■使い捨て(1)--新釈国語2009/06/24

 原義は、使い終わったら捨てること。しかし「捨てる」と表現された中身を吟味すると、言葉の意味も実態も単純単一なものではないことが理解できる。ひとつは使い捨てのカイロに代表される組み合わせがこれに当たる。中身が特定の使用目的に限定された造りとなっているため一度使用すると同じ目的での再使用は叶わず、必然的に廃棄するしかなくなる使用実態をいう。再資源化といっても例えばカイロの場合、中身は鉄粉、活性炭、バーミキュライト(保水剤)が普通だから庭の土に混ぜるくらいしかないだろう。
 一方、同じく使い捨てと呼ばれるものでも、カメラの場合は「捨てる」の意味が全く異なっている。このカメラは面倒なフィルムの装填を不要にして購入者に撮影という本来の目的だけに集中できるよう工夫した商品だが、現像所を巻き込んだ資源回収の仕組みを構築することによってカメラ本体の再使用や再資源化を可能にした。つまり利用者には使い捨てのように見えても決してカメラが廃棄されるわけではない。これが使用実態から見た「捨てる」のもう一つの意味である。メーカー側も近年は「レンズ付きフィルム」と呼称を改め、従来の使い捨てとは発想が異なることをアピールしている。(つづく)

○かもさん おとおり--夏便り2009/06/22

 全国的には今年の田植えはほぼ終了したと思いますが、関東地方以西の暖地ではこれから7月の初めにかけてというところもあるようです。そんな田圃の一枚が代掻きを終え、明日あたりからさあ田植えが始まるぞというとき、鴨の親子が下見にやってきました。
 農薬を使わない水田にはいろんな生物が住んでいます。きっとその辺の河川より安心できることを知っているのでしょう。これから夏の終わりまで鴨たちは餌場に困ることがありません。
 写真は前にご紹介した徳さんがつくる田圃です。徳さんのお陰でこの辺りの自然環境は守られています。徳さんが住人にもたらしてくれるのは新鮮野菜だけではないのです。頭が下がります。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/08/ 大根の味(2)

◎親品種--アジサイの季節2009/06/12

 東北地方北部も梅雨入りしました。梅雨にはとかくじめじめした印象がつきまといます。しかし場所によっては水不足も起きているそうです。今や空気も水も只(ただ)で手に入る時代ではなくなりました。これも地球が有限であることを忘れ、その一部として人間が存在することを忘れた結果です。日本列島に限って見るならば敗戦の苦しさを忘れ、国力の復興に自信過剰となり、繁栄を謳歌して消費と飽食と奢りとに明け暮れた結果でしょう。
 さて今日最初の一枚は、最近あちこちで目にするようになったスミダノハナビという品種です。今日はできれば、あと一枚か二枚追加したいと考えていますが、果たしてその時間が取れるか不明です。お昼頃と、今晩遅くにでもお確かめいただければ幸いです。
 扁平に近い円盤形のガクアジサイと立体的な手鞠状をしたアジサイでは植物学上の分類も異なるそうです。後者が西洋アジサイと呼ばれるのは何故でしょうか。外来種のアジサイと理解してよいのでしょうか。スミダノハナビは恐らく前者の親からつくられたものでしょうが、こうしていろんなアジサイを眺めていると、どの部分に注目するかによって、どちらにも似ているように感じます。

夕闇迫る水田--田圃のある風景2009/06/09

 夕方、西の空に太陽が沈む頃すぐに東の空から月が出ればよいのですが、自然はそう都合よくはできていません。明るいうちから用もないのに顔を出すこともあれば、顔を出しても御愛想ばかりの三日月や御愛想さえも疑われる新月のこともあります。一般に夕闇は、こうした時間帯の薄暗さを表す呼称です。
 写真の水田は田植えが終わって間もない頃の雨上がりの夕景色です。一日中降り続いた雨が夕方近くになって降り止み、雲の動きが激しくなって急に西の空に雲の切れ間が見えました。ちょうど日の入りの時刻でした。大急ぎでシャッターを押した中の一枚です。
 田圃の周りに支柱が立ち、早くも害獣除けの網が張られていることにご注目ください。これが日本農業の現実です。都会の人々が冷暖房と有り余る商品や輸入食料品に囲まれながら、やれエコだ環境だ不景気だ景気対策だと他人事(ひとごと)のように叫んでいる間も、こうしてせっせと米を作り野菜を作り、それらを自力で保護しながら暮らしているのです。どちらの足が地に着き環境を守っているか、一度でもいいから考えてみて欲しいものです。
 なお「田圃のある風景」は今日でひとまず終了とし、出穂(しゅっすい)か実りの頃に改めて掲載いたします。

