○満月の無い月 ― 2010/02/09
満月の月は moon の意、無い月とはその満月をただの一度も見ることのない month のこと。今月がちょうどのその month にあたる。先月は元旦と30日が満月だった。今月は一年で最も日数が短い month である。28日しかない。次の満月は2月を通り越して3月の1日まで行ってしまう。お陰で3月はまた30日に、もう一度満月を拝める。などと、moon の満ち欠けを気にする生活も悪くないだろう。
今朝の月の出は3時12分(東京地方)だった。写真は日の出(6時35分)の少し前に撮影したものである。正午の月齢は24.8、5日後の今月14日(日)に新月を迎える。
今朝の月の出は3時12分(東京地方)だった。写真は日の出(6時35分)の少し前に撮影したものである。正午の月齢は24.8、5日後の今月14日(日)に新月を迎える。
昨年末から時折、月齢や太陰暦のことを書いているが、そのうち日本にも日本語に横文字を交えて今回の冒頭のような妙な説明をする時代がやって来るのだろうか。たまに国会の与野党論戦などをラジオで聴くと、耳慣れないカタカナ言葉が飛び交っている。新聞や放送でも、素人には意味の分からない各種のカタカナ言葉が頻繁に使われ出している。後期高齢者というと年寄りいじめの象徴のように受け取られるが、シルバーとかケアマネージャーとかジェイエーを年寄り泣かせの言葉だと非難する人はいない。それでいて日本語を大事にしろとか、漢字が読めないとか書けないとか活字離れが進んだとか、事あるごとに騒いでいる。不思議な国だ。
◆空徳利を振ってみる 手段と目的 ― 2010/02/09
政党とは政治的徒党の意である。政治に関わる主義や政治的な主張に基本的な共通項または多くの共通点を持つ者が寄り集まって、つまり徒党を組んで、それらの主義や主張が実現される国家をつくろうと活動する団体のことである。だから目的は自分たちの主義や主張を実現することであり、そのための手続きや仕組みづくりである。民主国家ではこれを法案づくりとか立法措置と呼んでいる。
ところが、こうした法案づくりや立法措置には徒党の数が問題になる。議会を通すために審議を尽くすことはもちろんだが最終的には議会を構成する議員の過半数の賛成を得なければならない。議院内閣制はこうした関係や手続きの在り方について政府と議会との関係を定めた制度であり、イギリスで生まれた。日本国憲法もこれを採用している。議院内閣制における政権の交代や政権の奪取は政治的徒党を組む者にとって法案づくりを円滑に進める言わば手段に過ぎない。高邁な政治的理想などがあって初めて政権交代も政権奪取も意味をもつのである。
換言すれば政治的理想や政治的主張の中身によって政党は評価されるのであり、そうした理想ももたずに単に徒党を組んでいるだけでは政党とは言い難い。他の様々な徒党との区別も難しくなる。昨今の政界の動向を見ていると肝心の理想や主張に関する議論が極めて貧弱で、世界の中の日本という視点で今後の外交関係とりわけアジア諸国との関係を真剣に考える政治家がいるのだろうかと案じられてくる。
少子高齢化の問題にしても、食料やエネルギーの問題にしても、温室効果ガス排出量の削減問題にしても、普天間飛行場など在日米軍基地の問題にしても、外国人参政権の問題にしても、郵政やJALの問題にしても、民法や刑法改正の問題にしても常に全地球的な視野・視点で発言できる政治家が多数派にならなければ結局は幕末の尊皇攘夷派レベルの議論で終ってしまう。黒船の頃にはなかった新聞やテレビがあっても、不安を煽り瓦版を売るだけの商売では社会の木鐸(ぼくたく)にはならない。ここはどうしても政治家自身の奮起が必要なときである。(つづく)
■リーク--新釈カタカナ語 ― 2010/02/05
