◎季節の言葉 初花2010/03/25

 一般語としての初花には幾つもの意味がある。まず、ある植物が初めて咲かせた花の意。次に、その季節の先頭を切って咲く花。そして、花が広く桜の意として用いられるようになると、その年最初に咲いた桜の花もこれに加わった。ほかにも花を娘に擬(なぞら)えて初潮に喩えたり、初潮をみた女子の意に用いることもある。


 俳句の季題としては桜前線の北上にともなって各地で開かれる3~4月の句会の格好のテーマと云えよう。だが近年、河津桜を始めとして多くの早咲きの桜が知られるようになり、その報道合戦も盛んになって些か初花のもつ初々しい印象は後退した感がある。加えてこの語に相応しいのはやはりソメイヨシノに代表されるような薄紅色がほんのりと感じられる可憐な白い花びらの桜であって、決して寒緋桜系の緋色の花びらではない。


 また言葉のもつ印象として一気に咲き揃ったさまよりも、ほんの数輪があちらの枝こちらの枝と控えめに咲き出す頃の様子が似合っている。次の句はこうした初花の頃に早くも始まる観光地の雑踏を詠んだものである。陽気がよくなり、桜よりも桜の便りを待ちかねた人々が一気に街へと繰り出した様子が表現されている。

  はつ花や大仏みちの人通り 久保田万太郎

◆青鷺(2)2010/03/24

 我々の姿が美しいことは世界遺産にも登録されている彼の国宝姫路城が白鷺城とも呼ばれることを思い起こしていただければお分かりでしょう。そそっかしい人の中には思いがけずアオサギを見て「鶴を見た」などと自慢する者もいるほどです。アオサギとは云いますが、背中は青みがかった灰色を帯び後頭部が黒く、何より姿の大きいことが特徴です。これがナベヅル君と勘違いされる原因になっています。もし似た姿を目にしたら後頭部から伸びる自慢の細長い2本の毛の有無、鳴くかどうかをまず確かめてください。我々は滅多に鳴きません。


 青鷺や白鷺がなぜ夏の季題なのか、その理由はよく分かりません。冬の間、寒さを避けて南方へ渡るものもいますが多くの仲間は日本列島に留まって年を越します。そして桜の花の散る頃から6月にかけて高い木の上に巣をつくり雛を育てます。つまり初夏に番(つがい)を組むからだろうという人もいれば、暑さが増すころ水田や水辺に立って小魚や蛙や蟹などを追い求める姿が目に涼しいからだと説明する人もいます。人間というのはつくづく自分中心の身勝手な動物だと思わずにはいられません。

 次の句は昭和20年代後半に始まった秋田県西部・男鹿半島基部の大汽水湖八郎潟の干拓事業を告発したものです。多くの人が「食糧難を解消してくれる夢の大事業」と期待に胸弾ませていた時代に、作者は別の覚めた目で湖や干潟に暮らす生き物たちを見ていたのです。青鷺をできたての新田に追いやった日本人は果たして、夢や幸せを手にしたと云えるでしょうか。今や作者の名を知る人さえ希でしょう。(了)

  亡びゆく潟や青鷺田に逐はれ 児玉小秋

◆青鷺(1)2010/03/23

 先日、佐渡トキ保護センターの野生復帰ステーションにある順化ケージと呼ばれる訓練施設内に移されたばかりのトキが夜間、正体不明の小動物に襲われ大半が死ぬという悲しい事件が起こりました。襲った側の動物から見れば、わざわざ自分のために出入り自由の檻を設けてくれ、そこに2月4日に5羽、2月19日に6羽と計11羽も餌を入れてくれたようなものです。目の前にこんな魅力的なものを用意され、襲った側はきっといても立ってもいられなくなったのでしょう。それが野生動物の本能であり、弱肉強食世界の現実なのです。もしトキの世界にマスメディアがあれば「人間をトキの過失致死罪や過失傷害罪で訴えろ」と息巻くことでしょう。

 環境省とかトキ保護センターとか自然保護官などと云っても、それらの言葉になにがしかの価値や有難味を感じるのは人間界だけの話です。自然界には学歴も学力も資格も肩書きも通用することはありません。そんなもので野生生物の命を守れるなどと考えるのは誤りです。人間がいかに思い上がった動物であるか、いかに愚かな生き物であるかを証明するだけです。このことを深く自覚し十分肝に銘じて自戒に努めなければ、こうした犠牲を防ぐことは今後も難しいでしょう。まず専門家を学歴や学力で一律に判断することの愚を改める必要があります。


