愛人と手紙2009/04/12

春のモミジ
 日中国交正常化(1972年9月)から10年ほど経った頃、中国から一人の留学生がやって来た。北京大学を卒業した相当なエリートという評判であった。早速、研究室の有志が呼びかけ盛大な歓迎会が開かれた。出席者が揃ったところで、眼鏡をかけた長身の見るからに秀才といった感じの男性が司会者に促されるように立ち上がり、流暢な日本語で挨拶した。男性は自己紹介が終わると、自分が座っていた席の方を見て手招きし、若くて実にきれいな女性を呼び寄せた。そして「皆さん、ぼくの愛人です。どうぞよろしくお願いします。」と頭を下げた。「愛人」という言葉が発せられた瞬間、会場にはどよめきが起こり「さすがはエリート」「やっぱり中国人は大物だね」などとあちこちで急にお喋りが始まった。留学生が「愛人」の意味に気づき、日本の友人たちに夫人を紹介し直したのはそれから1ヵ月ほど後のことである。
 次は北京を訪れた日本人旅行客の話である。絵はがきを買い込み、友人にせっせと旅先から便りを書いた。さて切手を貼って投函しようと、路上で出会った親切そうな女性に郵便局を教えてもらうつもりで一枚の紙片を取り出し楷書で「手紙」と書いて渡した。ついでに絵はがきも見せた。気の毒そうな顔をして頷いた中国人が手提げ袋の中から取り出したのは粗末な鼻紙(ティッシュペーパー)だった。中国も日本も漢字の国である。発音の聴き取りは無理としても共通する漢字なら目で見て意味が伝わるだろう、と考える人は今も少なくない。