特定の関係者以外は知りうるはずのない秘密や情報を、ある意図の下に第三者に漏らすこと。英語 leak を片仮名で表記した言葉。秘密や情報の中身は国家機密、企業秘密、捜査情報、個人のプライバシーに関わるものなど様々だが、それらを第三者に漏らしたり公表されるよう仕向けることによって、みずからの利益を図る、みずからの立場を有利に導く、または相手の立場を不利にするなど常に一定の狙いや意図を持って行われるところにこの行為の特徴がある。そのため漏らし方も年々工夫され、巧妙となり、漏らしたことを追及されたり、情報源の特定ができないように努める場合も見られるが、漏らされた秘密や情報の中身を精査すればそれらを知りうる立場の人物の絞り込みは可能になるため、一般にこうした努力には余り意味がないと言える。
なお政治資金などの問題で政治家の秘書を逮捕して取り調べる場合に、検察は逮捕権の乱用や捜査権の乱用を指摘されないよう必死で被疑者を悪玉に仕立てようとしたり、問題がいかに邪悪なものであるか・不正金額がいかに大きいかといった被疑者側に不利な情報を普及させようと、関連する捜査情報などを故意にマスメディアに漏らして世論を形成しようと画策することが頻繁に試みられるようになった。また捜査手法の一環としてこれらの情報操作を行っているのではないかと指摘される例も近年増えている。
こうした情報は取材する側の記者にとっては飯の種でもあるため互いの利益を共有する形でそのままニュースとして報道し、結果的に検察側の意図に与(くみ)するメディアも少なくない。いついかなる情報であれ必ずウラを取って報道するのが責任あるメディアの鉄則だが、供述情報と言われるもののウラを取ることは容易でない。そのため近年は「関係者への取材で分かった」とか「といわれる」「のようだ」などの曖昧な表現を使って、とにかく検察側の意図どおりの情報流布に加担するメディアの例が後を絶たない。読者も視聴者もマスメディアに対する監視だけでなく、こうしたメディアがもつ情報流布の機能を巧みに利用しようと考える隠れた存在のあることを忘れてはならない。そうでないと税を使った卑劣な行為を放置したり見逃すことになってしまう。
※知りうるはずのないことが報道されて知れ渡ることの不思議さに気づこう。
◆自民党に春の兆し ― 2010/02/04
今日は立春。暦の上では今日からが春である。しかし日本列島はこのところ寒気にまとわりつかれて身動きできない。この小さな列島のどこにそんな魅力があるのか、まとわりついて離れないのは寒気だけではない。マスメディアの奢りに大企業の不遜までが加わって連日メディアを賑わせている。
生活が苦しいとか幼児が虐待されているとか煽り立てながら、それらの改善をどう図るかよりもゴシップ記事捜しとその提供に忙しい。そして相撲取りの乱行だの愚行だの、巷の結婚詐欺だの殺人だの、やれ政界ボスの黒い資金だのと、あることないこと事実も推測もごちゃ混ぜにして騒ぎ立てている。これでは社会の公器が聞いて呆れるし、新型車の応援をしたり手抜き自動車会社の業績まで案ずるに至っては天候どころか気分までもが寒々しくなる。
生活が苦しいとか幼児が虐待されているとか煽り立てながら、それらの改善をどう図るかよりもゴシップ記事捜しとその提供に忙しい。そして相撲取りの乱行だの愚行だの、巷の結婚詐欺だの殺人だの、やれ政界ボスの黒い資金だのと、あることないこと事実も推測もごちゃ混ぜにして騒ぎ立てている。これでは社会の公器が聞いて呆れるし、新型車の応援をしたり手抜き自動車会社の業績まで案ずるに至っては天候どころか気分までもが寒々しくなる。
そんな中、今週は一つだけ微かにではあるが思わぬところに春の兆しを感じた。与党惚けに陥った政党のことは先日「新釈国語」で解説した。今週は、これに該当する政党の機関誌に予想外の直球記事が掲載されていた。題して「しっかりしろ自民党」、その(下)にあたる紙面に微かな兆しが現れていた。
