■生物時計--新釈国語2009/10/13

 太陽系を構成する星のひとつである地球に40億年前に誕生した生命が、生物として進化を遂げる過程で獲得した1日を24時間とする時間測定の仕組み。例えば植物の葉の運動である光周期性、動物の睡眠・覚醒のサイクルなど多くの生命現象のリズムを司る機能と考えられている。近年の分子生物学研究の進展によりDNA遺伝子の特定の塩基配列に、こうした機能を伝える共通部分のあることが解明されている。体内時計ともいう。

 人類は500万年以上前にサルがヒトに進化することで誕生した。その後、人類は火を使うことを覚え、これを照明として利用し、さらに人工的に闇を照らす方法も電流を利用することで獲得した。その結果、地球の自転周期とは関係なく夜でも仕事ができるようになったが、ヒトが動物であることには何らの変化も起きていない。例えば動物の出産時刻が夜半から明け方に集中するのも、地球で暮らす生命体にとってそれが一番安全な時間帯であると認識されたためではないかと考えられている。

 生物時計は受精によって生命が誕生した瞬間から回り始め、出産を経て胎外に出た瞬間から今度は生命の終焉である死に向かって時を刻む。これが加齢である。加齢は、ある時期までは成長とか発達とも呼ばれている。こうした加齢の過程で生物時計のリズムを狂わせるような人為的な強い力が加えられると、その影響はリズム異常症と呼ばれる現象となって精神的な躁鬱状態を引き起こしたり、不登校や出社拒否などの原因となり、さらには加齢を促進させ生物としての寿命を縮めることにもつながってゆく。

 生物時計を狂わせる負の力の代表的なものが恒常的な夜勤労働であり、時差ぼけであることはよく知られている。しかしリズム異常症には大小様々なものがあって、精神的な躁鬱症状以外にも多くの問題を引き起こしている。食事時間が不規則なために起こる肥満や便秘、朝食抜きや夜食過多が引き起こすイライラや胃腸障害、夜更かしの後の極端な集中力欠如など、いずれも生物時計のリズムが乱されて起こる諸症状である。いずれの場合も生物としての寿命に少なからぬ負荷をかけていると覚悟する必要があろう。

○蓼(4)--野の花2009/10/07

 谷崎潤一郎が大阪と東京の新聞に「蓼喰ふ虫」なる連載小説を始めたのは昭和3年12月4日のことである。もう80年以上も昔のことになってしまった。谷崎文学の魅力は人によりきっと色々あるに違いない。が何と言っても一番は、今では滅多に聞かれなくなってしまった懐かしい子どもの頃の耳慣れた日本語に会えることである。そこには笠智衆、原節子、三宅邦子等の演じる「麦秋」や「東京物語」の日本語が溢れている。

「どうなさる? やつぱりいらつしやる?」という言葉遣いのできる女性の数がどんどん減ってしまった。職場でも電車の中でもまず耳にすることはない。戦後生まれの女性の中にもこうした言葉遣いのできる人はいるのだが、どうもそれをさせない空気のようなものがいつの間にか出来上がってしまった。

 公共放送を謳うNHKにも生き残り競争の波が及んでいるようだ。最近はすっかり若者志向が定着している。年寄り連中には目もくれず、ひたすら8チャンネルを手本に民放化への道を走っている、とはテレビ好きの知人の話だ。テレビを点けるしか人語に接する機会がないと電話で零している。独り暮らしにもそれなりに悩みはあるようだ。谷崎文学の世界に憧れるのも結構だが年がら年中いつまでも、男がもて続ける保証はどこにもない。(つづく)

  男跼み火をおこしをる蓼の花 渥美実

○百日草と千日草(1)2009/10/03

 子どもの頃、土蔵の横に百日草が咲いていた。誰が植えたものか、育てたものか、種を蒔いたのかは知らない。この花が咲くと大川に水浴びをする場所が造られ、ほどなく学校が休みになった。そしてお盆が来て、叔父や叔母や従兄弟が来て賑わい楽しかった。

 お盆が終ると、すぐにまた学校が始まった。宿題の提出に苦労した。それからすぐに9月になり、今度は運動会の練習が始まった。農家では秋の収穫が始まり、畑では大根の葉が伸び始めていた。そして10月になり本格的な稲刈りの季節がやってきた。そんな季節の運動会に親が出かけるためには幾日も晴天が続き、刈り入れのすっかり終っていることが条件になった。