エコのまやかし2009/05/25

露地物はこれから…。
 最近はどこに行ってもエコばやりである。「エコ、エコ」とまるで猫でもそばにいるかと勘違いしそうなほどに囃し立てる。エコを叫ぶ人たちのまやかしは、その程度も魂胆も様々だ。無邪気に叫ぶものから、すべてのエコは商売につながると信じて行動するものまで意識も根の深さもいろいろである。
 一例を挙げよう。一年中、夏も冬も春も秋も食卓にキュウリやトマトを欠かさない紳士や淑女のエコロジスト、イチゴが大好きで盆もクリスマスも正月も年がら年中イチゴを食べるという若者のエコロジスト、これらの人々は皆その主張と行動とが一致しない「えせ」活動家に過ぎない。こんな人々に地球の温暖化が阻止できるはずがない。エコロジストと呼ぶにはあまりにお粗末だ。
 その理由はきわめて素朴かつ単純なものである。嗜好のためか健康のためかは知らぬが、彼らが化石燃料に頼るわがままな生活をしているからだ。季節外れの野菜や果物を食べるために石油を燃やしてビニールハウスを暖め、おのれの食欲だけはしっかりと充たしている。こんな愚かなことを平然と続けながら、口先でエコを叫び、町中でビラを配っている。「呆(あき)れかえる」とでも言うほかない。

欅の大木(五月の風13)2009/05/15

悔しかったら生きてみろ…。
 さる神社の境内にそびえるケヤキの大木です。かつて甲州街道沿いにはケヤキが植えられ、それがいつの間にか大きく成長して電線や近所の建物を脅かすため枝を切り落とされ、それでも秋には止めどなく落ち葉を降らせるので邪魔者扱いされると聞きました。
 そんなケヤキでも春になれば決まって芽を吹き、枝を伸ばし、葉を茂らせて、幹の太さに相応しい元の姿を取り戻そうと懸命になります。こうしたケヤキの気持を知ってか知らずか、この季節だけは「新緑が美しい」だの「春はいいね」だのと賞賛の的にされるから不思議です。
 これほど身勝手な人間がこの頃は何を思ったのか、やれ環境だのエコだのと意味不明な妙竹林な言葉を並べるようになりました。300年も400年も生き抜いてきたケヤキの大木は、そんな人間たちの言動を前に今は何を思って生きているのでしょうか。

大根の味(2)2009/03/08

 冬越しとは言っても、栽培する人や畑が違えば大根の味はかなり異なったものになる。畑が同じでも畝が離れていれば味が違うことを教えてくれたのは篤農家の徳さんだった。今月の初め、徳さんは自宅前の直売所に直径12センチ、長さ45センチを超える大根を1本200円で並べた。一抱えもある大きな大根だ。たちまちのうちに売り切れた。評判に違わぬ美味い大根だった。その2日後、ほぼ同じ大きさの大根が今度は100円で並んだ。これも昼近くには売り切れた。値段の理由は味である。かじってみると前のものよりやや甘味が浅かった。後から収穫した大根の畝は地下に岩盤があり、あまり深くは耕せない場所にあったそうだ。徳さんは実直さでも知られた人である。
 石山さんは野菜づくりが大好きな主婦である。庭の一角に広い畑をもち、半ば趣味で季節の野菜を育てている。農業にあまり興味のないご主人は会社経営に忙しく、さっぱり手伝ってくれない。仕方がないので石山さんは自分で耕耘機を動かして畑を耕し、せっせと堆肥を入れて土造りに精を出す。自分が食べるためでもあるから農薬のようなものは使わない。女手ひとつでは徳さんほどの巨大な大根はつくれないが、それでも直径11センチ長さ40センチを超える大物を時々近所の人に1本100円で分けてくれる。この大根の甘さと瑞々しさが徳さんの大根を上回りそうだともっぱらの評判である。徳さんもうかうかとはしていられない。

