初夏に向かって03 ― 2009/04/18
メディアの「まやかし」 ― 2009/04/18
最近、新聞でもラジオでもテレビでも「警察(検察)への取材でわかった・わかりました」という表現を目にしたり耳にするようになりました。「警察(検察)など」と「など」の付くこともあります。これが何を意味するのか、単に記者クラブでの発表や定例会見を記事にしただけなのか、その後で担当者や担当の部署に改めて取材もしたという意味なのか、それとも新聞社や放送局として異なる角度・視点から裏付け調査を行い警察(検察)の発表が誤っていない・妥当な内容であると確信をもった上での記事であり放送だということなのか、読者・視聴者には全く判断することができません。
しかし観る人・聞く人に従来よりはメディアもそれなりの努力をしているようだ、と思わせることには役立っています。まさに報ずる側の思う壺です。小田急線車内での「強制わいせつ事件」に対する最高裁の無罪判決、「週刊新潮」の朝日新聞神戸支局「襲撃事件手記」誤報問題、西松建設をめぐる一連の報道ぶりなど、最近のマスコミにはメディアとしての矜持に欠ける傲慢さとその裏側にある自信のなさが感じられます。
どんなに単純そうな事件でも犯罪でも、警察や検察の発表を鵜呑みにすることなく、少なくとも一度は現場に足を運んで、発表された内容との間に矛盾や違和感がないか確かめる必要があります。それがメディアの責任であり、マスコミ企業としての最低限の努力でしょう。今年も多くの新入記者が職場に配属されました。世代交代による報道品質の劣化を避けるためには部長やデスクが先頭に立って、現場を見ていない原稿は迷わずはねつけるか破り捨ててしまうことです。果たして、今それだけの気概をもって仕事に臨んでいるでしょうか。
しかし観る人・聞く人に従来よりはメディアもそれなりの努力をしているようだ、と思わせることには役立っています。まさに報ずる側の思う壺です。小田急線車内での「強制わいせつ事件」に対する最高裁の無罪判決、「週刊新潮」の朝日新聞神戸支局「襲撃事件手記」誤報問題、西松建設をめぐる一連の報道ぶりなど、最近のマスコミにはメディアとしての矜持に欠ける傲慢さとその裏側にある自信のなさが感じられます。
どんなに単純そうな事件でも犯罪でも、警察や検察の発表を鵜呑みにすることなく、少なくとも一度は現場に足を運んで、発表された内容との間に矛盾や違和感がないか確かめる必要があります。それがメディアの責任であり、マスコミ企業としての最低限の努力でしょう。今年も多くの新入記者が職場に配属されました。世代交代による報道品質の劣化を避けるためには部長やデスクが先頭に立って、現場を見ていない原稿は迷わずはねつけるか破り捨ててしまうことです。果たして、今それだけの気概をもって仕事に臨んでいるでしょうか。
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