○富有柿再び--実りの秋 ― 2009/10/23
このところの晴天続きで柿の実の色づきが顕著になってきた。一月前にはあんなにも付いていた柿の葉もすっかり落ちてしまった。先だっての台風の影響もいくらかはあるのかも知れないが、何より大きいのは朝晩の気温の低下だろう。山沿いではそろそろ霜の降りるところもあるはずだ。
昔はどこの家にも子供がたくさんいたので、今のようにいつまでも柿の実を生らしておくことなど親がどんなに口うるさく止めても無理だった。学校から帰った子供達の空腹を充たすため、いつの間にかもぎ取られ消費されてしまった。中でも甘柿の富有や次郎は実が熟れるまで待つことができず、焦って口の中を渋でいっぱいにしたことも一度や二度ではなかった。西洋の甘い菓子や外国産の果物で育った今の若い人たちには想像もつかないことだろう。
降る如く柿の実空を埋め尽くし まさと
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/22/ 柿の実(1)
昔はどこの家にも子供がたくさんいたので、今のようにいつまでも柿の実を生らしておくことなど親がどんなに口うるさく止めても無理だった。学校から帰った子供達の空腹を充たすため、いつの間にかもぎ取られ消費されてしまった。中でも甘柿の富有や次郎は実が熟れるまで待つことができず、焦って口の中を渋でいっぱいにしたことも一度や二度ではなかった。西洋の甘い菓子や外国産の果物で育った今の若い人たちには想像もつかないことだろう。
降る如く柿の実空を埋め尽くし まさと
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/22/ 柿の実(1)
○通草の季節(1)--秋色 ― 2009/10/20
夏の間ずっと緑色だったアケビの皮が秋の彼岸を過ぎる頃から徐々に紫に色づき始める。そして10月に入ると縦に割れ目が見え始め、ある日ぱかんと二つに割れて中身がのぞく。皮の薄いアケビほど中の身は透き通って、もちもちしている。ほっそりとした身に黒い種子がぶつぶついっぱい透けて見える。皮はひどく苦いが中身は実に甘くて美味い。口に含んで味わい、種子だけばっと吐き出す。だから穫ったらすぐにその場で食べる。家で食べたのは、父が山から持ち帰った御土産のアケビだけだった。父は勢いよく種子を庭に吐き飛ばす子供達を嬉しそうに眺めていた。
皮の厚いアケビもある。山形県の越後に近い町には、この皮を使った料理もあると聞いた。皮の厚いアケビの中身は太くて大きい。だが単に白いだけで透き通ってはいない。もちもち感もないし、甘みも少ない。だから見つけても食べることは殆どなかった。長じて、その料理があると聞いたとき、あんな苦い物をよくも食べる物好きがいる者だと感心した。何でも工夫次第ということだろうが、そこまで手をかけて食べようとは思わぬ。それより毎年、始末に困るほど生って生って手を焼くムベの上手い料理法がないものかと思案している。(つづく)
山ふかく遊ぶ子に会ひ通草熟れ 丸山帚木
皮の厚いアケビもある。山形県の越後に近い町には、この皮を使った料理もあると聞いた。皮の厚いアケビの中身は太くて大きい。だが単に白いだけで透き通ってはいない。もちもち感もないし、甘みも少ない。だから見つけても食べることは殆どなかった。長じて、その料理があると聞いたとき、あんな苦い物をよくも食べる物好きがいる者だと感心した。何でも工夫次第ということだろうが、そこまで手をかけて食べようとは思わぬ。それより毎年、始末に困るほど生って生って手を焼くムベの上手い料理法がないものかと思案している。(つづく)
山ふかく遊ぶ子に会ひ通草熟れ 丸山帚木
○百匁柿--実りの秋 ― 2009/10/18
子どもの頃、母の遣いで時々駄菓子屋に行かされた。買い物だから拾円札か伍拾円札を持たされるはずだが、そうした記憶は全くない。お金は持たず、ただ風呂敷だけを持たされて出かけたことを覚えている。そして決まって「花林糖を百匁(ひゃくめ)ください」とか「薄荷糖を百匁ください」と店先で口上を伝えた。
いまパソコンに「ひゃくめ」と打ち込んでも、正しく百匁に変換される気遣いはまずない。そんな親切な辞書は自分でつくるしかなくなった。原因は1959年(昭和34)の元旦から全面的にメートル法が採用され、それまで広く使われていた尺貫法が廃止されて久しいからである。当時、学校では混乱に備えて対策が施され、教師が口を酸っぱくして「これからは斤(きん)や匁(もんめ)ではなくグラムを使うように」と指導した。もちろん換算の方法についても熱心に教えたはずである。
