日本語の視覚化(1)2009/02/23

 ヒトはサルから進化した動物である。群れをつくり仲間と支え合うことで種の保存を図ってきた。動物にとって食べるは生きると同義である。食べることを確実にするためには群れの仲間との意思疎通が欠かせない。仲間が発した言葉を一言半句も疎かにすることなく聴き取り、それに応え、そして記憶することで意思の疎通を図ってきた。
 日本列島における言葉の視覚化はまだ千数百年程度の歴史しかもっていない。アイヌの人々がそうであったように、列島の南西側に暮らす人々にとっても言葉とは記憶に止めなければ消え去るものであった。記憶は一代限りであり、記憶を子孫に遺すには口承に頼るしかなかった。
 そんな先人たちの暮らしぶりにも徐々に変化が現れた。大陸との交流・交易が始まり、ついに、消えない言葉を目にするときがやって来た。今から二千年ほど前と思われるその日、中国大陸で生まれ広く行われるようになった漢字が貨幣や金印に記されて初めて日本列島にもたらされたのである。しかしすぐに漢字の存在が注目されたり、その必要性が認識されたわけではない。そうなるためには交流の深化による政治や文化の発展とそのための百年単位の長い時間が必要であった。
 列島において言葉の視覚化に熱心だったのは、大陸との交流で渡来し定住することになった人々やその子孫たちであろう。その開始は金石文の出土状況から見て4世紀か5世紀頃と推測される。渡来人とその子孫たちが進めた日本語の視覚化とは、祖国の記号である漢字を使って列島の言葉を記録しようと試みることであった。この作業にもさらに百年単位の長い時間を要することになった。

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