 前置きが長くなりました。今日紹介するサギは、このトキと同じくコウノトリの仲間です。そのため姿や形に似通った点がいくつもあります。しかし幸か不幸か、今のところ特別天然記念物や国際保護鳥に指定されるほどの希少性はないようです。保護センターに捕獲されたり窮屈な檻に閉じこめられたりする憂き目にも遭わず、勝手気ままに暮らしています。(つづく)

◎季節の言葉 春の空2010/03/22

 例えば足袋や靴下を履かなくても足が冷たくならないとか、上着を羽織らずに庭に出ても寒さを感じないとか、そんな日が続くようになると急に木々が芽吹き始める。気が付くと野も山も春の花が競って咲き始めている。見上げる空は晴れてはいるのだが、どことなくどんよりとよどんでいる。散歩で尾根に出ても容易に遠目は利かない。春の空はそんな時期の空気や大気の状態を表す言葉である。

 昨日の日本列島は各地に黄砂が飛来して、午前中はどこもかしこも白く濁った空ばかりだったとニュースで知った。確かに昼過ぎまで強い南風が吹き、峯の木々は激しく揺れていた。空気も全体に白く濁って見えた。しかしそれらの全てが黄砂だったのか、それとも潮風も混じっていたのか、あるいは南風だから全部が潮風だったのか、今となっては詳しいことは分からない。

 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/18/4189252 黄砂と黄沙(1)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/19/4190677 黄砂と黄沙(2)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/20/4191722 黄砂と黄沙(3)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/22/4197196 黄砂と黄沙(4)

 今日は久しぶりに富士山が望めると聞いて尾根まで登ってみた。そして新しい富士見の場所を見つけた。春の空に浮かぶ富士山だから冬や秋に見るような明確な輪郭は期待できない。だが、どこかのんびりとして憎めない。


  雪まとふ富士の高嶺は春の空 まさと

○春の嵐--大銀杏行年一千歳2010/03/12

 昨日10日は65年前に東京大空襲があった日です。前夜の関東地方は季節外れの低気圧の通過で、所によっては雪も混じる嵐の晩となりました。俳句では音の関係で春の嵐のことを春嵐(はるあらし)、春荒れ、春疾風(はるはやて)などと呼ぶようですが、一般には春先に吹く強い南風の意です。多くは寒冷前線の通過にともなって吹くので雨の混じることがあり、気温が低いと雨が雹(ひょう)に変わることも少なくありません。そのためすっかり春めいた後にこれに見舞われると農作物に思わぬ被害をもたらします。

 ところで神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮ではこの嵐によって正面石段の左手にそびえる大銀杏が根元から倒れたとニュースになっていました。原因を前夜に舞った雪の重みのせいだとか、冠雪害などと報じるものもあったと聞きますが、こんな出鱈目を誰が言い出したものか不思議でなりません。改めて映像を調べてみてもどこにも雪は映っていません。一時的に白いものが雨に混じったことまでは否定しませんし、それが通常の雨よりも大銀杏には重く感じられたであろうことも否定はしませんが、そんなことを原因に挙げるようでは樹木の本当の専門家にはなれません。

 樹齢千年と云われる超人的な老木ですから、ここまで生きてきたことの方がむしろ不思議なくらいです。地面の片側を石段に覆われ、決して住みやすい場所ではなかったでしょう。すでに寿命は尽きかけていて21世紀に入ってからというもの、いつ朽ち果てるかは時間の問題でした。それを早めたのが昨秋10月に日本列島を襲った台風18号の暴風雨です。

 八幡宮の石段を登り社殿が近づいたら振り返ってみてください。段葛の向こうに鳥居が2つ見え、その先に材木座の海岸の広がっている様子がよく分かります。昔は段葛の辺りまで入江になっていたものが徐々に湿地へと変わりつつあったとき、たまたま幕府が開かれることになって埋立てなどの整備が行われたのです。今でも大銀杏から海岸までは2キロメートルかそこらの距離しかありません。しかもその間を遮るものが何もないので強い海風が吹けば、たちまち風に乗って海水が飛んできます。

