便利すぎるは不便の始まり(2)2009/05/11

日当たりのよい土手で…。
 悲劇や喜劇は、この当然すぎるほどの問題点を意識しないまま依存症に陥った人々に発生している。いつでもどこでも携帯電話を介して家族や友達とつながっていると信じて登山やハイキングや魚釣りに出かけた人が、道に迷ったり遭難したとき連絡が取れずに慌てることがある。山や沢や海の上では当然のことながら充電ができない。谷の奥には電波が届かない。連絡したい相手が同様の窮地に立たされた場合も携帯電話はあまり役に立たない。災害などに遭遇して充電ができなくなれば、こちらの電話器に支障がなくても相手との通信は成立しない。
 携帯電話を使い始めると相手の電話番号は機械が記憶し、人間が覚える必要はなくなる。番号の押し間違いも記憶違いもなくなり至極便利ではある。しかし記憶の負担が軽減されたことを単純に便利だ助かると喜んでばかりいてよいかどうかは疑問である。数字の記憶を出したり入れたりすることの効用も無視できない。例えば携帯電話を忘れたり、それが利用できない地域では従来通り番号をひとつひとつ指示しなければならないが、その番号を思い出せなくなっている。便利さはありがたい。だが、決して慣れっこになったり溺れたりしないよう日頃から戒めておく必要がある。

五月の風(9)2009/05/11

ああ忙しい、忙しい…。
 このところの暑さで垣根のバラが一気に咲いてしまいました。番外編のつもりでご覧ください。
 バラは棘(とげ)があるし、消毒はしなければならないし、咲き終わった後の手入れも大変です。見ているだけでしんどくなります。しかも四季咲きとなると、年に4回も同じことを繰り返すわけです。やっぱり日本の植物、和風が一番と感じます。