何しろ“国民の生の声を聞き、政策に生かす「なまごえ☆プロジェクト」”なるものを先週末に始動させたばかりの党である。その機関誌だから驚くには値しないという意見もあろう。だが、いくらテーマが「しっかりしろ自民党」とはいっても「波乱の生涯を閉じ」たとか、「もはや野党としても蘇生の見込みがない」と断定し、長年の失政のツケを払わされて汲々としている民主党を攻める資格なし、自分の夢をひとつも語らない、恋敵の悪口ばかり並べる、とまで言い切ったのだ。少しは驚いてあげてもよいだろう。もっと驚きたい向きは機関紙「自由民主」2402号(平成22.2.9号) p12 をお読みあれ。
すでに彼の党は冬も春も夏も感じない、ただただ昨秋長月の節分のみが続いているのだという診断のあることは知っている。それでもここは前向きに受け止めてあげようではないか。それが人情というものであろう。と、ここまで書いて気になったのが、この提言に対する彼の党のコメントだ。「正に“辛口”な内容ですが、その中にも、わが党再生への期待が込められた叱咤激励になっています」とは一体どこをどう読んで書いたのか。これぞ惚けの最たるものではないか。前々回2400号(平成22.1.26号)掲載の(上)との区別が怪しくなっているのだ。
※今が冬の時代なら、次に訪れるのは春のはず…。
■新聞の日本語 うそぶく ― 2010/01/31
新聞社もテレビ局も一般企業と同様に経営危機のただ中にある。二番底などという噂はあるものの多くの企業がニクソンショックやバブルの崩壊やリーマンショックをバネに経営の改善や効率化を図りながら、何とか危機を乗り越えてきた。新聞やテレビはこれらの危機を騒ぎ立てて記事にし、ニュースとして報じることで飯の種にしてきた。だが今度ばかりは勝手が違うようだ。
何より新聞社の危機もテレビ局の危機も構造的なものを背景にしている。いまマスメディア企業の経営を脅かしているのはインターネットや携帯電話の普及によるメディアの一大変化である。新聞の購読などという古新聞の始末や講読勧誘に悩まされる古くさい習慣とは無縁でありたいと考える若者が増えている。日清・日露の戦役で国民的なメディアとしての地位を獲得し、次には関東大震災の不幸を種に東京進出を果たすことで寡占化の道を突き進んできた大新聞がいま多くの国民からしっぺ返しを食らっている。そんな風に感じられてならない。果たして一社だけの企業努力で乗り切れるものか非常に疑問である。
もうひとつ現代の新聞にとって不幸なのは、新聞制作を支える編集態勢の劣化である。すでに何回か指摘したように団塊世代の大量退社によって、取材し記事を書く能力が著しく低下してしまった。また、それらの記事を点検する側のデスクも年齢が下がり経験が不足し、さらに校閲まで能力不足や経験不足に見舞われている。今朝の朝刊に驚くべき日本語表現があったので紹介しよう。
社会保険庁の一連の不祥事を見て見ぬふりし、少子化の進行を指をくわえて見つめ、派遣労働者が苦境に陥るのを予想しながら放置した厚労省。そんな組織が、長妻氏にはたるんだ職員の集合体に映る。それでも、あまりに急進的な手法には、まだ多くの職員がついていけていない。(毎日新聞・2010.1.31・朝刊 p3)
これが昨秋、共同通信への再加盟を発表し、いわゆる発表ものは共同通信からの配信記事を使って取材費の合理化を図り、自社の記者は独自取材に振り向けることで、より掘り下げた深みのある紙面作りが期待できると表明していた新聞の現実である。この記事が一面トップを飾る“診療報酬増を「偽装」”という記事の続きであることを見れば、突然に飛び込んだ俄仕立ての記事でないことはすぐに想像がつく。しかもその末尾がこれである。文字数にはまだ1字分の余裕がある。「ついていけていない」などという耳慣れない日本語の9字を止め、せめて「ついてゆけないでいる」の10字に改めることができなかったのかと我が目を疑った。
それだけではない。細かい点はさておくとして、この記事にはもうひとつ大変気になる日本語が使われている。記事全体が長妻大臣に不満を抱く厚生労働省の官僚の気分を代弁した形になっていて、揶揄したり非力をあげつらったりしているのだが、その中に次のような表現が使われていた。今度は一面トップの末尾に近い場所である。