 台風や大風の後、決まって境内の樹木の海側が茶色に変わってしまうのは、この潮風のためです。夏のうちなら若くて元気な樹木であれば新芽を吹くことも可能ですが、昨年は悪いことに黄葉との中間の時期でした。大銀杏は近年こうした海風によってすっかり根の力を弱らせ、特に昨秋以降は根の末端部分で枯死が進行していたと見るべきです。

 この点を八幡宮の関係者も市の観光協会などの関係者も見落としています。歴史遺産などと吹聴する前に、もっと生き証人としての大銀杏を大事にし、その悲鳴にも耳を傾けるべきでした。それでも倒れた時間帯が昼間でも早朝でもなく、それより早いまだ暗いうちだったことに安堵しています。お陰で人的な被害だけは出さずにすみました。不幸中の幸いと云うべきです。

 実朝が暗殺された際の生き証人とも云われる樹木ですが、実際の暗殺場所については疑問や異論もありますからここでは立ち入りません。それよりも実朝の事件から八百年もの長きにわたり生き続けてきたものを何の手立ても施すことなくむざむざ失ってしまったことに深い悲しみを覚えます。「武家の都」鎌倉は大切なものをまた一つ失ってしまいました。これだけは紛れもない事実です。


 写真は、この同じ晩に同じくさんざんな目に遭った玉縄桜の前日の姿です。花の命が一般の桜より長く1ヵ月も咲き続けると云われる品種ですが、満開に入っていたので春嵐の前にはひとたまりもなかったようです。(3月11日記)

◎練馬野にも空襲があった2010/03/05

 また今年も3月10日がやって来る。広島の人が8月6日を忘れないように、長崎の人が8月9日を忘れないように、東京下町の地獄のような火の海を生き延びた人は3月10日を忘れない。しかし忘れたくなくても人の記憶は生命が尽きれば滅んでしまう。65年という長い歳月には抗えない。一人また一人とその記憶は消えてゆく。ここに人の記憶と記録されたものとの大きな差がある。


 練馬野とは武蔵野の一部、今の東京都練馬区から埼玉県南部辺りに広がる起伏緩やかな台地の称である。「白梅日記」で紹介した中島よしをの句は、アジア太平洋戦争後もまだ間もない頃につくられた。その練馬野が、未開の雑木林と所々に混じる開墾された畑と粗末な藁屋根の風景から次第に雑木林が減って、畑の脇には勤労者の新しい住宅が建ち並ぶ風景へと変わり始めた頃に詠まれた作品であろう。

 今年2010年は昭和元年(1926)から数えると85年目に当たる。昭和への改元は12月25日に行われたため、実際の昭和元年は7日しかない。12月25日は大正最後の日でもある。いずれにしても1926年に生まれた人はアジア太平洋戦争が終った1945年(昭和20)に20歳を迎え、その後も無事に生きながらえていれば今年で満85歳となる。この話はまさにこれに当てはまる一人の女性から直接聞いたものである。(つづく)

◆紅梅と白梅 22010/02/24

 東京の西部には吉野梅郷で知られる青梅市がある。青梅市観光協会は紅白合わせて2万5千本もの梅が花をつける梅まつりの案内にはことのほか力を入れていて、関連のホームページも充実している。中でも便利なのが「ウメ図鑑」のページである。花の色別に紅白だけでなく淡紅や濃紅からも探せるし、さらに一重と八重の区別もあって、全部で61品種の特徴を写真入りで解説している。観梅の予習・復習には格好の教材と云えよう。

 ⇒ http://www.omekanko.gr.jp/ume/zukan.htm 青梅市観光協会

 このページにはほかにも花の色や形・大きさなどの用語や色名についての解説があって観梅用としても梅の品種を知る上でも実に有用だが、もうひとつ注目したいのが「「梅の分類と特徴」を表形式で解説したページである。この表では梅の種類をまず花梅と実梅に分けている。後者は果実の収穫を目的とするものだから花より実ということで、「利用性の高い良質な実をつける品種を、果樹として分類している」といった簡略な説明しか行っていない。


