○百日草と千日草(1) ― 2009/10/03
子どもの頃、土蔵の横に百日草が咲いていた。誰が植えたものか、育てたものか、種を蒔いたのかは知らない。この花が咲くと大川に水浴びをする場所が造られ、ほどなく学校が休みになった。そしてお盆が来て、叔父や叔母や従兄弟が来て賑わい楽しかった。
お盆が終ると、すぐにまた学校が始まった。宿題の提出に苦労した。それからすぐに9月になり、今度は運動会の練習が始まった。農家では秋の収穫が始まり、畑では大根の葉が伸び始めていた。そして10月になり本格的な稲刈りの季節がやってきた。そんな季節の運動会に親が出かけるためには幾日も晴天が続き、刈り入れのすっかり終っていることが条件になった。
昔はよく台風が来た。大風が吹き、稲は倒れ、田圃には水がついて稲刈りが遅れた。だから親が運動会に顔を見せることは滅多になかった。運動会の日の昼休みは、親がつくってくれた大きな握り飯を一人で食べることが多かった。運動会が終り、めっきり日が短くなっても百日草はまだ咲き続けていた。いつ頃この花が萎れるのか、霜で枯れてしまうのか、はっきりした記憶はない。(つづく)
お盆が終ると、すぐにまた学校が始まった。宿題の提出に苦労した。それからすぐに9月になり、今度は運動会の練習が始まった。農家では秋の収穫が始まり、畑では大根の葉が伸び始めていた。そして10月になり本格的な稲刈りの季節がやってきた。そんな季節の運動会に親が出かけるためには幾日も晴天が続き、刈り入れのすっかり終っていることが条件になった。
昔はよく台風が来た。大風が吹き、稲は倒れ、田圃には水がついて稲刈りが遅れた。だから親が運動会に顔を見せることは滅多になかった。運動会の日の昼休みは、親がつくってくれた大きな握り飯を一人で食べることが多かった。運動会が終り、めっきり日が短くなっても百日草はまだ咲き続けていた。いつ頃この花が萎れるのか、霜で枯れてしまうのか、はっきりした記憶はない。(つづく)
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