■ネーミング--新釈カタカナ語2009/06/11

 その商品がよく売れるように巧く名前を付けること。商品の名前を聞いた人が思わずその商品を買いたくなるような、そんな名前を考え出すこと。選挙に際し、その政党あるいは候補者に思わず投票したくなるような響きのよい公約を考え出すこと。naming(英語)。
 元は単に名前を付けることのみを指していましたが、広告や宣伝に携わる人々がこの言葉に注目するようになって名前の付け方にも大きな変化が訪れました。今や命名の目的は一人でも多くの購入者を獲得することにあります。命名で大切なのは購入者がその商品名を耳にして、これは自分に必要なものだと信じ込むことです。本当に必要かどうかは、この際どうでもよいのです。消費者にとって商品名とは実に油断のならない、警戒すべき相手なのです。
 同様に選挙の場合も、有権者は十分な注意が必要です。特に「百年安心」とか「安心社会の実現」といった長すぎる期間や抽象的な表現を冠した公約は、その多くが賞味期限を投票日に設定しています。有権者には、こうした政治家のまやかしを見抜く目も要求されているのです。

◎梅雨入り(1)--アジサイの季節2009/06/11

 昨日、日本列島は「関東甲信、北陸、東北南部が梅雨入りしたと見られる」と気象庁から発表されました。今日は暦の上でも梅雨入り(入梅)です。午後には雨も止むそうですから、今日あたりが紫陽花の観賞には一番向いていそうです。先月末から色づき始めてすでに半月を経過しました。いくら花の時期が長いとは言っても、早いものはそろそろ盛りを過ぎたように感じます。
 この特集は来週月曜日までの予定です。予定は一日一枚ですが、今日もまた何枚か続けて掲載し梅雨空の憂さ晴らしにお役立ていただこうと考えています。

◎梅雨入り(2)--アジサイの季節2009/06/11

 手入れの行き届いた紫陽花ばかりでなく、放置され背丈以上にも伸びた自然状態に近い紫陽花をご覧に入れます。雨の中、長靴を履いて出かけ、ようやくたどり着いて撮影したものです。写真の出来映えはともかくとして、梅雨の風情だけは感じていただけるでしょう。

◎梅雨入り(3)--アジサイの季節2009/06/11

 この写真には手入れの行き届かない様子がいくつも記録されています。まず何と言っても背丈が伸びすぎていることです。月曜日の特集の際にもご紹介しましたが、あまり伸びてしまうと見物客はずっと見上げていなければなりません。いつの間にか首筋が凝ってしまいます。
 画面左下に少しだけ見える焦げ茶色は昨年の花(顎)です。枯れてはいますが元の形を維持して立っています。全部をお見せするのは無風流が過ぎるので、ほんのちょっとだけ入れてみました。昨年も手入れがされなかったことの証拠です。
 画面の左側にはヤブガラシの蔓も大きく写っています。これも春先から今に至るまで、人の手が全く入っていないことの証拠です。しかし雨のお陰でどことなく瑞々しく、風情があるようにも感じます。

◎梅雨入り(4)--アジサイの季節2009/06/11

 野性味あふれる紫陽花の写真をもう一枚お目に掛けましょう。手入れなしの荒れ放題も、ものは言いようで変わるから不思議です。紫陽花の色も変わります。一番手前が咲き始めのガクアジサイです。

■安心社会--新釈国語2009/06/11

 総理大臣の主導により2009年春に使われ始めた言葉。同年4月に発足した有識者による安心社会実現会議では、これを「国民が安心して生活をおくることができる社会」と説明している。実現には「国家として目指すべき方向性や基本政策の在り方について、幅広い視点から、総合的な検討を行うことが必要」と述べているが、説明の中身があまりに空疎なため「麻生太郎が安心して総理大臣生活をおくることができる社会」の間違いではないかと、いぶかる声も聞かれる。

◎梅雨入り(5)--アジサイの季節2009/06/11

 昔から目にする野生植物は既に十分知り尽くされていると思いきや、どうもそうでもなさそうです。動物のように足があって逃げ回るわけでもないのに何故でしょうか。不思議なことです。アジサイもその花だけは身近な植物ですが、それ以外はどうも未だ解明されない点がたくさんあるように感じます。
 例えばユキノシタ科とするものがあるかと思えばアジサイ科を設けるものもあって、何がどこまで研究されたのか、突き止められたのか今ひとつ判然としません。図鑑類を見ても牧野とか平凡社とか北隆館とか名前だけは立派ですが、足利事件で話題になった初期のDNA鑑定と同様みな古ぼけて見えます。植物の研究は、未だ博物学の域を出ていないということでしょうか。加えて、このインターネット全盛の時代です。まことしやかな孫引き情報、曾孫引き情報などが無責任に飛び交っています。この問題は、ブログの初回「語義と研究者」http://atsso.asablo.jp/blog/2009/01/にも記した通りです。
 写真の花々は見頃を迎えた今朝のガクアジサイです。これくらいの時期の、これくらいの色が一番きれいだと感じるのでしょうか。昔のポジを眺めても、だいたい似たような色の花が多く記録されていて驚きます。

◎梅雨入り(6)--アジサイの季節2009/06/11

 この二つ前、(4)でご紹介した藪の中に咲くガクアジサイの一番手前の花はまだ色づく前でした。一方、後ろに棚状に並んだガクアジサイたちはみな色づいていました。周りの花びらのように見える四葩(よひら)の顎だけでなく、中心部の花たちも青赤紫に変わり、小さいながらも開いているように見えます。
 この写真は、そうした時期にあるものを、もう少し近寄って撮影した中の一枚です。雨粒の見える四葩の顎の向こうに丸薬のような粒々の花があり、そのうちの青い粒は大部分が開いて小さな蘂(しべ)を出しているように見えます。ここらあたりが昔で言う大年増(おおどしま)でしょうか。
 なお画面下の白い花は南天、左側の細い葉っぱも南天です。右側の明るい緑の葉は山吹です。芭蕉が詠んだという次の句は案外こうした藪に咲くガクアジサイの景色ではないかと思うのですが、やっぱり素人考えだそうです。宗匠お許しあれ。

  紫陽花や藪を小庭の別座鋪 芭蕉

◎梅雨入り(7)--アジサイの季節2009/06/11

 今日の最後は、前回(6)より少し前の状態のガクアジサイです。しかし(5)よりは少し開花が進んでいます。周りの顎も中心部の花もみな色づいていますが、開花した青い粒はまだ4つかそこらです。色づいてもぎりぎりこれくらいまでが、昔の年増(としま)ではなかったかと勝手に想像しています。
 この特集もあと4日でおしまいです。本日も、お付き合いくださり有難うございました。