春惜しむ--客観写生2009/05/26

庭の楽しみ
 高浜虚子は夏目漱石と7歳しか離れていないのに明治大正昭和と3代を生きて大震災にも遭い、太平洋戦争の憂き目にもあって疎開も経験した。亡くなったのは敗戦の復興が一段落し、いよいよ高度経済成長が始まろうとしていた矢先の昭和34年(1959)春だった。満85歳だから当時としては長命だったと言えるだろう。一方の漱石は50歳まで後2ヶ月という時に亡くなっている。35年と7歳の差がこれだけの違いを生んだのである。
 晩年と呼ばれる年齢に近づきつつあるいま漱石や虚子の著作を目にするたびに、この先の日本には地球にはいったいどんな困難が待ち受けているのだろうかと考えずにはいられない。まだ過去を振り返るほどの余裕も暇もないが、次の句には晩年を迎える者の憧れと悟りの境地が感じられる。虚子が提唱し実践した「客観写生」の賜物であろうか。

 下駄穿いて縁に腰して春惜む 虚子

■はしゃぐ--新釈国語2009/05/26

はしゃぎたくなる気持も分かります
 もめ事や困り事が起きたとき、その問題をどう解決するか問題の本質は何かと考えるのではなく、とにかくマスコミに登場できる絶好の機会と考えて嬉しそうに行動すること。この言葉は「燥ぐ」とも記され、元はからからに乾くことを指していた。いつ頃どんなきっかけでこれに浮かれ騒ぐの意が加わったのか経緯は不明だが、江戸時代にはすでに用例がある。しかし明治の末期近くにも乾燥の意で用いられた例があり、いい気になって大騒ぎしたり・大言壮語することへの転化は大正から昭和・平成に至る100年の中で起きたと推測される。現代においては、劣勢に立たされても政権欲や権力欲が人一倍強い政治家の、行動の一端を示す表現にもなっている。