉桂)の一種と思われる菌桂について記した本草書の中に見つけることができる。「人を寄せ付けない厳しい嶺に群がって生えているところからこれを巌桂というが、俗に木犀とも呼ばれる」とある。ニッケイやシナモンとモクセイが同一視もしくは混同されている。
モクセイの木肌を犀に喩えたにしても、その樹皮や花を香味料や香辛料に用いたにしても、動物の犀の利用も含めていずれも本草や漢方の世界の話である。それらの伝播・伝来にはきっと様々な錯覚や誤解も混じっただろうし、新たな効能の発見なども加わったかも知れない。そういう中で、なぜか日本では木犀という文字とモクセイという音とが残ったのである。まさに不思議と言うほかない。(了)
木犀の匂ふ見知らぬ町歩き 新田久子
巌桂と木犀を結びつける数少ない説明は、シナモンやニッケイ(肉桂)の一種と思われる菌桂について記した本草書の中に見つけることができる。「人を寄せ付けない厳しい嶺に群がって生えているところからこれを巌桂というが、俗に木犀とも呼ばれる」とある。ニッケイやシナモンとモクセイが同一視もしくは混同されている。
モクセイの木肌を犀に喩えたにしても、その樹皮や花を香味料や香辛料に用いたにしても、動物の犀の利用も含めていずれも本草や漢方の世界の話である。それらの伝播・伝来にはきっと様々な錯覚や誤解も混じっただろうし、新たな効能の発見なども加わったかも知れない。そういう中で、なぜか日本では木犀という文字とモクセイという音とが残ったのである。まさに不思議と言うほかない。(了)
木犀の匂ふ見知らぬ町歩き 新田久子
○次郎柿--実りの秋 ― 2009/10/17
東海道五十三次のひとつ袋井宿(現・袋井市)の北に、人口2万人ほどの森町(もりまち)があります。幕末維新の頃に名を馳せた侠客・清水の次郎長の子分、遠州森の石松の出身地とも称される場所です。茶所としても知られる町ですが、ここは富有柿と並ぶ甘柿の代表的な品種・次郎柿のふるさとでもあります。
この柿は今から160年以上も前の弘化年間に、当時の森町村五軒丁の治郎という御百姓さんが太田川の川原で見つけた柿の幼木を持ち帰って家の隅に植えたのが始まりとされています。まるで、さるかに合戦の蟹を彷彿とさせるような話です。その後、明治の初めには火事に遭い柿の木は焼けてしまいますが翌年には新芽を吹き、成長して再び実をつけるようになったと伝えられています。昭和19年(1944)には静岡県の文化財(静岡県天然記念物第17号)に指定されました。今も町民有志の手により「次郎柿原木」として大切に守り育てられています。
なお文字より音が幅を利かせた時代のことでしたから肉質の肌理が細やかで甘みも強く種子の少ない治郎さんの甘柿は、いつの間にか「治郎さの柿」ではなく「次郎柿」と呼び名も表記も微妙に変ってしまいました。先月22日の写真は富有柿、今日の写真は次郎柿です。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/22/ 柿の実(1)
⇒http://www.town.morimachi.shizuoka.jp/sigh/bunkazai/bunkazai.html 森町
この柿は今から160年以上も前の弘化年間に、当時の森町村五軒丁の治郎という御百姓さんが太田川の川原で見つけた柿の幼木を持ち帰って家の隅に植えたのが始まりとされています。まるで、さるかに合戦の蟹を彷彿とさせるような話です。その後、明治の初めには火事に遭い柿の木は焼けてしまいますが翌年には新芽を吹き、成長して再び実をつけるようになったと伝えられています。昭和19年(1944)には静岡県の文化財(静岡県天然記念物第17号)に指定されました。今も町民有志の手により「次郎柿原木」として大切に守り育てられています。
なお文字より音が幅を利かせた時代のことでしたから肉質の肌理が細やかで甘みも強く種子の少ない治郎さんの甘柿は、いつの間にか「治郎さの柿」ではなく「次郎柿」と呼び名も表記も微妙に変ってしまいました。先月22日の写真は富有柿、今日の写真は次郎柿です。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/22/ 柿の実(1)
⇒http://www.town.morimachi.shizuoka.jp/sigh/bunkazai/bunkazai.html 森町
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