財務省が一転、0.19%増を受け入れたのは真の薬価削減幅は1.52%のまま、診療報酬改定率は0.03%増で実質ゼロ改定と言えるからだ。「脱官僚」を掲げる長妻氏も、巧妙な官の振り付けで踊った形となった。
「こういうのが役人の知恵なんだよ」
厚労省幹部は、そううそぶいた。(同上 p1)
「こういうのが役人の知恵なんだよ」
厚労省幹部は、そううそぶいた。(同上 p1)
最後にある「うそぶく」とは平然として言う、の意である。大きなことを言う、の意にも使われる。厚生労働省の幹部の態度や口ぶりが実際にこの日本語の通りであったとしたら、それはその幹部が早晩引退するか転職するつもりなのだろう。そうでなければ長妻大臣を小馬鹿にし、頭から嘗めてかかっていることになる。
記事には大臣が「厚労省の組織管理について(中略)今後人事を含め、統制を強める考えを強調した」ことも記されている。大臣のこうした姿勢に対する挑戦的な気持、そして自分たちの能力に対する絶対的な自信、このふたつが揃わなければ決して口にできない類の発言内容である。賢明な人間であれば、それでも口にはしないだろう。この新聞はそういう日本語を使って記事を書いたのである。
折しも国家公務員の幹部人事を一元管理するための内閣人事局の設置が検討中と伝えられている。政府の構想どおりに国家公務員法改正案が国会を通れば、府省庁の次官が局長級に降格されることも可能になるという時である。この記事は、そうした政府や民主党長妻大臣の方針に対する真っ向からの挑戦状であろうか。この幹部が後で泣き言や言い訳などしなくて済むよう新聞社幹部は言葉の使い方にもっと気を配る必要がある。仮に記者にはそのように感じられたとしても、記事にするときは「そうつぶやいた」とか「そうささやいた」といった表現にするのが穏当ではないだろうか。
■与党惚け--新釈国語 ― 2010/01/30
政党や政治家が長期にわたり政権の座に就いていたため、選挙で大敗北を喫して野党の座に転落しても相変わらず与党風を吹かすなど政権与党時代の発想や行動様式が抜けきれないことをいう。具体的には次のような事例が惚けの進行を象徴する症例として指摘できる。
1.国会議事堂内における政党控室などの場所や広さに固執する。
2.霞ヶ関の官僚や報道陣に対し従来どおり横柄な口を利く。
3.業界団体に対し従来どおりの関係を迫ったり国政選挙での協力を強いる。
4.陳情に現れない自治体の首長や地方議員に嫌みを言ったり怒鳴りつける。
5.存在意義を失った派閥の長に固執し、派閥の長として親分風を吹かせる。
6.党運営を従来どおりの年功序列で進めようと画策する。
7.党の財政事情を無視して高級料亭での会合を重ねる。
1.国会議事堂内における政党控室などの場所や広さに固執する。
2.霞ヶ関の官僚や報道陣に対し従来どおり横柄な口を利く。
3.業界団体に対し従来どおりの関係を迫ったり国政選挙での協力を強いる。
4.陳情に現れない自治体の首長や地方議員に嫌みを言ったり怒鳴りつける。
5.存在意義を失った派閥の長に固執し、派閥の長として親分風を吹かせる。
6.党運営を従来どおりの年功序列で進めようと画策する。
7.党の財政事情を無視して高級料亭での会合を重ねる。
なお以下の事柄はいずれも与党惚けとは無縁の症状である。これらのほとんどは所属の議員に政治家としての資質または能力が不足して起こる問題ではないだろうか。何もかもひっくるめて惚けのせいにするのは感心できない。人間の老化と同じで、党そのものの寿命が尽きつつあることの証拠と言えるだろう。
1.野党転落の原因を探ろうとしない。
2.どうすれば党の再生が図れるか考えようとしない。
3.国会の代表質問で他の野党に負けない質問をすることがない。
1.野党転落の原因を探ろうとしない。
2.どうすれば党の再生が図れるか考えようとしない。
3.国会の代表質問で他の野党に負けない質問をすることがない。
■野党惚け--新釈国語 ― 2010/01/29
