○満天星の紅葉(2)--晩秋2009/11/21

 今は新字体(略字)の満を書くが正字は滿であり、旁の部分は「山」ではなく「入|入」となって、いっぱいに入りきった状態をいう。満口は口いっぱい、満面は顔いっぱい、満腹はおなかいっぱい、満身はからだじゅう、満場はその場所にいっぱい、満山は山いっぱい、満天は空一面…といった具合に、ある広さ・容量を持った語を伴ってそこがいっぱいになることを表している。

 つまり満天星とは見上げる空一面に星がまたたいている状態をいったものである。白髪三千丈と同様に中国の大人(たいじん)がよくする誇張表現の一つという意見もあろうが、春先のドウダンツツジに見られる白い釣鐘の数こそまさに「満」の字に相応しい情景を呈する。決して大げさでも何でもない。言い得て妙というものであろう。


 だがそんな春先の姿に感じる初々しさや華やかさとは別に、晩秋の季節この植物が見せるパステルカラーの色調にも捨てがたい味わいがある。それは詫び寂の心を束の間ほんのりと穏やかにさせてくれる季節の仕掛けでもある。これこそドウダンツツジの真骨頂ではないだろうか。(了)

  どうだんがひとむら燃える庭の秋 まさと

●大人は赤子の心を失わず2009/11/21

 大人(たいじん)は君主など徳の高い人を指す言葉、赤子(せきし)は生まれたばかりの赤ん坊をいう。徳のある人はいつまでも、赤ん坊のように純粋で偽りのない心を持ち続けるものだという意味である。君主たる者は常に民の暮らしに心を砕き、その気持を理解しなければならないという諌めの言葉としても知られる。

 昨今の政治の有り様を見ていると先の自公政権は言うに及ばず、この秋誕生した新連立政権までもがまるでこの言葉を知らぬように思われてくる。少しは、皇居にお住まいの老夫妻の爪の垢でも押し戴いて煎じて飲めと忠告したい。所詮、政治家は君主とは別物の垢まみれの存在ということだろうが、それにしてもあまりに情けない気がする。特に腹立たしいのが官房機密費なる税の行方である。

 原典:大人者不失其赤子之心者也(孟子「離婁」下)