○栗拾い(2)2009/09/22

 今日の1枚は「くりのきむらのゆうびんやさん」で、主人公のうさぎが狸のお婆さんの家へ配達に寄ったときの光景である。いくら呼んでも返事がないので心配して家の裏へ回ってみると、お婆さんは栗拾いに忙しかった。ああよかったと安心する。この絵は、スタジオジブリで「もののけ姫」などの動画を担当された小西美鈴さんに描いていただいた。挿絵にはやさしい小西さんのお気持ちが隅々まで溢れていて、眺めているだけでほのぼのとしてくる。
 いま全国には一人暮らしのお年寄りが増えている。都会のアパートやマンションの一室で誰も知らないうちに亡くなる人も少なくない。郵便配達は雨の日も風の日も休日以外は郵便物のある家を一軒一軒回っている。郵便事業を合理化したりビジネスの道具にするという発想だけでは、彼等がこれまで果たしてきた役割や郵便物の配達という仕事のもっている可能性を生かし切ることはできない。学者が独り研究室で洋書や洋雑誌を読み耽り、パソコンに向かっているだけでは見えないものがいっぱいある。それに気づくのも政治の仕事だろう。(了)

○柿の実(1)2009/09/22

 彼岸に入り、八百屋の店先にも柿が並ぶようになった。この季節に並ぶのは平べったい形をして、四隅から罰点を描いたような箱型の種類だ。これは「平たねなし」の中でも最も早生(わせ)の、「刀根(とね)早生」と呼ばれる渋柿である。子ども時分に見かけた記憶がないから比較的新しい品種だと思う。奈良や和歌山に多く産するようだ。それをアルコールで渋抜きして出荷する。食べて実が柔らかければ、この種類に間違いない。最近は渋抜きの方法もだいぶ進化しているようだ。
 ところで奈良県内には柿の木が多い。これからの季節、色づいた柿の実はこの地方の風景とも風土ともよく合っている。正岡子規が法隆寺の茶店で一休みして詠んだという次の句も、こうした背景があればこその佳句と言えよう。(つづく)

  柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 子規

■下衆(1)2009/09/22

 いつ頃から「げす」という言葉が始まったのかは分からない。上司は元、役所の上役を指す言葉だった。その対語として下司(げし・げす)が使われている。案外このあたりから始まったのかも知れない。もしそうだとすると古墳時代も最後の頃、中国の隋や唐で始まった律令制が朝鮮半島を経由してもたらされた時代まで遡ることができる。おおよそ7世紀頃のことになる。

 律令制は官僚制度を整えただけでなく、班田収授と呼ばれる財政政策を実行して国家財政の礎(いしずえ)を築き、民衆の身分をも貴賤に分けた。このとき身分の低い役人としての「げす」だけでなく、身分が低い人々をも指し示す「げす」が生まれたのかも知れない。後者はもっぱら下衆と記され、対語としては上衆(じやうず)が使われた。

 それから300年ほど経った平安京の貴族社会では、「げす」は相対的な身分の差を示す際にも使われたが、より具体的な下女や使用人の意でも用いられた。この言葉が度々登場する「源氏物語」蜻蛉の巻を読むと、場面ごとに異なる意で用いられていることが分かる。例えば女二宮が降嫁して身分が下がったことに触れたくだりでは「下衆になりにたりとて、思し落とすなめり」と前者の意で使い、他の場面では「下衆はひがことも言ふなり」とか「下衆のさまにて来たれば、人多く立ち騷ぎて」と、下女や身分の低い者の意でも使っている。

 また、いかにも身分の低い者が行いそうなという意味での「下衆下衆し」の使用例も見え、「例の作法など、あることども知らず、下衆下衆しく、あへなくてせられぬることかな」と軽蔑・非難の場面に利用している。さらに次の手習の巻にも「下衆」は多用されているが「下衆下衆し」に限って見ると、こちらでは「下衆下衆しき法師ばらなどあまた来て」とあって、見るからに卑しいといった意味合いに使っている。(つづく)

■全員野球--新釈国語2009/09/22

 チームのメンバー全員が一丸となって相手と勝負しよう、ということをたとえていう言葉。野球は1チーム9人ずつが2つに分かれて闘う球技である。しかし攻撃に際して実際に打席に立つことができるのは打順が回ってきたメンバーのみである。首尾よく出塁できれば引き続き攻撃に参加できるが、アウトになればベンチに下がらなければならない。多いときは8人、少ないときでも5人は攻撃に参加ができない仕組みのスポーツが野球である。これに対して全員野球は、そんな場合でもベンチから声援を送るとか、次の打者に投手の狙い球を教えるとか、相手の投手を野次るなどチームの勝利を目指してそれぞれ精一杯の努力を傾けようとすることをいう。最近は正選手に選ばれなかった補欠の選手や補欠にも選ばれなかった野球部員など、味方チームの範囲をより広く捉えて用いられることもある。
 なお政界用語として使われる場合、選手の範囲は与党にあっては閣僚や閣僚に準ずる人々、副大臣、政務官、衆参両院の正副議長や正副委員長、党執行部に選出・指名された人々であり、これらの範囲から漏れた人々を含めて一丸となることが本来の全員野球の意である。一方、野党の場合は一般に規模が小さく選手に漏れる人の数もそう多くないため、全員野球が意識される機会はあまりない。難しいのは規模が中くらいの場合であり、2009年夏の民主党政権誕生はこの中くらいの規模を無難に乗り切った結果だと見ることができる