☆読めますか? この漢字022010/02/15

☆ 野
1.麻生首相は潔く政権を民主党に譲って野に下るべきだ。
2.やはり野に置け蓮華草は格言などではなく俳句の一部だ。
3.民権論で知られる「朝野新聞」は明治26年に廃刊した。

【解説】
1.やにくだる:政権を離れること。政権を手放すこと。
2.のにおけ:自然のままにしておけ。生け花にしたり庭に植えようと思うな。自分のものにしようと思うな。
3.ちょうやしんぶん:明治7年(1874)発刊の政論新聞。主筆・末広鉄腸、社長・成島柳北。朝野は政府と民間、官民の意。

【口上】
 http://atsso.asablo.jp/blog/2010/02/12/4876518 読めますか? この言葉

☆熟語を読む 収斂2010/02/16

【かな】 しゅうれん
【語義】 多岐にわたる議論がひとつの方向や結論に向かってまとまりつつあること。または、そうした方向でまとまること。
【解説】 収(シウ)は漢音だが、斂(レン)は呉音。いずれもおさめる・あつめるの意があり、収斂は収穫や徴税のほか収縮の意に用いられることもある。また専門用語として医薬、数学、物理の分野でも使われている。
【用例】 米国を含む世界の急速な国際財務報告基準(IFRS)への収斂を受け、2008年にはIFRSの採用に向けた議論が金融庁企業会計審議会で開始された。(日本公認会計士協会報告)

○紅梅づくし2010/02/16

 寒紅梅の紅色が寒中の切れるような青い空に映えたのは先月のこと。立春を過ぎてからというもの、二月の空ははっきりしない曇天が続いている。天気図を見ると、青い空など列島のどこに行っても拝めそうにないことが分かる。そんな中でレンズに収めた今月の紅梅たちの一部をご紹介しよう。

  紅梅の咲きしづまりてみゆるかな 蛇笏

  紅梅に薄紅梅の色重ね 虚子

   うつろひて薄紅梅はややみだら 大橋越央子

  紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ 芭蕉

☆読めますか? この漢字032010/02/17

☆野
1.今年の正月は閑雲野鶴を描いた墨絵の賀状が多かった。
2.運動野とか連合野は頭の中にあるもの、蓮台野は墓地のことらしい。
3.高野豆腐は豆腐を凍らせてつくるので凍み豆腐とか凍り豆腐とも呼ばれる。
【解説】
1.かんうんやかく:閑雲(カンウン)はゆったりと静かに漂う雲、野鶴(ヤカク)は野に遊ぶ野性の鶴を云う。これらは何ものにも束縛されることなく気ままに悠然と生きるさまの象徴とされ、境遇が悠々自適であることの喩えに使われる。
2.うんどうや:大脳皮質の随意運動に関係する領域を指す motor area を日本語化した言葉。野(ヤ)はある範囲を抽象的に示す語として用いられている。
  れんごうや:大脳皮質の運動野や感覚野の周辺にあって他の神経中枢と連絡を取り合っている神経中枢群 association area を日本語化した言葉。
  れんだいの:蓮台はハス(蓮)のうてな(台)のこと。蓮台が並ぶ野中の場所の意で、墓地や火葬場を指す。野(の)は野原や野中の具体的な範囲・広さを示す語として使われている。
3.こうやどうふ:元は寒中の寒さを利用して製造したが今では人工的に一年中つくられている。高野(こうや)は真言宗総本山金剛峰寺のある高野山に由来する名称と云われる。

◎言葉の詮索 暖か2010/02/17

 寒中には暖かな日射しの降り注ぐ春のような陽気が続いたのに、立春を過ぎてからというもの日本列島はすっかりお日様に見放されてしまった。毎日のように北風が吹き、時には冷たい雨が降り、ところによっては雪や霙(みぞれ)に見舞われる寒い季節に逆戻りしてしまった。せめて言葉の上だけでも、ここらで春の準備をしておきたい。


