素人のど自慢2009/02/01

 昨今のインターネットに展開される「雑学」や「蘊蓄」の賑わいぶりを目にすると、63年前に始まった「NHK素人のど自慢放送」が思い浮かぶ。当時、ラジオに自分の声が流れることは多くの庶民の夢であった。「のど自慢」にはいつも大勢の人々が殺到した。放送時間が限られているため審査や予選は避けられないものとなった。
 半世紀後、今度はインターネットが、審査も予選もなしに自分の「意見」を自由に堂々と掲載できるメディアとして登場した。掲載は公表と同義であり、大勢の人々が目にする可能性をもっている。それにモニターはテレビ画面に似ている。画面に映し出される自分の意見を読んで軽い快感を覚える人がいても不思議ではない。

パソコン用語と日常語2009/02/02

 パソコンのような新しい技術は専門家の定義を曖昧にし、マニアとアマチュアとの差だけで物事が判断される機会を生み出した。パソコンの動作に関するトラブルはインターネット上で質問するのが最も手っ取り早く、しかも費用がかからない。分からないことは何でもインターネットで質問し、親切なマニアに答えてもらう。そんな風潮が広まっている。会社などの設立がいつの間にか「立ち上げ」と呼ばれるようになったのも、パソコンが普及してその用語が日常生活に入り込んだことの結果だろう。
 しかしいくらパソコンやパソコン用語が身近になっても、日常語とパソコン用語とではその背景も歴史も比較にならないほど異なっている。掲示板の質問に大勢の人から回答が寄せられるのは嬉しいだろうが、所詮はマニアとアマチュアとの意見交換・私的な交流の場に過ぎない。仮に「ベスト回答」などと表示されていても、それらはあくまでも「回答」であって、研究者による解答や審査ではないことに留意する必要がある。

音声表現としての日本語2009/02/03

 日本語という言語の構造は、日本列島に暮らす人々が日々の生活と風土の中で築き上げたものである。漢字や仏教の伝来が政(まつりごと)の仕組みを変え信仰の対象を多様にして人々の言葉数を増やし、その言語生活を豊かにしたことは疑いない。同様に明治期の文明開化も日本語の語彙数増加に大きく貢献する出来事であった。
 しかし、例えば日常生活を示す基本的な動詞の数々は、見るも、聞くも、話すも、歩くも、走るも、狩るも、取るも、祈るも、食べるも、飲むも、眠るも、起きるもみな漢字の伝来や文字の創始を遡るはるか太古の昔から人々の音声表現の中で使われていた。こうした基本的な音声表現が既に広く列島で行われていたからこそ、それらの音声に新来の漢字を当てて記録するという新しい方法の試みも可能だったのである。

語義の多様化2009/02/04

 言葉は生身の人間同士が意思の疎通を図るための道具として生まれた。基本は、喉や口を使って音声を発し、それを耳で受け止める音声表現である。意思の疎通には音声の受容と識別、そしてそれぞれの音声表現に対する共通の理解が欠かせない。
 言葉には、模倣され多くの人々に共通に使用されることによってその利便性が増すという側面もある。人数的な拡大は親族間の絆を強め、地域的な拡大は部族間の融和や共同体の成立に大きく貢献する。
 ところが同一の音声表現が多くの人々に使われ出すと、発声、受容、識別、理解の各段階に微妙な差の生じることがある。特に地域的な拡大が図られたとき、発声や理解に一定の幅が生じるのは避けられない。共有する人々が増え、使用する地域が拡大すればするほど理解の幅も拡がってゆく。風土や風習の差がこの拡大を後押しした。語義多様化の始まりである。

くら(1)2009/02/05

 地面の上に一定の広さをもつ空間、それが「くら」に対する共通の理解だった。広さにこれといった基準はなく、非常に狭い場所も、逆にかなり広い土地も一様に「くら」であった。狩りをするところは「かりくら」と呼ばれ、鎌のように曲がった三日月形の土地は「かまくら」、辺鄙な場所は「かたくら」、谷の終点は「まつくら」といった具合に理解された。地形や地勢を表す言葉に添えてその辺り一帯を示すことができたので、特定の土地や場所を指し示すには格好の音声表現であった。
 地表に露出した巨大な岩石が醸し出す空間も「くら」として理解された。これらの岩石はしばしば「いわくら」と呼ばれ、神が座る場所に違いないと考えられた。そして神がおわす場所として「かむくら」が定められ、神をまつるための「かぐら」が奏された。神前で奏される歌舞を「かぐら」と称するのは、この「かむくら」が転じたものではないかと言われている。
 農耕文化がもたらした生産性は貧富や貴賤の差を生み出し、人々の間に新たな序列を設けた。「くら」は人々のこうした関係を表す事柄にも使われ始めた。屋内に会するとき銘々が座る場所は「くら」と呼ばれたが、その位置関係が問題になった。人々が上位と認めた席は「かみくら」と呼ばれ、「たかくら」は貴人の座る位置と受け止められた。「たかみくら」はそうした中でも最上位とされる場所であった。ここには天皇が座った。「くらゐ」はこの場所に座っていることを表し、やがて天皇の地位を示す言葉となった。