政党や政治家が長期にわたり野党の立場におかれた結果、選挙で勝利して念願の与党側に替っても野党時代の発想や行動様式が抜けきれないことをいう。与党に転じても一向に政策立案能力が発揮されなかったり、政策の実行力という点で有権者が不安を感じ始めているとき、閣僚や党幹部がみずからの立場を弁(わきま)えない無責任な発言や行動を繰り返したり、党内でそうした発言や行動が相次ぐことを表す。
惚けは古くは「ほけ」と呼ばれ、本来は加齢にともなう心身の老化を指す言葉だったと想像される。例えば「源氏物語」には「ほけ」の様子が「昼間は一日うつらうつらして起きているか眠っているか分からない状態なのに、夜になるとすっきり目覚めて」と記されている(明石)。これに対し現在使われている「ぼけ」は、加齢により必然的に起こる「ほけ」現象の中でも特に否定的な意味合いの強いものだけを指す言葉と言えよう。行動の鈍さ、思考力の低下、昼夜の行動の逆転など忌むべき多様な問題点を含んだ表現として、それらに似た症状を呈する人物を罵倒したり、そうした症状が見られることを軽蔑的に評する場合に用いられる。
野党惚けの背景にあるのは政治家としての資質の問題と緊張感の不足である。野党には政権運営の直接的な権限も責任もないため、与党が準備する施策や法案の全てに対し常にその非をあげつらうことで自分たちの存在意義を発揮することができた。長い間こうした状況におかれると、なんらの責任も持つことなく評論家風に政治活動を続けることが許される。勢い野党には批判能力ばかりが長けた政治家が集まりやすくなる。与党に転じたとき政治家の多くが野党時代に身に付けた一種の習い性とも言うべき無責任な行動様式からいかに素早く抜け出せるか、速やかな頭の切り替えができるか、そのことの意味と重要性を教えてくれる言葉でもある。
惚けは古くは「ほけ」と呼ばれ、本来は加齢にともなう心身の老化を指す言葉だったと想像される。例えば「源氏物語」には「ほけ」の様子が「昼間は一日うつらうつらして起きているか眠っているか分からない状態なのに、夜になるとすっきり目覚めて」と記されている(明石)。これに対し現在使われている「ぼけ」は、加齢により必然的に起こる「ほけ」現象の中でも特に否定的な意味合いの強いものだけを指す言葉と言えよう。行動の鈍さ、思考力の低下、昼夜の行動の逆転など忌むべき多様な問題点を含んだ表現として、それらに似た症状を呈する人物を罵倒したり、そうした症状が見られることを軽蔑的に評する場合に用いられる。
野党惚けの背景にあるのは政治家としての資質の問題と緊張感の不足である。野党には政権運営の直接的な権限も責任もないため、与党が準備する施策や法案の全てに対し常にその非をあげつらうことで自分たちの存在意義を発揮することができた。長い間こうした状況におかれると、なんらの責任も持つことなく評論家風に政治活動を続けることが許される。勢い野党には批判能力ばかりが長けた政治家が集まりやすくなる。与党に転じたとき政治家の多くが野党時代に身に付けた一種の習い性とも言うべき無責任な行動様式からいかに素早く抜け出せるか、速やかな頭の切り替えができるか、そのことの意味と重要性を教えてくれる言葉でもある。
写真は植物の木瓜。同じ「ぼけ」でも中身は別物、さぞかし迷惑なことであろう。但し木瓜の実は石のように固い。
■内閣官房長官--新釈国語 ― 2010/01/27
内閣にあって首相を補佐しながら、政権が推し進める政策の企画立案を図り、閣議事項を整理し、内閣の庶務および行政各部の施策の総合調整を担い、政策実現に向け時に与野党などとの折衝も行う内閣官房のトップをいう。一般には略称の官房長官が用いられる。首相官邸内に執務室があり、補佐役として2名の副長官が任命される。仕事柄、内閣のスポークスマンとも呼ばれ、マスコミに登場する回数は定例の記者会見を含めて他の閣僚より断然多い。そのため官房長官に抜擢されたことで知名度を上げた政治家も少なくない。
