春惜しむ--見ゆる限り2009/06/02

見ゆる限りの春惜しむ
  二階から見ゆる限りの春惜しむ 市川得佳

 療養中の句ではないかと想像します。高度経済成長前の日本は多くの人々が着るものにも食べるものにも事欠く日々を送っていました。肺結核はそんな時代を象徴する、不衛生と栄養失調を背景にした伝染性の恐ろしい病でした。ストレプトマイシンという特効薬はあっても、その費用を工面できる人は限られていました。空気だけは澄んだ郊外の僻遠の地に建てられた療養所に移され、そこで不帰の客となった若者も少なくありません。「見ゆる限りの」7文字に込められたのは、まさに過ぎ去ろうとしている青春の短さとそれを為す術もなく過ごしてしまったことへの無念さ、そして諦めの境地のようにも感じられます。再び巡ってくるか分からない春がいま終わろうとしているのです。飽食の時代に生きる若者には想像だにできない、病魔との闘いに暮れる若者の、しかしどこかに澄んだものを感じる佳句と言えるでしょう。

■風待草--新釈国語2009/06/02

 セイジ科ギイン属の四~六年生動物。日本原産。普段は東京永田町界隈に生息し、血税からつくられた歳費と呼ばれる主食を得て議員活動を行うほか、週末には議員パスを使って列車や飛行機に乗り、一時的に選挙区と呼ばれる場所に移動して風向きなどを観察して暮らす。自分からは決して汗を流さず、世の中の有為転変に期待する性向が見られる。そのため流行や変化には人一倍敏感で、その先回りをすることで常に追い風を受ける位置に立とうとする姿勢が強く、これが宵待草を彷彿とさせるとも、宵を待っても滅多に声が掛からないので風を待つしかないのだとも評され、命名の由来にもなっている。その政治家が小物であることの代名詞とされ、与野党を問わず政治家の度量を示す言葉として用いることができる。

◎アジサイの季節(予告)2009/06/02

雨が降ればいいのにな…。
 六月の声を聞くとアジサイの花が見たくなります。栽培は至って簡単です。湿気さえあれば挿し木で容易に増やすことができます。しかし好みの色に咲かせるのは難しく、これには別の技術も必要なようです。
 予告でお届けするのは昨年写したものです。今年はどんな色を見せてくれるでしょうか。雨は決して好きではありませんが、この花を見るときだけは雨が欲しくなります。天候と花の機嫌を伺いながら、中旬まで不定期で連載の予定です。ご期待ください。

  紫陽花や きのふの誠 けふの嘘  子規