語義の視覚化2009/02/25

 漢字による言葉の視覚化が普及すると、先人たちの中に漢字特有の画数の多さを煩わしく思ったり、画数の多さが筆記効率を妨げていると感じる者が現れた。これらの人々は、漢字による筆記効率を追求するうちに漢字をくずして記す草体などを多用したり、一部の点画だけを記す省略法の常用を思いついた。そして、ついには音声代替記号に特化した平仮名や片仮名を創りあげ、定着させることに成功した。また地勢や文化の差を埋めるための新しい漢字づくりに挑戦する者も現れ、国字と呼ばれる和製漢字を案出した。
 数世紀に及ぶ長い時間を費やして視覚化を達成した日本語は、1音を1字で代替する単純な音声代替機能から個々の言葉の内容をも示す象徴的な機能まで、元の音声表現とは大きく異なる多様な機能を備えた記号体系として今日に至っている。その結果、目の働きを表す言葉「みる」は「ミル」と書き記すこともできるし、漢字がもつ字義を活かして「見る」や「視る」や「観る」と書き分けることも可能になった。さらに目の働きの延長線上にある行為についても「みる」と呼んで、必要なら「看る」や「診る」と書き分けた。
 語義を含めた視覚化は日本語の大きな特徴であり、記号体系の複雑さは豊かな表現性を保証する原動力でもある。が、それ故に一方では幕末以来の執拗な漢字廃止論や後のローマ字化論の攻撃の的にもされてきた。字体の問題や音訓の問題など漢字をめぐる行政の関与には気になるものが少なくない。特に歴史的仮名遣いを廃し現代仮名遣いを標準とした戦後の仮名遣い政策の影響は懸念される。過去から現在に至る文化の象徴としての言語の連続性が所々この政策によって遮断されている。民族の歴史という長い時間の中で眺めれば、日本語の視覚化はまだまだ試行の時代にあるのかも知れない。

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