特集・アジサイの季節(1)2009/06/08

 昔から「紫陽花はやっぱり雨の花」と言いますが、傘を差し肩を濡らして、足下を気にしながらの見物も辛いものです。思い出づくりに忙しい恋人同士ならともかく、人生はなるべく快適にと考える現役世代には無理な風景かも知れません。。
 とは言うものの、昨日ほどに晴れ上がってしまうと、六月の花・紫陽花も形無しです。陸に上がった河童のように干上がり、花びらが乾いて風情が損なわれてしまいます。今日はそんな乾いた晴天の紫陽花しかご覧になっていない皆さんのために、うっすらと霧に濡れる、今朝の純真無垢な花々をご覧に入れましょう。夕方まで一時間置きに、計10枚の予定です。

特集・アジサイの季節(2)2009/06/08

 先日からお届けしている紫陽花はすべて人間が庭などに植えたものです。皆さんが寺院や公園でご覧になるのも、そうして植えられた鑑賞用です。生命力が強いので、小川の土手には時に流れ着いて活着したものも見かけます。が、それとても所詮は人間が栽培していたものです。剪定したり折れた枝が捨てられたものでしょう。次は11時半頃の予定です。

特集・アジサイの季節(3)2009/06/08

 英語では紫陽花のことを hydrangea(ハイドレィンジア)と言います。学名にもなっています。語幹の hydro(ハイドロ)は水の意です。そのせいか紫陽花には水色系や青い色が多いようです。
 学名と言えば、江戸時代後期に長崎オランダ商館員として来日したドイツ人医師シーボルトの名前をよく耳にします。愛妾とされる「お滝さん」をめぐる「オタクサ」の話ですが、真偽のほどはきちんとした検証が必要でしょう。
 そんな「お滝さん」のイメージとは水色でしょうか、青でしょうか、それとも写真のような薄い赤でしょうか。まさか紫では…。いずれにしても、もう180年も前の話です。

特集・アジサイの季節(4)2009/06/08

 色の好みというのは難しいものです。昔は贈り物にネクタイを選ぶとかマフラーを選ぶとかいろいろありました。今と違って、あまりブランド品というようなことも聞かなかったので、何より贈る人のセンスが試されました。
 もちろん相手の好みを知ることが先決ですが、それも単に青色系だとか薄いピンク系だとか聞いただけでは、いざ選ぶ段になると迷うものです。目の前にある品々、色の違いやデザインの違いを見ると、どうしても考え込んでしまいます。
 薄いピンク系なら青や水色系ほどの差はないと勝手に考えていました。しかし、こうして目の前の紫陽花の薄桃色を別の場所で撮影したさきほどの紫陽花の薄い赤色と比べてみると、ずいぶん違うものだと感じます。もしこれが贈り物だったら、贈られた方は何と思うことでしょう。

特集・アジサイの季節(5)2009/06/08

 紫陽花は半分草のような低木です。成長が早いので手入れを怠るとすぐに背が高くなります。花は木のてっぺんに付きます。手入れが悪いと、この写真のように花を下から見上げることになります。こんな姿勢で一時間余も紫陽花を見て回ると首筋が凝ってしまいます。
 もう今となっては昔話でしょう。ある著名なお寺の坊さんが戒律も忘れ修行も忘れて、毎日夕方になると近隣の飲食店などに出没するようになりました。お寺の財政は降って湧いたような拝観料収入のおかげで大変潤っていました。お坊さんはどこへ行っても人気者でした。そのため、ついつい気が大きくなり、いつの間にか自分の財布とお寺の財布の区別が付かなくなってしまいました。
 そして浄罪の源が紫陽花にあることも忘れて美食に凝り、女色に耽るようになりました。人は正直なもので、そうなると紫陽花の手入れよりも「お滝さん」の世話に多くの時間を割き、神経を使うようになってしまいました。毎年のように寺を訪れ紫陽花の花を楽しみに見て回った参拝客が帰宅後ひどく首筋が凝ると感じたのも、ちょうど同じ頃のことでした。
 新聞の地方版の隅に、この坊さんの不始末が掲載されたのは、さらに何年か経ってからのことです。この間、多くの見物客が紫陽花を見に行っては、この頃は首筋が凝って仕方ないと感じていたそうです。