このとき、お遣いの単位が300グラムに替わったのか、それとも400グラムだったのかは俄に思い出せない。相変わらず従来と同じ百匁ではなかったかと思う。ただ計算のできる母が時々ぶつぶつ文句を言っていたことだけは確かだ。制度の変更に乗じて駄菓子屋がきっと何か上手いことをしたのだろう。
写真の柿は彼岸過ぎに撮したもので、百匁柿と呼ばれる品種である。まだ色づき始めたばかりだが、11月の収穫期には見事な朱色に変っている。室(むろ)などに熟すまで置いて、それから熟れ熟れのとろりとしたところを匙(しゃじ)で掬って食べる。実際の重さは百匁(375グラム)より少し軽いかも知れない。
いまパソコンに「ひゃくめ」と打ち込んでも、正しく百匁に変換される気遣いはまずない。そんな親切な辞書は自分でつくるしかなくなった。原因は1959年(昭和34)の元旦から全面的にメートル法が採用され、それまで広く使われていた尺貫法が廃止されて久しいからである。当時、学校では混乱に備えて対策が施され、教師が口を酸っぱくして「これからは斤(きん)や匁(もんめ)ではなくグラムを使うように」と指導した。もちろん換算の方法についても熱心に教えたはずである。
このとき、お遣いの単位が300グラムに替わったのか、それとも400グラムだったのかは俄に思い出せない。相変わらず従来と同じ百匁ではなかったかと思う。ただ計算のできる母が時々ぶつぶつ文句を言っていたことだけは確かだ。制度の変更に乗じて駄菓子屋がきっと何か上手いことをしたのだろう。
写真の柿は彼岸過ぎに撮したもので、百匁柿と呼ばれる品種である。まだ色づき始めたばかりだが、11月の収穫期には見事な朱色に変っている。室(むろ)などに熟すまで置いて、それから熟れ熟れのとろりとしたところを匙(しゃじ)で掬って食べる。実際の重さは百匁(375グラム)より少し軽いかも知れない。
○百日草と千日草(1) ― 2009/10/03
子どもの頃、土蔵の横に百日草が咲いていた。誰が植えたものか、育てたものか、種を蒔いたのかは知らない。この花が咲くと大川に水浴びをする場所が造られ、ほどなく学校が休みになった。そしてお盆が来て、叔父や叔母や従兄弟が来て賑わい楽しかった。
お盆が終ると、すぐにまた学校が始まった。宿題の提出に苦労した。それからすぐに9月になり、今度は運動会の練習が始まった。農家では秋の収穫が始まり、畑では大根の葉が伸び始めていた。そして10月になり本格的な稲刈りの季節がやってきた。そんな季節の運動会に親が出かけるためには幾日も晴天が続き、刈り入れのすっかり終っていることが条件になった。
昔はよく台風が来た。大風が吹き、稲は倒れ、田圃には水がついて稲刈りが遅れた。だから親が運動会に顔を見せることは滅多になかった。運動会の日の昼休みは、親がつくってくれた大きな握り飯を一人で食べることが多かった。運動会が終り、めっきり日が短くなっても百日草はまだ咲き続けていた。いつ頃この花が萎れるのか、霜で枯れてしまうのか、はっきりした記憶はない。(つづく)
お盆が終ると、すぐにまた学校が始まった。宿題の提出に苦労した。それからすぐに9月になり、今度は運動会の練習が始まった。農家では秋の収穫が始まり、畑では大根の葉が伸び始めていた。そして10月になり本格的な稲刈りの季節がやってきた。そんな季節の運動会に親が出かけるためには幾日も晴天が続き、刈り入れのすっかり終っていることが条件になった。
昔はよく台風が来た。大風が吹き、稲は倒れ、田圃には水がついて稲刈りが遅れた。だから親が運動会に顔を見せることは滅多になかった。運動会の日の昼休みは、親がつくってくれた大きな握り飯を一人で食べることが多かった。運動会が終り、めっきり日が短くなっても百日草はまだ咲き続けていた。いつ頃この花が萎れるのか、霜で枯れてしまうのか、はっきりした記憶はない。(つづく)
○栗拾い(2) ― 2009/09/22
今日の1枚は「くりのきむらのゆうびんやさん」で、主人公のうさぎが狸のお婆さんの家へ配達に寄ったときの光景である。いくら呼んでも返事がないので心配して家の裏へ回ってみると、お婆さんは栗拾いに忙しかった。ああよかったと安心する。この絵は、スタジオジブリで「もののけ姫」などの動画を担当された小西美鈴さんに描いていただいた。挿絵にはやさしい小西さんのお気持ちが隅々まで溢れていて、眺めているだけでほのぼのとしてくる。