 昔はよく台風が来た。大風が吹き、稲は倒れ、田圃には水がついて稲刈りが遅れた。だから親が運動会に顔を見せることは滅多になかった。運動会の日の昼休みは、親がつくってくれた大きな握り飯を一人で食べることが多かった。運動会が終り、めっきり日が短くなっても百日草はまだ咲き続けていた。いつ頃この花が萎れるのか、霜で枯れてしまうのか、はっきりした記憶はない。(つづく)

○獣除け--実りの秋2009/09/26

 いま鳥獣害に悩まされているのは都会の農家だけではない。中山間地と称される山あいの集落でも猿、鹿、猪、狢(むじな)などの食害に脅かされている。しかも対策の有効な決め手がない状態が続いている。集落全体を牧場のように金網で囲ったところまである。それでも猿の群れはやって来る。鹿は柵を跳び越えるし、猪も隙を見つけて入り込む。狢を防ぐ手はない。
 写真の風景はまだ秋の彼岸前の、朝露が残る時間帯の棚田を山の裾の方から見上げたものである。右手前方の山の端に、ちょうど朝日が昇ったところである。斜めの光が初秋の朝の爽やかな空気を感じさせてくれる。写真とはまさに光の力の表現であることを教えてくれる。
 しかし気になることもある。右側の土手には網の目が見えるし、テープも光っている。これらは害獣が田圃に入り込まないよう耕作者が設置したものだが、気休めにしかならないという。実際この朝、猪が入り込んで田圃中を転げ回った跡が見つかっている。それでも何もしないよりは増しではないか。そう考えて、今年も周りに網を張ったそうである。テープは雀除けとのことだった。

○栗拾い(1)2009/09/21

 近所の石山さんの家でも栗拾いが始まった。早朝、栗畑というか栗林に行って、落ちている栗の実を拾い集める。あるいは落ちている毬から栗の実を取り出す。こんな時はゴム長靴が一番である。毬を踏んでも痛くないし、毬を踏んづけて栗の実を取り出す際にも便利だ。

 子どもの頃の話である。まだ暗いうちに母は起き出し、嫁入り前だった叔母と連れだって山へ向かった。目指すは山栗の実である。1時間も歩くと栗の木が多く生える山頂近くの沢に着く。その時間にはもう足元がよく見えるくらいの明るさになっている。それからは視力と手の早さとを頼りに、虫食いのない栗の実を余すことなくひたすら拾い続ける。
 生栗はひとつひとつは小さくても数が集まると重くなる。腰に付けた魚籠(びく)に半分もたまると魚籠が腰にぶら下がって仕事の邪魔になる。そこで栗は背負い籠に移し、また拾い続ける。こうして2時間も拾うと、もう持ち帰れないほどの量になる。そこで栗拾いはお仕舞いにして、持参した握り飯を食べ家路につく。(つづく)

  山びこのひとりをさそふ栗拾ひ 飯田蛇笏

○今日は原爆忌2009/08/06

 今日は原爆忌である。昭和20年(1945)8月6日、米軍は広島に原子爆弾を投下した。その惨状と悲劇と人間の愚かしさとを終生忘れず、後世に語り継ぐための記念日である。

