■姑息な手段--新釈国語 ― 2009/06/29
何か困った問題が生じたとき、(それを根本的に解決する方策ではなく)とりあえず急場を凌(しの)ぐために採用する一時的な間に合わせ策や中継ぎの対策をいう。漢語の姑息には婦人(姑)と子ども(息)という意味のほかに、暫く(姑)休む・止む(息)という意味があり、後者は儒家の経典である「礼記・檀弓」の「細人の人を愛するに姑息をもってするなり」に基づくとされる。細人とは心の狭い人、性格のゆがんだ人、取るに足らない小物の意である。実際、姑息と評されるような手段を考えたり提案するのは小物と見なされる人物や小物集団と化した政党・組織などの特技と言えるだろう。
またこの言葉に、さらに「因循」を冠して因循姑息な手段の形で用いられることも少なくない。因循にも古い方法や習慣ばかり大事にして一向に改めようとしないさまをいうものと、ぐずぐず言うばかりでさっぱり煮え切らないさまをいうものの二つの意味があり、通常は前者の意で使われる。ある問題への対処がいつも同じ手法で繰り返されることは、その人物・集団に学習意欲がないことの証拠であり、将来の進歩発展が見込めないことを意味している。
またこの言葉に、さらに「因循」を冠して因循姑息な手段の形で用いられることも少なくない。因循にも古い方法や習慣ばかり大事にして一向に改めようとしないさまをいうものと、ぐずぐず言うばかりでさっぱり煮え切らないさまをいうものの二つの意味があり、通常は前者の意で使われる。ある問題への対処がいつも同じ手法で繰り返されることは、その人物・集団に学習意欲がないことの証拠であり、将来の進歩発展が見込めないことを意味している。
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