いま全国には一人暮らしのお年寄りが増えている。都会のアパートやマンションの一室で誰も知らないうちに亡くなる人も少なくない。郵便配達は雨の日も風の日も休日以外は郵便物のある家を一軒一軒回っている。郵便事業を合理化したりビジネスの道具にするという発想だけでは、彼等がこれまで果たしてきた役割や郵便物の配達という仕事のもっている可能性を生かし切ることはできない。学者が独り研究室で洋書や洋雑誌を読み耽り、パソコンに向かっているだけでは見えないものがいっぱいある。それに気づくのも政治の仕事だろう。(了)
いま全国には一人暮らしのお年寄りが増えている。都会のアパートやマンションの一室で誰も知らないうちに亡くなる人も少なくない。郵便配達は雨の日も風の日も休日以外は郵便物のある家を一軒一軒回っている。郵便事業を合理化したりビジネスの道具にするという発想だけでは、彼等がこれまで果たしてきた役割や郵便物の配達という仕事のもっている可能性を生かし切ることはできない。学者が独り研究室で洋書や洋雑誌を読み耽り、パソコンに向かっているだけでは見えないものがいっぱいある。それに気づくのも政治の仕事だろう。(了)
◆くりのきむらのゆうびんやさん ― 2009/09/19
この季節になると決まって思い出す絵本があります。と言っても自分の作品ですから、ちょっと格好のつけすぎですね。実はどうしても腑に落ちないことがあるのです。
この絵本を出版したのは2004年9月です。今年の夏に政界を引退した小泉純一郎氏がまだ総理大臣をしていた頃の出来事です。その頃の小泉内閣は郵政民営化を目標に大奮闘中でしたが、自民党内では民営化反対の抵抗勢力と呼ばれる人たちが多くて苦戦を強いられていました。ちょうどその頃に完成した絵本です。もちろん郵政民営化とは何の関係もありません。
ストーリーは動物たちが助け合って暮らす「くりのきむら」という小さな村で郵便局を開き郵便配達もしている、うさぎさん夫婦の機転を利かせた働きぶりを扱ったものです。大雨による災害と、栗の実のご馳走がいっぱい登場します。孫に会いたくて仕方ない狸のお婆さんとか、長生きをしすぎた亀のおじいさんも登場します。絵本というよりも、本格的なストーリーも楽しめる幼年童話に近い内容といったところでしょう。
ところが、どういうわけか図書館も小学校もさっぱり買ってくれません。買ってくださるのはもっぱら個人の方が中心でした。郵便配達を定年でお辞めになるという方がストーリーに感激して、まとめて買って近隣の児童館や保育所に寄付してくださるというようなことがいくつもありました。
しかし、どういうわけか今に至るまで、全国に4000近くもあるという図書館ではその数分の一も購入してくれません。ある時、疑問に思った知人が東京郊外の町の図書館で尋ねました。
「『くりのきむらのゆうびんやさん』という絵本を読みたいのですが…」すると返ってきた答は何と、「出版社はどこですか?」だったそうです。
知人は即答できなかったので、帰宅して調べ、電話で伝えたところ
「ああ、そういうあまり聞かない出版社の本はウチでは買いませんね。」と、自信たっぷりの返事だったそうです。
「えっ……?! ……?!」
「大切な市民の税金を使っているわけですから…。」
図書館にはマンガや推理小説や文庫本なんかもたくさん入っているけど、みんな出版社が有名だから構わないのか。そんなものなのか図書館って、と知人はそのとき初めて、市役所や町の図書館で働く人たちの仕事の秘密というか秘訣を知ったそうです。
でも何だか変ですよね。
この絵本を出版したのは2004年9月です。今年の夏に政界を引退した小泉純一郎氏がまだ総理大臣をしていた頃の出来事です。その頃の小泉内閣は郵政民営化を目標に大奮闘中でしたが、自民党内では民営化反対の抵抗勢力と呼ばれる人たちが多くて苦戦を強いられていました。ちょうどその頃に完成した絵本です。もちろん郵政民営化とは何の関係もありません。