特集・アジサイの季節(6)2009/06/08

 このお寺、シーボルトが来日した頃は谷戸を占める禅興寺という大寺の塔頭(たっちゅう)に過ぎませんでした。しかも明治の初めには御多分に洩れず、全国的に吹き荒れた麻疹(はしか)のような廃仏毀釈の騒ぎの中で禅興寺は廃寺となり、境内は荒れ果ててしまいました。
 それから数十年の歳月が流れ、静かな谷戸には少しずつ家が建ち、人が移り住んで、近くの駅から電車で東京へ通うサラリーマンの姿も見られるようになりました。その後、太平洋戦争はありましたが、訪れる人もまれな谷戸の奥に余った爆弾を落として帰るような気の利いた飛行機はなかったようです。戦争が終わっても相変わらず谷戸はひっそりと静かなままでした。
 そんな頃、一人の坊さんが境内に紫陽花を植えることを思い立ちました。紫陽花が挿し木によって簡単に増やせることは連載の初回に述べたとおりです。谷戸の湿気も紫陽花の生育に適していたのでしょう。数年のうちに、さほど広くない境内は紫陽花で埋め尽くされてしまいました。そして折からの高度経済成長の波に押されるように、五月も末になると東京や近隣の町々から、紫陽花目当ての見物客がどっと押し寄せるようになりました。お寺が拝観料の徴収を始めたのもその頃でした。これがやがて坊さんの人生を狂わせる因になろうとは誰も夢にも思わなかったことでしょう。

  紫陽花は寵衰へて歌名あり  永田青嵐

特集・アジサイの季節(7)2009/06/08

 ちょっと趣の異なる一枚をお目に掛けましょう。今朝撮影したものです。水が好きな子どもは教師の言いつけも忘れ、この季節でも長い時間水に浸かって泳いでいることがあります。そんな子がプールサイドに上がって、寒さにぶるっと震えたときの顔と唇を思い出します。顎(がく)についた雨粒のせいもあるでしょうか。
 紫という色はシアン(藍)とマゼンタ(赤)の混合によってつくられます。赤い唇が水という冷たい青で冷やされてこんな色に変わったのを見ると、何となく紫の秘密が分かったような気になるから不思議です。
 なお紫陽花には有毒成分が含まれています。半可通な料亭などで稀に刺身の盛りつけに紫陽花の葉を利用しているのを見ることがあります。見た目には涼しくても、こちらは絶対に有ってはならない、背筋が寒くなるような困った話です。

特集・アジサイの季節(8)2009/06/08

 水色というのはどれくらいの色をいうものでしょうか。CMYKで表すとシアンが60以上、マゼンタが40以下でないと水色にはならないように感じます。もちろんイエローは不要です。
 水色の紫陽花には毎年そう何度も出会う機会がありません。地味や土地柄なども関係するようです。写真の花は今年撮影の数少ない一枚ですが、形がお結びみたいで今ひとつ気乗りがしません。

特集・アジサイの季節(9)2009/06/08

 この特集も残すところあと2枚でおしまいです。どれにしようか迷いましたが、思い切って普段とは全く逆の発想で締めくくることにしました。漢字の「紫陽花」の話は明日以降に延期いたします。
 そして今日、何枚もご紹介した薄赤系の勢揃いをお目に掛けます。決して還暦衆のちゃんちゃんこ姿でも、年寄りの冷や水でも、老いの木登り姿でもありません。ただただ色が派手なだけです。

特集・アジサイの季節(10)2009/06/08

 今日最後の一枚は少し焦点を遠くしてみました。夕方からまた雨が降り出しました。もう梅雨入り宣言しても文句は言われないでしょう。
 いろいろな紫陽花たちに朝からお付き合いくださり有難うございました。予定より終了が遅れましたことを最後にお詫びいたします。どうぞ、ごゆっくりお休みください。