しかし安倍晋三元首相に象徴されるように抜擢されても実力が伴わないと、本人は元より広く日本の政治全体にとっても不幸の始まりとなる。時の首相に人を見るよほどの能力・鑑識眼でもない限り抜擢人事は避けるべきだが、最近は狭隘な交友関係や指南役の不在などが祟って手持ちの貧相な駒で間に合わせる例も見られるようになった。鳩山内閣においてはすでに手遅れという指摘もあり、当人の政治家としての資質や能力だけでなく出身労組・企業の社員研修などにも疑問符が付きかねない状況にある。
しかし安倍晋三元首相に象徴されるように抜擢されても実力が伴わないと、本人は元より広く日本の政治全体にとっても不幸の始まりとなる。時の首相に人を見るよほどの能力・鑑識眼でもない限り抜擢人事は避けるべきだが、最近は狭隘な交友関係や指南役の不在などが祟って手持ちの貧相な駒で間に合わせる例も見られるようになった。鳩山内閣においてはすでに手遅れという指摘もあり、当人の政治家としての資質や能力だけでなく出身労組・企業の社員研修などにも疑問符が付きかねない状況にある。
写真は大量に実を付け、採りきれずに放置されたユズの実。寒中を過ぎると自然に蔕の部分が枝から剥がれて落下する。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/11/01/4668361 柚子(4)--実りの秋
◆足利事件と飯塚事件の差 ― 2010/01/22
国家による独善の最たるものは冤罪だろう。正義の名の下に警察や検察権力を行使し裁判所を利用して無実の民を苦しめ、死の恐怖に陥れ、時には本当に死に至らしめる。その一方で真犯人を見逃し、犯罪者からあかんべいされても見ぬふりをして定年を迎える。もちろん、この間ふんだんに血税を消費していることは言うまでもない。国家による独善とはいわば税金を使って人殺しさえ雇うような、想像するだに恐ろしい行為なのである。だがそれを正面から指摘する者は多くない。
現在、宇都宮地方裁判所で再審裁判が進行中の足利事件が注目を集めている。被告の管家さんは4歳の女児を殺害した犯人として逮捕起訴され、警察官や検察官の決めつけとそれを支持した裁判官の無能さに17年もの長きにわたって苦しめられたが、幸いにも無期懲役だったため死に至るという最悪の事態だけは免れることができた。
一方、似たような事件で同様に逮捕され、拘禁・取り調べの憂き目にあった飯塚事件の元死刑囚久間さん(故人)は終始一貫犯行を否認し続けた。2006年9月の死刑判決確定後も無罪を主張し、粘り強く再審請求を続けていた。
ところが2008年10月28日、前月に発足したばかりの自民党麻生内閣の森英介法相の命により、判決確定から2年で早々に死刑執行されてしまった。判決の拠り所になったのは、どちらも同じ程度の水準といわれる当時のDNA鑑定である。死刑求刑を支持し平然と判決を言い渡した裁判官を含め、これらの関係者にはつくづく「人を見る目」がないのだと痛感させられる。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/07/01/4404461 人を見る目
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/24/4387616 裁判員制度
しかも久間さんの場合は証拠保全も怪しく、その口までが国家権力によって封じられた今となっては、真相は文字通り闇の中と言うしかない。これが21世紀を迎えてもなお変ることのない日本の犯罪捜査の現実である。これほど不条理なことが許されて良いものだろうか。国民の何割がこの事実を知っているだろうか。マスコミの何社がこれを新たな冤罪と疑っているだろうか。そして自分たちもまた実は加害者側であったことに気づいているだろうか。
片や菅谷さんは権力の取り調べ術に翻弄されて自白を誘導・強制させられ、それ故に恣意的に罪一等を減じられて死刑を免れ、片や久間さんは権力による執拗な取り調べにもめげずに犯行を否認し続け、それ故に憎まれて死刑を求刑され頼みの裁判官には見放され、時の政権・法務大臣に至っては刑の執行を急ぐというまさに最悪の結果を招いてしまった。事件の現場が総理大臣の選挙区・福岡8区であったことも偶然とは言え、元死刑囚にとっては災難であったろう。