ストーリーは動物たちが助け合って暮らす「くりのきむら」という小さな村で郵便局を開き郵便配達もしている、うさぎさん夫婦の機転を利かせた働きぶりを扱ったものです。大雨による災害と、栗の実のご馳走がいっぱい登場します。孫に会いたくて仕方ない狸のお婆さんとか、長生きをしすぎた亀のおじいさんも登場します。絵本というよりも、本格的なストーリーも楽しめる幼年童話に近い内容といったところでしょう。
ところが、どういうわけか図書館も小学校もさっぱり買ってくれません。買ってくださるのはもっぱら個人の方が中心でした。郵便配達を定年でお辞めになるという方がストーリーに感激して、まとめて買って近隣の児童館や保育所に寄付してくださるというようなことがいくつもありました。
しかし、どういうわけか今に至るまで、全国に4000近くもあるという図書館ではその数分の一も購入してくれません。ある時、疑問に思った知人が東京郊外の町の図書館で尋ねました。
「『くりのきむらのゆうびんやさん』という絵本を読みたいのですが…」すると返ってきた答は何と、「出版社はどこですか?」だったそうです。
知人は即答できなかったので、帰宅して調べ、電話で伝えたところ
「ああ、そういうあまり聞かない出版社の本はウチでは買いませんね。」と、自信たっぷりの返事だったそうです。
「えっ……?! ……?!」
「大切な市民の税金を使っているわけですから…。」
図書館にはマンガや推理小説や文庫本なんかもたくさん入っているけど、みんな出版社が有名だから構わないのか。そんなものなのか図書館って、と知人はそのとき初めて、市役所や町の図書館で働く人たちの仕事の秘密というか秘訣を知ったそうです。
でも何だか変ですよね。
■生前葬--新釈国語 ― 2009/07/25
人間はいずれ必ず死ぬものであるという前提に立って、故人となる前のまだ元気なうちに世話になった人や旧友などを招いて宴会を催し、謝辞を述べたり懇談して最期の別れの代わりとすること。葬とは死者をほうむるの意であり理屈上は死後に行われるべきものだが、この造語はそうした意味合いを完全に無視して儀式部分だけを形式的に借用した。当人が死去した後の葬儀を、たとえ故人の遺志によるとはいえ全く行わずに済ませるかどうかは最終的には遺族が決める問題である。そのため生前葬の挙行をもって本来の葬儀が不要になるかは一概には論じられない。また死期の予測は容易ではないため、これをいつどの時点で行うかも難しい問題である。ホテルやレストランが結婚披露宴など宴会部門の売上げ減少対策に打ち出した新戦略のひとつでもある。
○トマトと赤茄子1--夏野菜 ― 2009/07/25
子どもの頃、近所に10人の子どもを無事に育て上げた老婆がいた。昔、乳母をお願いしたことがあり、顔を見れば必ず声を掛けてくれた。ある時、老婆の高校生になったばかりの末娘が虫垂炎を患って入院した。その頃、虫垂炎はもっぱら盲腸と呼ばれていた。お見舞いに訪ねてゆくと、普段は気丈な老婆がいつになく元気がなく部屋の隅でしょんぼりしていた。そして「赤茄子は盲腸になるから絶対に食べるなと言っておいたのに娘は食べてしまった。無事に退院できるといいが」と涙ぐんだ声で話してくれた。赤茄子とはトマトのことである。
明治の中頃に生まれたその老婆は生涯トマトだけは決して口にしなかった。理由はトマトの種が虫垂炎の原因になると固く信じていたからだという。その話をいつ頃どこで誰から聞かされたものかは分からなかったが、老婆は信じて疑うことがなかった。老婆が亡くなった翌年、三回忌の法要が済んで10人の子ども達が母親の昔話を始めたとき、その中のひとりが「おい、母さんの言いつけは守っているか」と兄弟姉妹に尋ねた。末娘を除き全員が守っていた。虫垂炎になったのも末の娘だけだった。彼女の記憶によると、虫垂炎を患う前日か前々日かに友達の家で確かにトマトを食べたそうである。「だけど、もう盲腸は取ってしまったから兄さん、いくら食べても私は平気よ」と笑っていた。
写真は家庭菜園などでよく目にするミニトマトである。一口にミニトマトと言っても最近は種類も多く、かなり大粒のものから小粒のものまでいろいろある。非常に丈夫で病気に強く、しかも繁殖力がある。放置すると熟した実が地上に落ちて種子が地中で越冬し、翌年また芽を出して実を付ける。場所は秘密だが、そうして野生化したミニトマトの群がる場所を知っている。その味がまた、どの農家のものよりも甘いから不思議である。
