新社会人に贈る言葉05 ― 2009/04/08
《蒔かぬ種は生えぬ》
新人研修は順調に進んでいますか。退屈で退屈で外の様子ばかりが気になる人、専ら居眠りに徹する人、面白いと感じて自分でも勉強を始めた人など、きっといろいろ差が出始めたことでしょう。勤め先によっては先に配属を決め、仕事と研修を並行させるところもあるようです。いずれにしても他人は他人、自分は自分です。意味のない研修だと勝手に決めないで居眠りをする前に、本当にその判断でよいかもう一度確かめるだけの余裕をもちましょう。
この言葉は普通、努力しないで結果だけ期待する人を諫めるときに使われます。企業も役所も、研修をしないで新人にただ働け働けと言うだけでは「種も蒔かずにまあ」と批判されかねません。社員や職員から「そんなこと教わってません」と言われても困るしと考えて研修を行う弱腰の管理者も中にはいるかも知れません。研修の内容も目的も時間数も期間も、職場や会社によって様々です。余所は余所、他社は他社でよいのです。
皆さんが退屈なのは蒔かれたタネが悪いか、もしタネが悪くなければ畑(皆さん)が悪いのです。タネを蒔く前に畑をよく耕す必要があります。タネに合わせて肥料をやったり、堆肥を入れたり、時には土壌の消毒も必要でしょう。水捌(は)けもよくしなければなりません。それが本来の研修です。
そして忘れてならないのは、研修は目的ではないということです。研修でいくらよい成績を収めても、それが営業や商品開発などに結びつかなければ何にもなりません。人生の中で仕事もしないで、単に研修を受けるだけで給料がもらえる機会というのはそう何度もありません。他人事でなく、自分の将来の問題と思ってじっくり取り組みましょう。特技の夢に向かって。
新人研修は順調に進んでいますか。退屈で退屈で外の様子ばかりが気になる人、専ら居眠りに徹する人、面白いと感じて自分でも勉強を始めた人など、きっといろいろ差が出始めたことでしょう。勤め先によっては先に配属を決め、仕事と研修を並行させるところもあるようです。いずれにしても他人は他人、自分は自分です。意味のない研修だと勝手に決めないで居眠りをする前に、本当にその判断でよいかもう一度確かめるだけの余裕をもちましょう。
この言葉は普通、努力しないで結果だけ期待する人を諫めるときに使われます。企業も役所も、研修をしないで新人にただ働け働けと言うだけでは「種も蒔かずにまあ」と批判されかねません。社員や職員から「そんなこと教わってません」と言われても困るしと考えて研修を行う弱腰の管理者も中にはいるかも知れません。研修の内容も目的も時間数も期間も、職場や会社によって様々です。余所は余所、他社は他社でよいのです。
皆さんが退屈なのは蒔かれたタネが悪いか、もしタネが悪くなければ畑(皆さん)が悪いのです。タネを蒔く前に畑をよく耕す必要があります。タネに合わせて肥料をやったり、堆肥を入れたり、時には土壌の消毒も必要でしょう。水捌(は)けもよくしなければなりません。それが本来の研修です。
そして忘れてならないのは、研修は目的ではないということです。研修でいくらよい成績を収めても、それが営業や商品開発などに結びつかなければ何にもなりません。人生の中で仕事もしないで、単に研修を受けるだけで給料がもらえる機会というのはそう何度もありません。他人事でなく、自分の将来の問題と思ってじっくり取り組みましょう。特技の夢に向かって。
春さらば(3) ― 2009/04/08

夏も冬も朝も昼もない理由は、万葉集ではこれらの「さらば」がいずれも時季が移りめぐってくる意に使われていることと関係ありそうです。例えば夕方になれば日が暮れます。日が暮れれば、愛し合う男女は闇に紛れて密会することができます。しかし朝が来れば、明るくなる前に別れなければなりません。できれば時間が止まって欲しいところなのに、そうした思いを無視して夜は白々と明けてゆきます。それが「朝さらば」の現実です。
仕事に追われるだろう「昼さらば」についても、また暑くムシムシするだろう「夏さらば」についても、凍えるような厳しい寒さが予想される「冬さらば」についても、改めて説明する必要はないでしょう。これに対して秋はどうでしょうか。現代の人々は、その音が「飽き」に通じるからでしょうか、秋という季節には飽きっぽいとか変わりやすいという印象をもつようです。しかし万葉歌人にとって、秋の到来はもっと複雑なものでした。
次は大伴家持が妻の死を悼んで詠ったものです。その先に冬が控えているだけに、いっそうの切なさが伝わってきます。ドラマにも登場した梅の花の一首も並べておきます。古代の人々がそれぞれの季節に寄せた思いの一例として味わってみて下さい。
秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし やどのなでしこ 咲きにけるかも
春さらば 逢はむと思ひし 梅の花 今日の遊びに 相見つるかも
仕事に追われるだろう「昼さらば」についても、また暑くムシムシするだろう「夏さらば」についても、凍えるような厳しい寒さが予想される「冬さらば」についても、改めて説明する必要はないでしょう。これに対して秋はどうでしょうか。現代の人々は、その音が「飽き」に通じるからでしょうか、秋という季節には飽きっぽいとか変わりやすいという印象をもつようです。しかし万葉歌人にとって、秋の到来はもっと複雑なものでした。
次は大伴家持が妻の死を悼んで詠ったものです。その先に冬が控えているだけに、いっそうの切なさが伝わってきます。ドラマにも登場した梅の花の一首も並べておきます。古代の人々がそれぞれの季節に寄せた思いの一例として味わってみて下さい。
秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし やどのなでしこ 咲きにけるかも
春さらば 逢はむと思ひし 梅の花 今日の遊びに 相見つるかも
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