便利すぎるは不便の始まり(1)2009/05/10

柔らかな日差しを浴びて
 便利になりすぎて困るものの代表格は多分、携帯電話だろう。単機能を売りにした、いわば不便な機種がわざわざ発売されるくらいである。理由は最近の携帯電話が、持ち運びのできる小さな電話器というより通信機能の付いたポケットパソコンとでも呼ぶべき商品になっていることだろう。非常に便利な道具かもしれないが使いこなすにはそれなりの習熟が求められ、年配者には却って不便な機器に感じられるのだ。
 しかし携帯電話に代表される便利で身近な道具の問題点は、こうした機能面だけの特徴に止まらない。便利さが向上し、その便利さが認識され、人々の生活に欠かせない道具として使われれば使われるほど、その道具に対する依存度もまた増すことである。加えて、この道具には鋏や包丁や鏡など従来の伝統的な道具には見られない問題点が内包され、それが避けがたい特徴になっていることである。電源や電池がなければ全く動作しないし、あっても電圧が下がれば動作が止まってしまう。そして通信機能はあくまでも電波が届く範囲に限定されている。こうした特徴や短所を十分わきまえた上で利用しないと、裏切られたり生命を危険にさらすことにもなりかねない。

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