いずれにしても二つの事件が教えるものは、この国ではたとえ一時的ではあっても権力に屈したり迎合することでしか権力の不条理な決めつけから身を守る手段がないということである。一社に一人くらい、それが無理ならせめてどこかに一社くらい、こうした不条理に気づく新聞記者かマスコミがあっても良さそうに思うのだが、やっぱり株式会社では無理だろうか。
すでに「角を矯めて牛を殺す」における「矯める」の意味が二つの行為を指すことは説明した。これを日本の警察や検察に当てはめるならば次のようになるであろう。(1)自分たちには悪や不正を見抜く目があり、その目が曇ることも衰えることも誤ることもないと常に強い信念・自負を持つこと、(2)この信念や自負に基づいて逮捕したり取り調べたりした者は常に紛うことなき悪人であり不正の実行者であると決めつけ、万一罪の自白がなかったとしても何ら怯(ひる)むことなく起訴に持ち込み、取り調べに協力的でなかった者および自白しない者ほど重い刑が科されるよう努めること。(つづく)
現在、宇都宮地方裁判所で再審裁判が進行中の足利事件が注目を集めている。被告の管家さんは4歳の女児を殺害した犯人として逮捕起訴され、警察官や検察官の決めつけとそれを支持した裁判官の無能さに17年もの長きにわたって苦しめられたが、幸いにも無期懲役だったため死に至るという最悪の事態だけは免れることができた。
一方、似たような事件で同様に逮捕され、拘禁・取り調べの憂き目にあった飯塚事件の元死刑囚久間さん(故人)は終始一貫犯行を否認し続けた。2006年9月の死刑判決確定後も無罪を主張し、粘り強く再審請求を続けていた。
ところが2008年10月28日、前月に発足したばかりの自民党麻生内閣の森英介法相の命により、判決確定から2年で早々に死刑執行されてしまった。判決の拠り所になったのは、どちらも同じ程度の水準といわれる当時のDNA鑑定である。死刑求刑を支持し平然と判決を言い渡した裁判官を含め、これらの関係者にはつくづく「人を見る目」がないのだと痛感させられる。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/07/01/4404461 人を見る目
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/24/4387616 裁判員制度
しかも久間さんの場合は証拠保全も怪しく、その口までが国家権力によって封じられた今となっては、真相は文字通り闇の中と言うしかない。これが21世紀を迎えてもなお変ることのない日本の犯罪捜査の現実である。これほど不条理なことが許されて良いものだろうか。国民の何割がこの事実を知っているだろうか。マスコミの何社がこれを新たな冤罪と疑っているだろうか。そして自分たちもまた実は加害者側であったことに気づいているだろうか。
片や菅谷さんは権力の取り調べ術に翻弄されて自白を誘導・強制させられ、それ故に恣意的に罪一等を減じられて死刑を免れ、片や久間さんは権力による執拗な取り調べにもめげずに犯行を否認し続け、それ故に憎まれて死刑を求刑され頼みの裁判官には見放され、時の政権・法務大臣に至っては刑の執行を急ぐというまさに最悪の結果を招いてしまった。事件の現場が総理大臣の選挙区・福岡8区であったことも偶然とは言え、元死刑囚にとっては災難であったろう。
いずれにしても二つの事件が教えるものは、この国ではたとえ一時的ではあっても権力に屈したり迎合することでしか権力の不条理な決めつけから身を守る手段がないということである。一社に一人くらい、それが無理ならせめてどこかに一社くらい、こうした不条理に気づく新聞記者かマスコミがあっても良さそうに思うのだが、やっぱり株式会社では無理だろうか。