 そう考えていたら今年も法事を知らせる案内状が届いた。立春を過ぎる頃から毎年、この季節になると親戚などから法事の通知が葉書や封書で送られてくる。それらの文面は決まって「春暖の候」という書き出して始まっている。これが秋の法事だと「秋冷の候」に代わる。春暖や暖春は聞くが、秋暖も暖秋も聞いたことがない。暖冬とはいうが暖夏とは云わない。なぜだろう。辞書はこの疑問に答えてくれるだろうか。(つづく)

  あたゝかになる日を母のために待つ 栗原米作

☆熟語を読む 進捗2010/02/18

【かな】 しんちょく
【語義】 物事の進み具合やはかどり具合のこと。
【解説】 この熟語は阜(こざと)偏のチョク(陟)を使う「進陟」が本来の姿である。だが何時の頃からか表記は「進捗」が主流となり、音は「進陟」のものがそのまま生き残って使われている。捗の漢音はホだが、これをシンポと読む人は珍しく、もっぱらシンチョクが慣用されている。また厳密に言うなら字体も一部が改変されてしまった。現在行われているのは正字より1画多い俗字である。正字の旁は止の下が4画ではなく3画であって3画目のヽは打たず、すぐにノを記す。
さらに陟について云えば、この字は降(カウ)と対をなす象形文字である。降が山道をおりてくる形を足の向きで示したのに対し、陟は逆に山道をのぼる形を足の向きで示したものである。つまりシンチョクとはある目標や到達点があって、それを目指して進み昇ることを表現した言葉と云うことができる。なお日本では捗に対し「はかどる」の訓を与えているが、この文字の成り立ちを見る限りそうした意味が入り込む余地は見あたらない。本来の字義は打つである。
【用例】 平和記念都市建設事業の執行者は、その事業が速やかに完成するように努め、少なくとも六箇月ごとに、国土交通大臣にその進捗状況を報告しなければならない。(広島平和記念都市建設法)

◎言葉の詮索 暖か(2)2010/02/18



 そこで試しに「あたたか」を手元の辞書で引いてみると、次のように説明されていた。いずれも先頭部分の原義と思しき説明だけを転記し、転義などは省いている。

○広辞苑(新村出編 岩波書店 1955.5)気候や温度が暑過ぎずほどよいさま。
○大辞林(松村明編 三省堂 1988.11)暑くも寒くもなく、また熱くも冷たくもなく、肌に気持ちのよいぬくもりを感じさせる温度であるさま。あったか。

 これを見てすぐに気づくのは両者の文字数の大きな違いである。「広辞苑」の17字に対し、「大辞林」は3倍の52字を費やしている。しかしそれ以上に、両者には決定的な差がある。前者が「暑過ぎずほどよい」としているのに対し、後者が「暑くも寒くもなく、また熱くも冷たくもなく」とした点には注意が必要である。

 なぜなら後者の説明をもし妥当とすれば、秋暖や暖秋もあり得ることになってしまう。すでに述べたように秋暖も暖秋も実際には存在しない、仮想の言葉である。そうした言葉をなぜ聞くことがないのか、この説明から窺い知ることはできない。一方、前者の説明にはこうした疑問の生じる余地がほとんど残されていない。説明を「暑過ぎず」と簡潔にして、秋暖や暖秋の混じり込む余地を排している。(つづく)

  暖く乙女椿も焦げにけり 滝春一

○待ちに待った青空そして夕焼け2010/02/18

初冬から彼岸過ぎまでの四ヶ月余りをたった一日で体験したような、そんなめまぐるしく空模様の変わる一日だった。

 まず目を覚ました時、窓の外には雪が舞っていた。ところが、もう一眠りして目を覚ますと、一体どれくらい降ったのかも分からないほどに溶けてしまっていた。あの雪はもしかしたら夢の中だったのではと思うほどだった。


 夕方、散歩に出た。待ちに待った青空が広がっていた。いつもの寺に着いて見上げると、上空を飛行機が通過して行った。やっぱり青空はいい。


 いつものように石段を登り、庫裏、本堂、阿弥陀堂、釈迦堂と境内を順々に一巡りした。山の中腹まで来た時、峯の枯れ木に止まっている大きな鷹の姿を見つけた。日はだいぶ西の空に傾いていた。


