■裁判員制度--新釈国語2009/06/24

 憲法以下各種の法律に精通し全ての権力から独立して良心に従いながら裁判を行うとは言っても、人を見る目においては何かと不安を抱える多くの裁判官に対し、国民が優しく救いの手を差しのべることで、無実の人が誤って罰せられるのを防ごうとする仕組み。この仕組みに国民が参加するのは(あるいは参加しなければならないのは)裁判官の誤った判断から自分たちを守るためであって、司法に対する信頼向上のためなどではない。信頼できないからこそ参加するのである。
 この制度について最高裁判所は「国民のみなさんに裁判員として刑事裁判に参加してもらい、被告人が有罪かどうか、有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度です。」と説明しているが、罪の軽重を案ずる前にまず冤罪撲滅のためにこそ機能させる必要がある。裁判官3人+裁判員6人という数の配分も、この機能の発揮を期待させるものである。
 裁判員に選ばれた人は、「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより、裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。」などという御為ごかしの説明に惑わされることなく、また科学的だとか証拠だとかいったことに神経を尖らせるのでもなく、何よりもまず自分の目でまっすぐに被告と向き合い、その人が起訴状に記されたような罪を犯す人間であるかないか、それをみずからの心に問うてみることが基本である。裁判員6人の目が揃いも揃ってよほどの曇ったものでない限り、6人が思うところを率直に述べることによって、足利事件のような馬鹿げた冤罪は無くせるだろう。

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