すでに「角を矯めて牛を殺す」における「矯める」の意味が二つの行為を指すことは説明した。これを日本の警察や検察に当てはめるならば次のようになるであろう。(1)自分たちには悪や不正を見抜く目があり、その目が曇ることも衰えることも誤ることもないと常に強い信念・自負を持つこと、(2)この信念や自負に基づいて逮捕したり取り調べたりした者は常に紛うことなき悪人であり不正の実行者であると決めつけ、万一罪の自白がなかったとしても何ら怯(ひる)むことなく起訴に持ち込み、取り調べに協力的でなかった者および自白しない者ほど重い刑が科されるよう努めること。(つづく)
◆月は痩せ、米ナイ教授は案ずる ― 2010/01/09
目を覚まし、南側の窓を開けると、弦月がちょうど隣家の屋根の真上にあって、その姿が天窓に映っていた。月の出は深夜の1時20分、月の南中は6時37分だった。(いずれも東京)
大晦日から元旦にかけて満月だった月が半分に減ってしまった。この間、十日足らず。正月気分も抜け、また仕事が始まり、政界では財務大臣が替わった。霞ヶ関では年末まで得意満面だった財務官僚達の顔がにわかに曇り、口が重くなった。
マスコミは検察が動き出したとか動いて欲しいとか、そうだとか、ようだとか、関係者の話ではとか、注目が集まっているとか、いろんな語尾を並べ、元旦から政治部も社会部も若手記者を動員して与党大物政治家の動向を追っている。売れない新聞を買わせるためとは言え、ご苦労なことである。
海の向こうでは、かつて駐日米国大使候補の筆頭だったハーバード大学のジョセフ・ナイ教授(Joseph S. Nye Jr・元国防次官補)が今月7日付けのニューヨークタイムズ(電子版)に寄せた論文"An Alliance Larger Than One Issue"(一つの問題より同盟関係の重視を)が注目される。
寄稿の中でナイ教授は「米国政府は手段と目的を取り違えるな。普天間基地という二義的な手段の問題で日本の鳩山政権を追いつめると、米国の面子(めんつ)は保つことができても日本人がもつ親米的な感情を悪化させ、引いては東アジアの安定という最も重要な戦略目的が脅かされることになる。短気は避け、ここは辛抱強く交渉を続ける必要がある」と説いている。日本のマスコミにとっては、思わぬところからのカウンターパンチであろう。
http://www.nytimes.com/2010/01/07/opinion/07nye.html ナイ教授の寄稿
大晦日から元旦にかけて満月だった月が半分に減ってしまった。この間、十日足らず。正月気分も抜け、また仕事が始まり、政界では財務大臣が替わった。霞ヶ関では年末まで得意満面だった財務官僚達の顔がにわかに曇り、口が重くなった。
マスコミは検察が動き出したとか動いて欲しいとか、そうだとか、ようだとか、関係者の話ではとか、注目が集まっているとか、いろんな語尾を並べ、元旦から政治部も社会部も若手記者を動員して与党大物政治家の動向を追っている。売れない新聞を買わせるためとは言え、ご苦労なことである。
海の向こうでは、かつて駐日米国大使候補の筆頭だったハーバード大学のジョセフ・ナイ教授(Joseph S. Nye Jr・元国防次官補)が今月7日付けのニューヨークタイムズ(電子版)に寄せた論文"An Alliance Larger Than One Issue"(一つの問題より同盟関係の重視を)が注目される。
寄稿の中でナイ教授は「米国政府は手段と目的を取り違えるな。普天間基地という二義的な手段の問題で日本の鳩山政権を追いつめると、米国の面子(めんつ)は保つことができても日本人がもつ親米的な感情を悪化させ、引いては東アジアの安定という最も重要な戦略目的が脅かされることになる。短気は避け、ここは辛抱強く交渉を続ける必要がある」と説いている。日本のマスコミにとっては、思わぬところからのカウンターパンチであろう。
http://www.nytimes.com/2010/01/07/opinion/07nye.html ナイ教授の寄稿













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