霞と朧と霧と靄2009/04/02

 俳句でも和歌でも霞と霧は厳然と区別して用いる。春は霞、秋なら霧である。だが気象の世界では霞を雲や霧と区別することは無理なようだ。そうなると、せっかく先人が築いた万葉の景色や優美繊細も古今集の「もののあわれ」も「春は空気中の水滴と微細な浮遊物が結合して漂うからどうしてもこんな感じに見えるわけですね」で片づけられかねない。科学の力も時によりけり、風雅を楽しむときは忘れた方がよさそうだ。
 和歌や俳句の世界が鋭いと思うのは季節の区別ができるからだけではない。昼と夜の区別もちゃんとしていて、お日様のあるうちは霞、日が暮れて月が出れば朧(おぼろ)と呼び分けている。さらに感心するのは、霞とよく似た靄(もや)に手を出さないことだ。気象用語では霧よりも見通しのよい状態を指す言葉だが素人目には区別が難しい。種類も朝靄、夕靄、夜の靄、川靄、山靄、薄靄(うすもや)、雨靄(あまもや)などいろいろある。調べてみると小説では漱石(草枕)、藤村(夜明け前)、秋声(縮図)が春の描写に使っていた。察するに小説の描写には利用できても、単にモヤモヤするだけでは詩情も涌かないし、季節感をくすぐることにもならないのだろう。

◎新社会人に贈る言葉012009/04/02

 《千里の道も一歩から》

 中国の春秋戦国時代に活躍した老子は、今でも中国の人々に強い影響力をもつ道教の開祖と慕われる思想家です。その著作といわれ、また道教の経典とされる「老子」に次のような言葉があります。

○千里の行(こう)も足下(そっか)に始まる

 新しい社会人として職を得た皆さんのこれからの人生も今は、まだ先も見えないほど遠く長いもののように感じられることでしょう。でも30年や40年はあっという間に過ぎてしまいます。例えば東海道新幹線の開業や東京オリンピックの開催は45年も昔の出来事です。ところが60歳以上の人々にとっては、つい何年か前のことと感じられる事件でもあるのです。確かに45年という時間は過ぎているはずですが、その間の記憶がはっきりしないのです。確かな証拠がないのです。
 そこで、これから退職するまでの年月と日数をせめて数字として確実に記録する方法をお教えしましょう。給料をもらったら毎月、その月の日数に百円とか千円とか一定の額を決めて掛け算し積立てるのです。無理をする必要はありません。万一、職を失ったら減額してもよいでしょう。少ないと感じたらボーナスの時に別途、積み増しを行います。そして通帳を大切に保管します。面倒な人は定額方式の天引き積立でも構いませんが、とにかく定年まで毎月続けることが大事です。どんな千里にたどり着くか楽しみにしてください。