明治の中頃に生まれたその老婆は生涯トマトだけは決して口にしなかった。理由はトマトの種が虫垂炎の原因になると固く信じていたからだという。その話をいつ頃どこで誰から聞かされたものかは分からなかったが、老婆は信じて疑うことがなかった。老婆が亡くなった翌年、三回忌の法要が済んで10人の子ども達が母親の昔話を始めたとき、その中のひとりが「おい、母さんの言いつけは守っているか」と兄弟姉妹に尋ねた。末娘を除き全員が守っていた。虫垂炎になったのも末の娘だけだった。彼女の記憶によると、虫垂炎を患う前日か前々日かに友達の家で確かにトマトを食べたそうである。「だけど、もう盲腸は取ってしまったから兄さん、いくら食べても私は平気よ」と笑っていた。
写真は家庭菜園などでよく目にするミニトマトである。一口にミニトマトと言っても最近は種類も多く、かなり大粒のものから小粒のものまでいろいろある。非常に丈夫で病気に強く、しかも繁殖力がある。放置すると熟した実が地上に落ちて種子が地中で越冬し、翌年また芽を出して実を付ける。場所は秘密だが、そうして野生化したミニトマトの群がる場所を知っている。その味がまた、どの農家のものよりも甘いから不思議である。
○プロのトマト1--夏野菜 ― 2009/07/23
トマトは青い実の緑色がかった白い胴回りの部分に、ほんのり赤みが挿すと熟れ始める。やがて所々に緑色のぼかしを残しながら全体が薄桃色に変わってくる。この段階では実はまだ固い。囓(かじ)ると青臭い味もする。だが「食べたぞ」という満足感のようなものも強い。子どもの頃、大きなトマトをひとつ丸ごと食べると、しばらくは空腹を忘れることができた。
夏休み中の昼下がりはもっぱら大川で水遊びをして過ごした。家族と一緒に昼食を摂っていると1時間半の昼休みは1時間に減ってしまう。家族が昼寝を終える午後1時半には家に戻っていなければならない。そこで正午が近づくと「お昼はいらん」と叫んで、裏のトマト畑へ直行し、なるべく大振りの、まだ赤く熟す前の桃色のトマトをひとつ貰って大川へ急いだ。
写真はプロが管理する露地栽培のトマト畑。これから出荷の最盛期を迎える。完熟寸前のものだけを収穫し、収穫の1時間後には家の前で売り切ってしまう。遠くで感じる青臭さ、ほどよい堅さ、そしてどこよりも甘いと評判のトマトである。(つづく)
夏休み中の昼下がりはもっぱら大川で水遊びをして過ごした。家族と一緒に昼食を摂っていると1時間半の昼休みは1時間に減ってしまう。家族が昼寝を終える午後1時半には家に戻っていなければならない。そこで正午が近づくと「お昼はいらん」と叫んで、裏のトマト畑へ直行し、なるべく大振りの、まだ赤く熟す前の桃色のトマトをひとつ貰って大川へ急いだ。
写真はプロが管理する露地栽培のトマト畑。これから出荷の最盛期を迎える。完熟寸前のものだけを収穫し、収穫の1時間後には家の前で売り切ってしまう。遠くで感じる青臭さ、ほどよい堅さ、そしてどこよりも甘いと評判のトマトである。(つづく)
○草刈り--夏の田圃 ― 2009/07/23
今は機械ができて、直立したままで草刈りができるようになった。以前は田圃の土手も全て手で刈った。草刈りは常に下向きの姿勢を強いられる。疲れて鎌の刃先が石を叩くと、その反動で鎌が足に飛んでくる。怪我の少なくない仕事だった。だから鉈や鎌など刃物を使うときは必ずその前に親から注意を受けた。また通りすがりの人も、刃物を使った作業をしていると必ず「気を付けなさいよ」と声を掛けてくれた。
鎌は使っていると切れ味が落ちてくる。予め2丁3丁と用意して刈り始めることもあるが、休憩を兼ねて鎌を研ぐことが多かった。そんな時は刈り終えた長さとまだ残っている長さとを比べ、よく溜息をついた。炎天下での作業は辛いので大抵は日が高くならないうちに行う。ズボンが朝露にぐっしょり濡れ、首や顔をヤブ蚊が襲った。みんな遠い、昔の思い出となった。
わが刈りし草の広さに憩ふかな 萩本ム弓
鎌は使っていると切れ味が落ちてくる。予め2丁3丁と用意して刈り始めることもあるが、休憩を兼ねて鎌を研ぐことが多かった。そんな時は刈り終えた長さとまだ残っている長さとを比べ、よく溜息をついた。炎天下での作業は辛いので大抵は日が高くならないうちに行う。ズボンが朝露にぐっしょり濡れ、首や顔をヤブ蚊が襲った。みんな遠い、昔の思い出となった。
わが刈りし草の広さに憩ふかな 萩本ム弓








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