 だが前者の花梅については野梅系、紅梅系、豊後系の3種に大別し、さらに詳しい細分も行っている。それによると花梅は、アンズとの雑種性の強いものがまず豊後系として分類され、残ったものが野梅系か紅梅系のいずれかに分けられる。この野梅系・紅梅系に分ける際の基準あるいは視点が、前回紹介した白梅・紅梅の問題と深く関わっている。(つづく)

  紅梅のお手玉六つ七つ八つ まさと

○春の山道2010/02/22

 久しぶりに遠出をした。といってもドライブではない。いつもの散歩道を途中で右にも左にも折れずにどんどん先へ先へと進んで、尾根を一周して戻ったまでの話である。3時間余りの道のりだった。途中には寂しいところもないわけではない。友人を誘って賑やかに出かけた。


  菜の花が咲いて人待つ谷の道 まさと

 出かけるたびに何か発見がある。それも大抵は乱開発の現場に遭遇するといった不運なものが多い。そういう嫌な目に遭うことが重なると、どうしてもその方角へは足が向かなくなる。開発を許可したり見て見ぬふりを続ける為政者に腹が立ってくる。だがそんなことを言っているといずれ散歩もできなくなるとか、年寄りの我が儘だなどと陰口をたたかれるのが相場だ。

 幸い今回の遠出では、そこまでの痛ましい開発現場には遭遇しなかった。その代り遠目に見える家々がどこか草臥れているようにも感じられた。いずれも高度成長期に誕生した新興の住宅地である。住人の年齢が確実に高くなってきた証拠であろう。


 それでも写真の木々のように、地面に広く深く根を張り、踏まれても踏まれても、たとえ一部は伐られようともしぶとく生き続けて欲しいものだ。そうすれば山道を下った先に、春の訪れを告げる菜の花が咲いていることもあろう。

○待ちに待った青空そして夕焼け2010/02/18

初冬から彼岸過ぎまでの四ヶ月余りをたった一日で体験したような、そんなめまぐるしく空模様の変わる一日だった。

 まず目を覚ました時、窓の外には雪が舞っていた。ところが、もう一眠りして目を覚ますと、一体どれくらい降ったのかも分からないほどに溶けてしまっていた。あの雪はもしかしたら夢の中だったのではと思うほどだった。


 夕方、散歩に出た。待ちに待った青空が広がっていた。いつもの寺に着いて見上げると、上空を飛行機が通過して行った。やっぱり青空はいい。


 いつものように石段を登り、庫裏、本堂、阿弥陀堂、釈迦堂と境内を順々に一巡りした。山の中腹まで来た時、峯の枯れ木に止まっている大きな鷹の姿を見つけた。日はだいぶ西の空に傾いていた。


 坂を下って庫裏の前に戻ると、ちょうど松の木の向こうに夕日が沈みかけていた。急いでシャッターに収め、境内を後にした。

  らちもなき春ゆふぐれの古刹出づ 下村槐太


 家路につくためもう一度山道を登ると、西の空に沈みかけた夕日の残光が厚い雲の向こうからさかんに「さようなら」と手を振っていた。明日の空模様が気になる。週末は気のあった友だちと久しぶりのハイキングを予定している。晴れて暖かくなるよう祈って、家路を急いだ。


◎季節の言葉 残る寒さ・余寒2010/02/14

 寒が明け春が立ってもう十日も過ぎたというのに一向に春めいてこない。いや春めいたと思ったら次の日からまた寒の底に突き落とされたように寒い日が続く。あれほど吹いた南風もどこかへ消えて、シベリア下ろしの冷たい北西の風ばかりが吹いている。一度春暖を感じた後の寒さは特に堪える。文字を打つ手が凍えるように冷たい。


 今年は寒暖の差が激しいせいか訃報が多い。すでに3人を見送った。つきあいの程度は様々だが中には子ども時代の思い出に残る数少ない遠縁の小父も含まれる。遠縁にあたることは最近になって知った。義理の叔父の姉にあたる人の連れ合いだから、あるいは遠縁よりもっと遠い関係かも知れぬ。だが、何時も手ぬぐいで頬被りをして忙しく働く姿は鮮明である。精米所に勤務し、時には庭先にもやって来て移動精米をしてくれた。ご冥福を祈りたい。

  忌の人のおもかげ小さく余寒なほ 恩田秀子