  むし風呂のごとき夜が明け原爆忌 河原白朝

○露草(1)--野の花々2009/08/04

 紫露草は紹介したが、本家の露草の紹介を忘れていた。本家と書いたのは前者が園芸用の帰化植物であるのに対し、後者は万葉集にも登場する歴(れっき)とした野の花だからである。しかし植物分類の世界ではどちらも同じツユクサ、つまり同属と見なされている。そのためか露草と聞くと最近は、紫露草を思い浮かべる人が多くなってしまった。片や多年草で背も高く、こなた一年草で丈は短いとなればどう見ても日本古来の花に勝ち目はない。
 昨今は田舎でもガーデニングが大流行りである。老いも若きも玄関先や庭先に朱色風土色の妙な形をした鉢を並べたり、同じ色合いの格子状の衝立(ついたて)をそこら中に立てかけている。聞けばテレビの影響だと言う。新聞も負けずに家庭欄などで書き立てる。雑誌については言うまでもない。
 しかし本当に「美しい国・日本」を望むのであれば、テレビは無知や無教養を売り物にしたドタバタ番組を止め、俄(にわか)仕立てのエコ番組ではなく、視聴者の目が野の花や万葉の花などに知らず知らずのうちに向かうような、そんな番組制作にじっくり取り組む必要がある。口では「日本を大事に」とか「日本を愛そう」などと言っても、スポンサー企業の腹の中には爪の垢ほどもそんな気持はないのだろう。新聞社然り、雑誌社は言うに及ばず、政府や文部科学省にしても同じ穴の狢(むじな)に過ぎない。(つづく)

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/18/ 紫露草の色
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/07/19/ 赤い紫露草

○夏菊(2)--野の花々2009/08/03

 夏は冷たい素麺が好まれる。薄味のあっさりした漬け物も嬉しい。この時期に咲く夏菊はそうした日本人の心を察しているかのように、趣はあっさりとして匂いも薄いものが多い。だから同じ頃に咲く蝦夷(えぞ)菊とかアスターと呼ばれる園芸種に比べると、どうしても華やかさで負けてしまう。
 しかし園芸種にはない、野の花ならではの風情や侘びしさがある。園芸種というのは確かに綺麗だが、予備校や学習塾にせっせと通って受験術を身につけた子どものように、化粧品会社の上玉顧客のように見かけは秀才や美人でも、何処かに人為的なものがあって違和感を覚える。(了)

  夏菊のうすむらさきが語りかけ まさと

■見切り発車--新釈国語2009/08/03

 ある施策についての議論や検討が未だ十分とは言えない段階・状態にある中で結論だけを急ぎ、実行に踏み切ること。元は終戦後の混乱期や高度成長期の通勤時によく見られた風景で、一部の乗客を駅のホームに残したまま満員の列車や電車を発車させることをいった。見切るの原義は全体をくまなく見ることだが転じて、全体をくまなく見たかどうかを問う前に見込みがないと諦めること、全体をよく見ることなく形勢の判断をすること、特に形勢不利の判断を下すことを指すようになった。まず結論ありきのお役所仕事や官庁の各種審議会などによく見られる現象・手法である。なおデフレ傾向が続く中で、小売り店が形勢不利の判断を早めてリスクの軽減に努めようとする販売手法は見切り販売と呼ばれ、見切り品はそうした際に価格引き下げの対象となる商品をいう。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/07/19/ 見切り販売

○白詰草--盛夏2009/07/25

 今はシロツメクサよりクローバーと呼んだ方がとおりがよいのかも知れぬ。味の濃い牛乳にも確かそんな名前があったように記憶する。アカツメクサとの違いは昨日も書いたとおりだが、植物分類では同じ科に属し共にヨーロッパ原産の牧草だという。日本にはきっと長崎出島のオランダ商館を通じて江戸時代にでも渡来したのだろう。
 牛乳を思い出すのも、この植物が冬場の乳牛の餌として欠かせないものだからである。刈り取った後もそのまま同じ場所に放置し、すっかり乾燥しきってから丸めて大きな干し草の束にする。そして納屋にしまうのだが、この干し草が何ともよい臭いがするのである。お日様の臭いとは多分、あの干し草になったシロツメクサなどの臭いではないだろうか。そう言えば昔、農家の布団は木綿の生地の破れから干し草が覗いていたような気がする。肌触りはざくざくして素肌には痛いが、よい臭いがしたことを覚えている。それが綿に変わったのは、いつのことだろう。
 これを「詰草」と呼ぶのは、乾燥させたものが布団の綿代わりや木箱の詰め物代わりに使われたからであろう。木箱を開けると、中に乾燥した牧草がいっぱい詰まっていて、その臭いを嗅ぎながらお目当ての品が顔を出すまで、ワクワクしながら次々に干し草を取り除いた記憶もどこかに残っている。先日、何十年ぶりかで古い辞書を繙(ひもと)いたら、中にいくつも四つ葉のクローバーの押し葉が挟んであった。誰かに贈るつもりでせっせと探し集め、押し葉をつくっていたものらしい。