くら(2)2009/02/06

 「くら」は大切なものを収めておく空間としての場所や構造物としても理解された。神前に供える品々の置き場所として設けられた台には「おきくら」の呼称が与えられたし、書類や書物の収納場所は「ふみくら」あるいは「ふぐら」と呼ばれた。東大寺の正倉院や唐招提寺の経蔵として知られる「あぜくら」も、こうした「くら」の代表的な例である。宝物や経典の保管用に造られたこれらの「くら」は世界に誇る歴史的な建造物であり、保存性に優れた人工空間の代表格でもある。他にも、販売のために商品を並べる場所や棚が「いちくら」あるいは「いちぐら」と呼ばれたことが知られている。
 鎌倉とその周辺地域に遺る「やぐら」もこうした人工的な「くら」の一種と考えられる。但しこちらは建物ではなく、砂岩や泥岩の急斜面を横に掘り削って造った空間である。「や」はこれらの空間が造られた、この地方独特の「やと」あるいは「やつ」と呼ばれる地形を示している。
 雪国秋田県の横手地方に伝わる子どもたちの風習「かまくら」の「くら」も、人工的な空間として理解できる。大きな竈(かまど)の形に造られたこれらの雪室には祭壇が設けられ、子どもたちが中に入って遊べるだけの広い空間が備わっている。「かま」は竈を表すと見るのが自然だろう。

くら(3)2009/02/08

 先人は、自分たちの身体と直に接するところにも平面や空間としての「くら」を見ていた。足が接してできる平面は「あぐら」、両足のつけ根が生み出す空間は「またぐら」と考えた。足に関係する平面としての「あぐら」にはいくつかの態様があることも知っていた。真っ直ぐに立つためには両足の裏と水平に接する地面や床などが欠かせないし、腰掛けるためには臀部を支えてくれる新たな平面が必要である。こうして、より高いところに手を伸ばしたり遠くを眺めたりするために設ける足場も、屋内や屋外で一時的に腰掛けるための床几も「あぐら」と呼ばれることになった。
 もうひとつの「あぐら」は床や地面に長時間座り込む方法に対して与えられた。楽な姿勢で座り続けるには両膝を左右に開き、両足を組む方法が適している。そのとき必要になるのが尻から足の先までを水平に保ってくれる安定した平面である。そこでこれも「あぐら」と呼ばれるようになった。

くら(4)2009/02/09

 身体中の胸と呼ばれる部位に接した空間も「くら」であった。こちらは「むなぐら」と呼ばれた。俗に「むなぐらをつかむ」といった表現がなされるためか、辞書にはこれを意識して「着物を着たとき、左右の襟の重なり合うあたり」とか「着物の左右の襟の重なり合う辺りの部分」など妙に着物の襟にこだわった説明を見かける。
 確かに無の空間だけでは「つかむ」ことはできない。着衣のような物の存在が必要だ。しかし「むなぐら」は胸部に接する空間全体を指す総称的な表現である。特定の物体やその部位だけを示す表現ではない。「むなぐらをつかむ」に即して言うなら「着衣の胸の辺り」か「胸の辺りの着衣」といった鷹揚な位置の理解が適している。

くら(5)2009/02/10

 古代の人々が認識した「くら」は人間の行住坐臥に限らなかった。とりわけ鳥類に寄せる思いは深かったと想像される。例えば「とぐら」は野鳥が巣立つために必要な場所や空間を指し示す表現であり、巣の意味に使われていた。この表現は後に人為的な鳥小屋をも含めて使われたことが知られている。万葉集182には、手作りの「とぐら」によって飼育した雁(かり)が成鳥となって巣立つときの思いが詠われている。
 家へ帰ることを時に「ねぐらへ帰る」などと言うが、この「ねぐら」という表現も元を正せば野鳥などの眠る場所を指すものであった。列島の先人たちが身辺のどんな事柄に関心を寄せ、それを理解し、伝えようとしていたかが偲ばれよう。
 なお馬や牛などの背につける鞍についても人間の知恵から生まれたものであり、尻を載せるために造られ一定の広さをもっている点など「くら」に通じる特徴を備えている。但しなぜ馬や牛との複合が起こらなかったのか、この点が不明である。

伊予柑の謎(1)2009/02/11

 辞書は便利だが知りたいことがいつも載っているわけではない。インターネットも同様である。それにインターネットの場合は何よりも発信者の吟味が欠かせない。公的な機関から発信されたものでなければ、参考にすることさえ危ぶまれる。
 スーパーの果物売場や八百屋の店先に伊予柑を見かける季節になった。有田や三ヶ日など普通のミカンに比べると姿がかなり大きいし、何より果皮の橙色が赤みを帯びて艶があり、見るからに高級な果物といった印象を受ける。値段もそこそこするはずだ。庶民が一度に2つも3つも平気で口にできる値段ではないと思う。そんな高級柑橘の伊予柑だが、このところ人気は下がりっぱなしで消費低迷の憂き身にあるという。
 なぜ人気が落ちたのだろうか。一説に果皮の剥きにくさがあるとも聞くが、果たしてそれだけだろうか。実は伊予柑については以前から気になることがあった。その第一は味に当たり外れが大きいことである。しかも外れかどうかは果皮を剥いて中の房の様子を見ないと判らない。値段が少しやすいと思って買うと決まったように房の先が白くなって味の抜けたものが混じっていて、騙された気分になる。