大根の味(1)2009/03/07

 冬越しの大根もそろそろ終わりに近づいた。寒冷地では雪が降る前に全て抜き取り深く掘った室に入れて保存するが、暖地では年が明けてから収穫する。寒気にあたると青々とよく伸びていた外側の葉っぱは萎れて無くなり、小さな葉っぱだけが縮んだように残って冬を越す。寒気にあたると大根は糖分を貯めだし、どんどん甘味が増してゆく。何より甘く瑞々しいのが冬越し大根の特徴である。また地面から顔を出し四六時中外気に触れている葉っぱに近い首の部分は、皮だけでなく内側もうっすらと緑色に染まってゆく。
 たかが大根などと侮ってはいけない。冬越し大根の味は別格の美味である。葉と一緒に細かく刻んでサラダにすれば、味も色も楽しめる。薄塩や米酢で浅漬けを楽しむもよし、変わり種の天ぷらも乙なものである。イカと煮れば田舎の味が楽しめるし、豚肉と煮れば料亭並みの贅沢な味も楽しめる。輪切りにしたものを2つか4つに割って、砂糖は控えめに酒と味醂で味を調える。バラ肉のかたまりでも薄切りの三枚肉でも細切れ肉でも、使い方次第で贅沢な味にも上品な味にも自在に変えられる。料亭のとろけるような大根の味を楽しむことができる。

天然物と養殖物(6)2009/02/28

 促成と呼ばれる1年養殖では、芽胞体から造胞体に至る初期段階での成長を早めた点に工夫がある。種苗供給センターの培養液の中で育て、晩秋に海に入れる。そのため翌夏には1年目でも刈り取って出荷できる。一般に1年目の葉体は水昆布と呼ばれ、厚みが十分でなく味も劣っている。促成はこうした短所を補う方法であり、供給と価格を安定させようとする知恵から生まれた。この方法で収穫された真昆布には出し汁が取りやすいなどの評価もあり、消費者の選択肢を拡げる役割も果たしている。また2年養殖では天然物と同様、2年目の株から育った葉体を出荷するため間引きが効き、より良質の昆布づくりに役立っている。
 いずれにせよ真昆布の養殖を可能にしているのは北海道に残る豊かな自然と地形、そして海流の働きである。その生育には原生林の存在が欠かせない。原生林から流れ出す豊富な湧き水には良質の有機栄養分が多量に含まれている。地形のお陰で、これらの真水が汚染されることなく養殖場に達している。養分を海藻に供給する役目は海流が引き受ける。海流は養分を巧みに供給しながら養殖場の環境も守っている。養殖とは言え、こうした天与の環境が全て揃った上に実現していることを忘れてはならない。

天然物と養殖物(5)2009/02/27

 海藻の養殖方法は有機栽培的である。魚類の養殖では養殖池に飼料をまき、これを大量に摂取させることで成長を促す。だから飼料の中身が問題となる。一方、野菜の成長には葉を通して行う光合成と、根から吸収される養分が欠かせない。養分の供給には肥料を使うが、化学肥料は敬遠され有機栽培が推奨されている。海藻の成長にも光合成と養分が必要である。しかし海藻の養殖には飼料も肥料も使わない。養殖の工夫と知恵は別のところに向けられている。
 詳しい説明は避けるが、例えば函館空港の東側にある小安地区の漁協ではコンブ種苗供給センターで真昆布の芽胞体を人工受精させ、沖合の筏に張ったロープに着生させて育てている。海藻は養分補給を葉の部分(葉体)で行うため根が岩礁に着くかロープに着くかは問題ではない。光合成のための水深は養殖の場合、自由に調節ができる。重要なのは十分な有機栄養分が流れ込んでくる場所にあること、海流や潮の流れがその昆布に適していることの2つである。