 坂を下って庫裏の前に戻ると、ちょうど松の木の向こうに夕日が沈みかけていた。急いでシャッターに収め、境内を後にした。

  らちもなき春ゆふぐれの古刹出づ 下村槐太


 家路につくためもう一度山道を登ると、西の空に沈みかけた夕日の残光が厚い雲の向こうからさかんに「さようなら」と手を振っていた。明日の空模様が気になる。週末は気のあった友だちと久しぶりのハイキングを予定している。晴れて暖かくなるよう祈って、家路を急いだ。


☆読めますか? この漢字042010/02/19

☆質
1.彼は元々口数の少ない質であったからその時も黙ったままだった。
2.うちの植木屋さんは昔気質の上に職人気質の人だから苦労させられる。
3.総理は野党側の質問に言質を取られまいと例ののらりくらりした口調で答えた。
【解説】
1.たち:人が生まれつきもっている性格や体質など。事件や事柄の性格・
性質についても用いられる。
「このところ―の悪い事件が続いている」
2.かたぎ:その人の育ち、環境、職業、時代などがその人の気風や容姿などに与える独特の傾向を云う。かつては形気や容気も用いられたが、用法の比重が容姿より気風を主とするようになって気質をあてる傾向が強くなった。
  むかしかたぎ:とかく新しいものは遠ざけ常に伝統や慣習を重んじる気風を云う。そのため律義者や頑固者と同義に扱われることも少なくない。
  しょくにんかたぎ:職人と呼ばれる人一般に見られる気風を云う。具体的には職人としての自分の技量・腕前に自信があり自分が手がけた仕事に高い誇りをもっているため、安易な妥協を嫌い、金銭面に心を動かされることが少なく、仕事の中身についても選り好みをするといった傾向が見られる。
3.げんち:和製の漢語で、言葉の質(しち)の意。後日の証拠とされるような発言、言葉上の約束を云う。一部には表記どおりの「げんしつ」も行われるが質が「しち」の意であることを踏まえ、「言葉」の省略形「言」の音の「げん」と「ち」を組合わせた「げんち」が一般的となっている。なお「―を取る」の反対は「―を与える」である。

◎言葉の詮索 暖か(3)2010/02/19

 結局、手元の辞書では疑問を解消することができなかった。「大辞林」の説明は丁寧と云うより饒舌に近く、ますます疑問の深まった気がする。「広辞苑」の説明は的こそ外していないものの、どこかに物足りなさが感じられる。日本語の辞書にありがちな、言葉の本質や背景にあるものを見極めようとする態度に欠ける事例のひとつと云えるだろう。


 昔の人はよく「暑さ寒さも彼岸まで」と云っていた。夏の暑さも秋の彼岸を過ぎる頃にすっかり和らいで、逆に暑さが恋しくなるくらいに陽気が変わる。冬の寒さも春の彼岸を過ぎる頃には寒に逆戻りすることもなくなって暖かな春のぽかぽか陽気に変わっている。そんな先人たちの経験を伝える言葉である。この言葉こそ暖かという語の本質、そして秋暖や暖秋があり得ないことを教えてくれる最良の説明ではないだろうか。

 暖かとは瞬間的には「大辞林」が云うように「暑くも寒くもなく、また熱くも冷たくもなく、肌に気持ちのよいぬくもりを感じさせる温度」という説明でよい。だが上記の謎に答えるためには瞬間的な暖かさの説明だけでなく、それをいつ感じるかという生身の人間の生活に即した時間的な背景説明が必要である。

 人間が暮らすのは真空地帯や実験室の中ではない。暦の変化があり、季節が移り変わる中で暮らしている。環境や時間の変化を忘れた瞬間的な説明では暖かさの本質を見抜くことはできない。だから秋暖や暖秋が仮想であることの説明もできないのである。最後に小子の定義を紹介しよう。

 暖かとは、一度寒さや冷たさを経験した後に、ほどよい温もりを感じる程度にまで気温や水温などが上昇するさまを云う。(了)

  あたたかと開口音を四つ重ね 佐藤一村